Scene5 マンザナー強制収容所(2)
大学時代からの親友が末期癌を宣告された。膵臓癌のステージⅣbで、肝臓と肺に転移がある。治療して二年、何もしなければ半年と言われたらしい。すでにひと月ほど、週一回のペースで抗癌剤を投与している。一回の投与で体重が2キロも3キロも減るという。
「これじゃあ病気との闘いじゃなくて、薬との闘いだよ。少々苦しくても助かるならやってもいい。でも治療を受けたところで五年生存率は3%だ。主治医はうまくいって二年、三年は保証できないと言っている。こういう治療に意味があるんだろうか。そもそも治療と言えるのかって思うよ」
友人は長く内科医をやってきた。現在の癌治療のおかしさを、ある程度は認識していたはずだ。だが自らが末期癌を宣告されると、医者が勧める治療を拒めない。そして実際にやってみて、やはりとんでもないものであることを実感した。いま彼は治療から、病院から逃げ出そうとしている。
「医者が患者を見ていないとはよく言われることだ。でも本当のところ、彼らは病気さえ見ていない。病気という概念を見ているだけだ。画像診断などから病気をカテゴライズして患者に生存率を告げる。それも自分の判断ではない。過去のデータではそうなっているってことだ。自らの診断に責任をとる気は最初からない。抗癌剤を入れるたびに、看護師から頑張ってくださいと言われる。とうとう頭にきて、どう頑張れっていうんだ、どうせ死ぬんだろうって……彼女たちはマクドナルドの店員と変わらないよ。ただマニュアルどおりのことを喋っているんだ」
グーグルで「膵臓癌」を検索すると、日本膵臓学会の過去20年間の治療成績による生存率が出てくる。なるほどステージⅣbの五年後の生存率は3%となっている。友人の主治医はこれをそのまま「告知」しているわけだ。でも、そんなことはインターネットで調べれば誰にでもわかる。医者でなくても、人間でなくても、コンピュータで充分だ。さらに私なら、こんなふうに解釈する。日本膵臓学会が唱導するスタンダードな治療を受けると、ステージⅣbの患者の97%は五年以内に確実に死ぬ。
友人が癌治療の現場で体験したこととバラク・オバマのスピーチ、どこか似ていないだろうか? 友人は言っている。「彼らは病気さえ見ていない。ただ病気という概念を見ているだけだ」と。オバマのスピーチも同じだ。「10万人を超える死者」とか、第二次世界大戦で亡くなった「6000万人の人たち」といった概念や数字があるだけで、ただの一人の死者もいない。概念や数字でしかない死者たちを、いくら悼んだところで、美辞麗句にまみれた虚偽にしかならない。彼が口にする「子どもたちの恐怖」も「声なき叫び声」も、ただ空々しいばかりだ。
私が「Historic Site」という言葉に感じる冷ややかさと、バラク・オバマのスピーチは、おそらく同質なものだ。「史跡」という言葉からは、一つの固有な生を生き、死んでいった人間の顔が、感情が、生活が見えてこない。
一九四二年三月二十九日、アメリカ合衆国戦時強制収容局は、サン・ピエドロ島のすべての日系アメリカ人を十五隻の輸送船に乗せてアミティー港のフェリーの発着場に連れていった。
日系アメリカ人は、白人の隣人たちが見守る中、船に乗せられた。隣人たちは朝まだきに起き、寒い外に立ちながら、日本人が自分たちのあいだからそうやって追い払われていく姿を見た――隣人たちの何人かは日本人の友達だったが、大方は単に好奇心に駆られて来ているだけの者だった。漁師たちもアミティー港の沖の船の甲板に立って見ていた。漁師たちは、島民のほとんどの者同様、日本人をそうやって追い出すのは理に適っていると感じ、船首や船尾から網を巻き揚げる船のキャビンに寄りかかり、日本人は当然の理由で出ていかねばならないのだと確信した。いまは戦争中なのだ、戦争ですべてが変わってしまったのだ。
(デヴィッド・グターソン『殺人容疑』高儀進訳 講談社文庫)
トホホな邦題がついているけれど、原作のタイトルは『SNOW FALLING ON CEDARS』だ。イーサン・ホークと工藤夕貴が主演した『ヒマラヤ杉に降る雪』という映画をご覧になった方もおられるだろう。
上に描かれたような光景は、アメリカ全土で数多く見られたはずだ。このとき強制的に抑留された日系アメリカ人と日本人移民は約12万人と言われている。「一九四二年三月二十九日」という日付には意味がある。軍が必要とみなした場合、強制的に外国人を隔離することのできる法令(Executive Order 9066)に、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が署名したのが1942年2月19日、さらに同年3月29日をもって、カリフォルニア州、ワシントン州、オレゴン州などアメリカ西海岸沿岸を中心とする対象地域に住む日系人にたいして移動禁止命令が下り、戦時強制収容局(War Relocation Authority)によって全米十箇所に設けられた強制収容所に収容されることになる。
一つの収容所に8000人から15000人が入れられ、彼らの多くは財産を没収された。マンザナーには約1万人が収容された。こうした数字をあげながら、私はオバマのスピーチにおぼえるのと同じ虚しさにとらわれる。それぞれの家族に、一人ひとりの者たちに、数字にはあらわしようのない物語があったはずなのに。
小説の主人公ハツエは、「マンザナー強制収容所のタール紙を張った寺」で刺し網漁師の日系アメリカ人カズオ・ミヤモトと結婚式を挙げる。ハツエの母は軍隊用毛布を垂らして部屋を仕切り、二人の「初夜」のためのスペースを作ってやる。
二人は結婚衣裳のまま窓辺に立ち、キスをした。ハツエは、カズオの温かい首と喉のにおいを嗅いだ。外では、雪がバラックの壁に吹きつけていた。「みんなになんでも聞こえてしまうわ」と囁くように言った。
両手をハツエの腰に当てていたカズオは、振り向き、カーテンに向かって話しかけた。「ラジオでなにか面白いものをやってるはずだよ」と大きな声で言った。「音楽なんかいいんじゃないか?」(前掲書)
ささやかな性のポエジー。追放され、すべてを奪われた人たちのなかにも楽園はあった。地獄のなかにエデンをつくり出す力を、人間は持っている。だが、その力は、若い男女の身体の火照りや汗の臭いとともに、「Historic Site」からは消し去られている。ふと私は「cleansing(清潔にする)」という単語を思い浮かべる。オバマのスピーチでも「Manzanar National Historic Site」でも、不都合なもの、だが大切なものが意図的に、あるいは無意識のうちにcleansingされている。
「民族浄化(ethnic cleansing)」という言葉が使われるようになったのは、1990年代はじめのボスニア紛争のころからだ。アメリカのPR会社が創案したものらしい(高木徹『戦争広告代理店』による)。これらの出来事は、どこか深いところでつながっているのかもしれない。