ぼくはこんな絵を掛けている……④

こんな絵
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 前回はパリのデパートで絵を買ったなんて、柄にもなく高級そうなことを書いたけれど、いつもそんなことをやっているわけじゃなくて、あのときが最初で最後。何事も無理はいけません。というわけで、今日はぐっとカジュアルにナフコで絵を買った話をしよう。

 ナフコというのは九州あたりに多いホームセンター。洗剤などが安いので、ときどき奥さんを連れて買い物にいく。あるとき店のなかを見てまわっていたら、なぜかキース・ヘリングの絵があった。まあ、キース・ヘリングはおまけで、額縁のほうが商品なのだ。しかも在庫処分で500円くらいだった。この500円のキース・ヘリングを、もう10年くらい洗濯機の横の壁に掛けている。殺風景な場所にはファイン・アートよりも、こういう落ちこぼれみたいな絵のほうがかえって似合ったりする。ぼくたちが「半径10m」でやっていることは、毎日の反復だからどうしても殺風景で味気ないものになりがちだ。日々の暮らしを丸ごとアートにできたらいいよね。

 キース・ヘリングは出てきたと思ったら、あっという間に亡くなったという印象が強い。彼が亡くなったのは1990年で31歳だった。1958年生まれというから、ぼくと同学年である。ストリートアートの走りみたいな人で、現在のバンクシーなどにもつながる。彼が登場したときには、ウォーホルをさらにカジュアルにしたような人だなと思った。なにしろ落書きからはじめた人だからね。ニューヨークの地下鉄だっけ? 発想が自由でラディカルだよね。キャンバスやアトリエという概念を取っ払ったと言ってもいいだろう。印象派のモネなんかか戸外で制作をはじめたのと同じくらい画期的なことだったかもしれない。これ以降、地球上のあらゆる場所がキャンバスになりアトリエになった。

 彼はグレイトフル・デッドの追っかけ(デッドヘッズ)としても有名だ。本人がゲイだったこととも関係しているかもしれない。死因もエイズによる合併症だった。通常の社会や市民生活のなかに居場所を見つけにくい人たちが、ヒッピー的なコミューンに憧れるのはよくわかる。ぼくが一緒に仕事をしている小平尚典さんが撮った写真のなかに、カウンター・カルチャーの伝道師、ティモシー・リアリーのものが何枚かある。そのうちの一枚、ノースハリウッドの自宅で撮られたものには、キース・ヘリングが描いたテーブルの絵が写っている。宿代のかわりに描いていったんだって。いつもそんなことをやってたんだろうね。

 この文章を書いているうちに、彼の絵をもっと飾りたくなった。ホームセンターで買った500円の絵だけってのは気の毒だ。ポスターでいいからアマゾンで探してみようかな。(2020.9.5)