kkatayama

創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(10)

鳥取から中国山地を抜けて岡山まで出て新幹線で神戸に戻る、というのが彼女の予定している帰路だった。少しでも長く一緒にいたかったので、わたしも岡山まで同じルートで行くことにした。山間を走るローカル線に揺られているうちに天気が崩れ、日が沈むころに...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(9)

喫茶店で軽い昼食を済まし、コーヒーを飲みながら、わたしはほとんど無節操に自分のことを話しはじめていた。数日前に母親を亡くしたこと。長く患っていた病気のこと。ほんの一、二時間前に会ったばかりだというのに。彼女は告解を聞く司祭のように、見ず知ら...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(8)

大学二年生の秋に母が死んだ。入院先の病院から一時帰宅しているあいだの出来事だった。あまりに唐突だったので、何も感じなかった。感じることができなかった。ただ奇妙な既視感があった。予期せぬこととはいえ、その死は意外なものではなかった。  日ごろ...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(7)

4  色の褪せかけたプリントに、十九歳の彼女が写っている。三月末、大学の春休みにはじめて神戸を訪れたときに撮ったものだ。父から借りたオリンパスの一眼レフだったと思う。いくらか露出が不足しているのは雨のせいだろう。とはいえ出来の悪い写真ではな...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(6)

藤井茜がハンバーガーを睨んでいるあいだに、高椋魁はスマートフォンを取り出して素早く操作した。「いまネットで調べてみたけど、この店のビーフパティにはちゃんとニュージーランド産とオーストラリア産の牛肉が使ってある。ちなみにポークはアメリカ産」 ...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(5)

3  研究室で小一時間ほど過ごしたあと、二人は部屋を出て二号館の通路をとぼとぼ歩き、エレベーターで六階から一階まで降りる。そこには乙女心をくすぐるこぎれいな庭園が広がっている。手入れの行き届いた芝生とつつじの植え込み、噴水のある池、誰かの無...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(4)

二人を部屋に招いたのはたんなる気まぐれで、彼らが手に余るような心の闇を抱えていると直感したわけではない。ふとした出来心というか、雨に濡れて泣いている子猫を家に連れて帰るようなものだ。ときどきこんな気まぐれを起こすことがある。どうも自分の意思...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(3)

こうして首尾よく国際文化学部日本文化学科のなかに、文芸創作と文芸研究という二つの怪しげなクラスが開設されることになった。  文芸研究のクラスでは、主に日本の近代文学について教えている。今週は東海散士の『佳人之奇偶』と三遊亭円朝の落語速記本を...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(2)

2  いまどきの大学で文芸創作などという講座を開設しているところは珍しいだろう。文科省の役人たちは高校や大学のカリキュラムから文学を抹殺しようと躍起になっている。愚かなことだ。連中には何もわかっていない。これからは文学の時代、物語の時代だと...
創作

蒼い狼と薄紅色の鹿(1)

1  十九世紀オーストリアの作家、アーダベルト・シュティフターの話をしている。学生たちには彼の代表作である『晩夏』の一部をコピーして配ってある。トーマス・マンが絶賛し、ニーチェが愛読していたという作品だ。三十人ほどいる学生のうち、話を聞いて...
ネコふんじゃった

98)魔法のような音楽が詰まった三枚組

ジョンの死は、わけがわからなかった。それから二十一年後、ジョージが亡くなったときは純粋に悲しかった。ビートルズのアンソロジー・シリーズが完結し、これからは三人で「ビートルズ」をやっていくのだと思っていた矢先。ジョージの死によって、ぼくのなか...
ネコふんじゃった

97)ポールがやって来た、ヤァ、ヤァ、ヤァ

十一年ぶりの来日である。福岡公演は二十年ぶり。その二十年前の公演は、ぼくも観にいった。ほぼ全曲一緒に歌った(歌えてしまった)自分に呆れつつ、あらためてポールとビートルズの偉大さを実感した。七十一歳になったポール。福岡での第一声は「カエッテキ...
ネコふんじゃった

96)はじめて買ったロッドのアルバム

中学三年生の夏休み、ロック好きの友だちの家に遊びに行き、いつものように「何か新しいレコード買った?」とたずねると、「声が独特だから好き嫌いが分かれると思うけど、おれはすごく気に入っているんだ」と言って、彼は一枚のレコードを取り出してきた。一...
ネコふんじゃった

95)数々のカバーを生んだ名盤

ミュージシャンズ・ミュージシャンという言い方をすることがある。多くのミュージシャンに影響を与え、彼らから敬愛されるミュージシャンという意味だろう。今回ご紹介するJJ・ケイルは、まさにそんな人だ。ぼくが彼の名前を最初に耳にしたのも、エリック・...
ネコふんじゃった

93)17歳のデビュー・アルバム

今年の春、シュギー・オーティスの突然の来日には驚いた。もうずいぶん長く、彼の名前を耳にしなかった気がする。 アル・クーパーとのセッションに参加し、天才ギタリストと謳われたのは十五歳のとき。七十年代のはじめにエピックから発表した三枚のアルバム...
ネコふんじゃった

94)夏の終わり、夕暮れの浜辺で

暑い夏は無理をせずに、デレデレと怠けて過ごすのがいつものスタイル。一ヵ月くらいは小説の執筆もお休み、まとめて本を読んだり、ノートをとったり、普段できないことをやってみる。リフレッシュにもなれば充電にもなり、一石二鳥である。  夏の読書には、...
ネコふんじゃった

92)30年で4枚!

ブルー・ナイルというロマンチックな名前をもつ、グラスゴー出身の三人組の、これは1989年にリリースされたセカンド・アルバム。グループ名のとおり、悠久の川の流れを想わせる、静かで美しい音楽である。  三人はいずれもグラスゴー大学の卒業生で、プ...
ネコふんじゃった

91)ニューオリンズ・ファンクの伝説的グループ

このレコードを買ったのは、大瀧詠一の『ロング・バケーション』がヒットしていたころ。なぜそんなことをおぼえているかというと、90分のカセットテープの両面に録音して、夏休みのあいだじゅう聴いていたから。1981年。オリジナル・リリース(1974...
ネコふんじゃった

90)ファンクとフュージョンの絶妙なバランス

クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子と呼ばれた兄弟だが、もともとビリー・プレストンのバンドにいた人たちである。したがって音楽的にはソウルやジャズの要素が強い。でも彼らの個性を際立ったものにしているのは、やはり弟ルイスのスラップ・ベース(チョッパ...
ネコふんじゃった

89)ガット・ギターの調べに寛ぐ

まずはジャケット。一歩間違うと通販の商品カタログになってしまいそうな図柄だが、計算され尽くしたデザインは、やはり大手のレコード会社のものらしく洗練されている。内容も、ジャケットそのままに甘くてお洒落。安手のイージーリスニングとは、一線を画す...
ネコふんじゃった

88)内省的なフォーク・ソウル

テリー・キャリアーの音楽を一言で表現するのは難しい。一応、ジャンル的にはソウル・ミュージックになるのだろうが、アコースティック・ギターを手にうたう彼のスタイルはフォーキーでもある。やはり七十年代初めに出てきたダニー・ハサウェイやロバータ・フ...
あれも聴きたい、これも聴きたい

あれも聴きたい、これも聴きたい……⑩

バート・バカラックの10曲  バート・バカラックが亡くなった(2023年2月8日)、94歳で自然死というから大往生と言っていいだろう。傍から見ると、音楽家としても申し分のない生涯だったように思える。これだけ多くの名曲、一般のリスナーのみなら...
ネコふんじゃった

87)悩めるアメリカをストレートに表現した傑作

1969年にデビューしたシカゴのアルバムは、いきなり二枚組で、その後、三作目までずっと二枚組だった。おまけに四作目にあたるカーネギー・ホールでのライブは四枚組というとんでもない代物。たしか当時、国内盤は八千円近くしたと思う。 ぼくが最初に買...
ネコふんじゃった

86)シンフォニックなロック・アルバム

プロコル・ハルムといえば、デビュー・シングル「青い影」のイメージだけで語られがちだけれど、ゲイリー・ブルッカーという才能あるコンポーザー&ヴォーカリストを中心に作り上げられたアルバムは、どれもクオリティが高く、聴きどころがいっぱいだ。 オル...
ネコふんじゃった

85)人類最高の交響曲

今回はクラシックのお話。ぼくが好きな交響曲はたくさんある。モーツァルトの「プラハ」と四十番、ベートーヴェンの三番、六番、九番、シューベルトの「未完成」、マーラーの九番と「大地の歌」。ブラームスの四つの交響曲も捨てがたいし、七つあるシベリウス...
ネコふんじゃった

84)犬もうたっている?

ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(NGDB)は、もともとアメリカのオールド・タイム・ミュージックを演奏するジャグ・バンドとして1960年代の半ばにスタートした。一時期はジャクソン・ブラウンもメンバーだったことがある。その後、ブルーグラス...
ネコふんじゃった

83)木漏れ日のような音楽

しばらく前に『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』という本が出版され、話題になったことがある。彼らはインターネットが普及するはるか以前から、自分たちの作品を著作権で囲わずに解放するとか、ライブ録音を許可するといった、現在のシェアやフ...
ネコふんじゃった

82)よくぞここまで! まさに完璧な一枚

ブライアン・イーノがいたころの初期のロクシー・ミュージックは、ヴィジュアル的にも音楽的にも派手で、アイデアや実験性が先行した、頭でっかちのアマチュアっぽいバンド、という印象が強かった。  その後、イーノが脱退したのを契機に、ロクシーはブライ...
ネコふんじゃった

81)おしゃれなデュオ、夏の定番

それぞれソロとして活動していたベン・ワットとトレイシー・ソーンが、いつのまにかエブリシング・バット・ザ・ガールというデュオになっていたのには、ちょっと驚いた。もともとベン・ワットは贔屓のミュージシャンだった。トレイシーのソロ・アルバムも、わ...
ネコふんじゃった

80)奇蹟のデビュー・アルバム

ビネガー・ジョーなどのロック・バンドでソウルフルな咽喉を聴かせていたロバート・パーマーが、アイランド・レーベルに移籍してのソロ第一作にして最高作である。これを「奇蹟」と呼ぶのは、参加しているミュージシャンの顔ぶれの一期一会感と、さらに彼らが...
ネコふんじゃった

79)「第三世界」という名のレゲエ・バンド

レゲエを聴きはじめた七〇年代の後半、ボブ・マーリーやジミー・クリフとともに、ぼくがいちばん好きになったバンドの一つが、このサード・ワールドだった。  レゲエのグループの多くは、いわゆるヴォーカル・グループで、演奏も自前でこなすというバンドは...
ぼく自身のための広告

ぼく自身のための広告(29)

29 フィリップ・ロス『さようならコロンバス』  失恋とは、世界を失うことである。世界を成り立たせていた遠近法が崩壊し、自分のまわりの風景が、うすっぺらで表面的なもの感じられる。中心を失った世界は外延され、とりとめなく、つかみどころのないも...
あれも聴きたい、これも聴きたい

あれも聴きたい、これも聴きたい……⑨

いまの自分を潤してくれる10枚 MILES DAVIS 『Kind Of Blue』 BOB DYLAN 『Blood On The Tracks』 NEIL YOUNG 『Everybody Knows This Is Nowhere』 ...
ネコふんじゃった

78)「街」を感じさせるアルバム

学生のころ、休みの日の楽しみは、レコード店と古本屋をまわることだった。けっして資金は潤沢ではない。だから安いカット・アウトの輸入盤や古本を漁る。とくに古本屋は掘り出し物を求めて何軒も歩きまわる。そして一日の終わり、喫茶店でコーヒーを飲みなが...
ネコふんじゃった

77)東と西のジャズ

ジャズでいうところのリズム・セクションとは、ドラムとベース、それにピアノのこと。ここではフィリー・ジョー・ジョーンズ、ポール・チェンバース、レッド・ガーランドの三人で、このアルバムが録音された当時は、マイルス・デイヴィスのバンドのリズム・セ...
ネコふんじゃった

76)ご存知、ストーンズの最高傑作

このアルバムが発売されたのは1972年、ぼくが中学二年生のときだった。彼らにとってのみならず、ぼくにとっても、はじめて買った二枚組のレコードだった。三千円という出費は、中学生にとっては取り返しのつかない額なので、買う前にずいぶん迷ったおぼえ...
ネコふんじゃった

75)儚いまでに美しい

ニック・ドレイクは1948年に生まれて1974年に亡くなった、イギリスのシンガー・ソングライターである。二十六年の人生で、彼が残したアルバムは三枚。いずれも生前にはあまり売れなかった。そのことも彼の死を早めた要因かもしれない。うつ病に苦しん...
源氏物語講義

現代文学として『源氏物語』を読む……第7回 近親のエロス(2)

さて「若紫」の章で語られる二つのエピソードのうち、今回は若紫との経緯を見ていきましょう。まず冒頭で18歳の源氏は病気になります。「瘧病(わらはやみ)」とあり、マラリアみたいなものだったようです。彼は北山の寺にいる行者のところへ治療に通う。そ...
ネコふんじゃった

74)寒い冬の夜、炬燵のなかで

「プカプカ」の作者として知られる西岡恭蔵は、七〇年代を代表するソングライターの一人だ。彼が自作自演し、また他人に提供した名曲は数知れない。  大塚まさじ、永井ようと三人で結成した「ザ・ディラン」でデビューしたころから、彼の書く曲はすでに完成...
源氏物語講義

現代文学として『源氏物語』を読む……第6回 近親のエロス(1)

『源氏物語』のうち光源氏を主人公とする部分(第41章「雲隠」まで)について見ると、彼にとって重要な女性は藤壺と紫の上ということになります。まさに「紫」の女性たちをめぐる物語です。今回は第5章の「若紫」を見てみましょう。この帖では大きな二つの...