Scene1 シンギュラリティ
砂漠。一直線の道が地平線の彼方までつづいている。視界を遮るものは何もない。視線は広大な砂漠に吸い込まれて消える。ヴァニッシング・ポイント。スモッグに覆われたロスのダウンタウンを抜けて、ものの30分も走ると、そこは砂漠になる。まだ午前中なのに気温は100度を超えている。摂氏では38度くらい。日中は40度を超えるかもしれない。車のなかは冷房が効いているからいいようなものの、外に出たらたちまち焼け死んでしまいそうだ。
朝食はパンケーキ・ハウスでとった。卵を二つ使った目玉焼き。片面焼きは「sunny-side up」、両面を焼いてもらうためには「sunny-side down」と言わなければならない。ボブは「over easy」と言ったのに、黄身までしっかり火が通っている。それにカリカリに焼いたベーコン。なんにでも熱を加えるのが好きなのだ。街にも大地にも食べ物にも。ひょっとして人にも? 気を付けよう。目玉焼きやベーコンにされないように。
クライスラーは時速70マイルで走りつづけている。もちろんレンタカーだ。空港近くのHertzで借りた。運転しているのは、私の旅の師匠でもあるボブだ。師匠に運転させて、カーオーディオに日本から持ってきたCDをセットする。イーグルスの「Take It Easy」が流れはじめる。グレン・フライも死んでしまったな。彼の歌声にあわせて一緒に歌う。気楽に行こう。くよくよ思い悩むな。自分の運命を理解しようなんて思わないことだ。陽気にやろうじゃないか。
「ボブ、アクセルを踏み込んでくれ」
私は師匠に向かってタメ口をきく。この忌々しい熱波を振り切るんだ。あそこへ突っ込んでくれ。地平線の彼方のヴァニッシング・ポイントヘ。消失点。そこで悩みが消える。迷いや不安が消える。欲望も恐怖も消える。消滅の美学。逃亡のエクスタシー。自分が消える。自己や自我やエゴが消える。近代が消える。モダニズムの消失点。
もう一つの消失点。それはシンギュラリティと呼ばれる。日本語では「技術的特異点」などと訳されているようだ。このまま人工知能(AI)が進歩しつづけると、2045年くらいに人間を超えるAIが誕生する。人工知能が人間よりも賢くなって爆発的に進化する。AIは人間にとって脅威になる。そこで何が起こるかわからない、なんでも起こりうる……ということで、スティーブン・ホーキングなどは人間が終焉するかもしれないといったコメントを発している。他にも同様の危惧を抱いている科学者は多い。ビル・ゲイツも人工知能の脅威を訴えていた。
上等だ。この砂漠の暑さと、圧倒的な空虚さや不毛さに正気を失わないためには、同じように空虚で不毛な信仰が必要だ。シンギュラリティ。まさにうってつけじゃないか。新しい砂漠の宗教。生贄が必要だろうか? sunny-side upされる人間が、ベーコンのようにカリカリに焼かれる人々が。
ところでシンギュラリティとは、そもそもどういうものなのか。日本を出る前に何冊か関連書籍をあたってみたけれど、誰も正確に予測しているわけではないようだ。みんな憶測や自分の都合で「こうなるんじゃないか」と言っている。つまりシンギュラリティは、いまだ普遍宗教には程遠く、個人的な信仰のレベルにとどまっているらしい。
ポールのコメントを紹介しよう。Paul , who ? Mr. Paul Saffoはボブの友人である。肩書きは未来予測学者、弁護士、エッセイスト。現在、スタンフォードで教鞭をとりながら、多方面でコンサルティングをしている。いま私の前に、スマホに録画された一分足らずの動画がある。そこにポールが映っていて、シンギュラリティについて喋っている。もちろん英語だ。私には翻訳するだけの語学力がない。ボブも自信がないと言っている。そこで、こうしよう。この動画を、Gメールに添付してロス在住のジャーナリスト、Miss Mireiのところへ送る。すると翌日には、彼女がちゃんと訳して送り返してくれる。
ワォー! 当年とって57のシニア・ボーイである私が、こんな日常を生きている。砂漠のテロリストさんたちも、たぶん同じようなことをやっているのだろう。目下、惑星の仕様はこのようなものになっている。ひょっとして私たちは、すでにシンギュラリティを生きはじめているのかもしれない。
「ミスタ、ポール。シンギュラリティについて簡単に説明してください」
「OK。実際にシンギュラリティに到達するかどうかは私たちにはわかりません。しかしシンギュラリティというアイデアはとてもパワフルで、きわめて重要です。なぜならシンギュラリティは、デジタルテクノロジーの非常に速い変化によるインパクトを簡潔に表現するものだからです。シンギュラリティは世界を、私たちのまわりにあるすべてのものをつくり変えるでしょう。そして私たちに、広大で新しい自由と責務のフロンティアをもたらすでしょう。だから私たちは、これから先の20年で自分たちがどこへ向かっているのか、考えなくてはならないのです。未来を、私たちが生きる未来だけではなく、私たちの子どもや孫が生きる未来を形づくる手助けをするために」
Thank you , Paul ! すばらしい! バラク・オバマの広島でのスピーチなんかよりずっといいぞ。目の前に広がる砂漠は、ただの空虚と不毛の大地ではなく、新しい自由と責務のフロンティアなのだ。そのフロンティアを私たち一人ひとりが生きる。それは自分のなかにシンギュラリティをもたらすということだ。自分自身のシンギュラリティを生きるということだ。私たちの人生の一日一日を「特異点」にしてしまえばいいのだ。
バッハを弾くことによってこの世に生を享けた歓びを私はあらたに認識する。人間であるという信じ難い驚きとともに、人生の驚異を知らされて胸がいっぱいになる。バッハの音楽は常に新しく、決して同じであることはない。日ごとに新しく幻想的で想像を絶するものだ。(パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』吉田秀和・郷司敬吾訳)
そうか、カザルスはバッハの「プレリュードとフーガ」を弾くことで、毎日自分にシンギュラリティをもたらしていたのだな。そのようにして彼は90年以上も自分自身を生きつづけた。素敵なことじゃないか。私たちもカザルスの流儀に倣おう。
ガンガンいこうぜ。ボブ、もっとスピードを上げてくれ。ハイウェイ・パトロールなんかに負けるな。インディアンの襲撃を振り切れ。きみも私も、一人ひとりが特異点となって、新しい自由と責務のフロンティアへヴァニッシュするんだ。(2016年6月21日・TUE)