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片山恭一の毎日更新、いろんなはなしをします
今日のさけび

 グレッグ・イーガンの『白熱光』に物質形態や人類形態という言葉が出てくる。この人のSFは数学や物理学や天文学の専門的な知識が織り込まれていていつも難しいけれど、わからないなりに刺激的で示唆されるところが多い。遥か遠い未来、宇宙に進出した人類はデータとして電脳空間を飛び交い、ときどき物質化して人類形態をとる。なんだか途方もない話だけれど、数百万年後という設定である。だからリアリティがないかというとそうでもなく、長いスパンをとることで、かえって現代のテクノロジーが抱えている問題の本質が見えてくるようなところがある。書いている本人は21世紀のこの時代を生きているわけだからね。本来、フィクションとはそうしたものだろう。

 たしかに未来の人間は、グレッグ・イーガンのSFみたいに、ときどき実体化して肉体や物質を生きてみるようになるかもしれない。そして生まれたときから物質形態や人類形態をとっていた自分たちの祖先を、うらやましく思うようになるかもしれない。どうして「近代」は行き詰っているのか? 自由・平等を建前とする世界で、70数億の人々が豊かで幸せになることを当然の権利として要求しはじめれば、地球の生態系はたちまち崩壊してしまう。限られたパイをめぐる熾烈な生存競争のなかで、人類そのものがメルトダウンしてしまうかもしれない。いかにして70数億人分の豊かさを生み出すか。どんな魔法を使えば全人類を幸せにできるのか。

 誰が考えても答えは一つだ。電脳空間のなかで豊かで幸せになってもらう。それしかない。テニスをして疲れたり汗をかいたり、喉が渇いたりできるのはごく少数の特権階級だけで、大半の貧しい人たちにはヴァーチャルな世界で達成感をおぼえたり、快感をおぼえたり、趣味に没頭して時間を忘れたりしてもらう。いまのうちかもしれないぞ、お酒を飲んで「う~、うまい!」とか言っていられるのは。いずれ非常に高価で贅沢な体験になるかもしれないのだ。

 数百万年後の人類からすると、ぼくたちはものすごく贅沢なことをしているらしい。星空を眺めて泣きたくなるという体験を購入するのに、いったいいくらぐらいかかるだろう。誰かを好きになり、砂浜を意味もなく走って「夕陽のバカ野郎!」とか言うのに、この惑星一個分くらいのお金がかかるようになるかもしれない。そうとは知らずに、ぼくたちはとても高価で貴重で贅沢なことを無料で無尽蔵に享受している。素晴らしすぎる! それが人間であるってことだ。

 ポスト・ヒューマンをめざす理由なんてどこにあるだろう? いまのままで充分だ。こんなにお楽しみが用意されていて、お金もかからないというのに。70数億の人々すべてにとって、人間であることはタダなのだ! たった一人の取りこぼしもない。人間という高価で貴重で贅沢な形態をとることには、いまのところ差別も格差もない。禅仏教で「空」とか「無」とか言っているものは、全部ひっくり返すことができる気がする。栄西や道元が言っていることは、ぼくにはつまらないものに思える。(2019.4.21)

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