現代文学として『源氏物語』を読む……第3回 物の怪(1)

源氏物語講義
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 『源氏物語』には物の怪がたくさん出てきます。「物の怪」というと、いまの若い人たちの多くは宮崎駿のアニメを思い浮かべるかもしれません。でもあの映画でモノノケの正体ははっきり明かされていませんよね。

 古い時代には物の怪の「モノ」は物体だけではなく、神や霊などもさしていたようです。『日本書紀』で「悉くに万物(よろずのもの)を生みたまふ」という場合の「物」は神々のことですよ。ただし『古事記』などを見ると、三輪山の祭神「大物主大神」などは疫病の流行をもたらす疫神としての性質をもっていたらしく、どちらかというと好ましくない神さまというか、負の力をもつ神や霊をさすことも多かったようです。

 さらに時代が下って『源氏物語』のころになると、物の怪は病気をもたらすものとして一方的に恐れられるようになります。現在のぼくたちがウイルスや細菌などの病原体や癌を恐れるようなものです。紫式部が仕えた藤原道長は病気がちの人だったらしく、患いつくたびに大がかりや修法や加持、読経などが行われたという記録が残っています。そうやって病気の原因を制圧しようとしたわけですね。これを「調伏(ちょうぶく)」といいます。怨霊などをやっつけることです。いまならさしずめ抗がん剤やワクチン接種といったところでしょうか。

 道長といえばときの最高権力者、摂関政治のなかで天皇の外戚として権力の頂点に昇り詰めた人ですよね。そんな人が物の怪などに怯えていたのはおかしいと思うかもしれませんが、ぼくたちががんや新型コロナ・ウイルスを恐れるのと同じだと考えれば、名前が変わっただけで医学も科学も中身はそんなに変わっていないということかもしれません。ワクチンなんて1000年前の加持祈祷みたいなものでしょう。それはぼくたちが1000年前の人たちとあまり変わっていない、ということかもしれません。

 なにしろ怖い病気をもたらす病原体ですから、『源氏物語』でも主人公をはじめ登場人物たちは、いつも物の怪に怯えて暮らしています。そして物の怪が登場する場面は、恋愛の挫折とか病気や死や出産とか、だいたいパターンがきまっています。これは物の怪の正体が、自分を怨んでいる人の生霊や、この世に怨みを残して亡くなった人の怨霊と考えられていたからでしょう。大宰府という遠隔の地で失意のうちに没した菅原道真は、その後、恐ろしい怨霊にされてしまいました。

 さて『源氏物語』で最初に物の怪が出てくるのは、第4帖の「夕顔」です。光源氏は17歳の夏を迎えています。ある日、尼になっている病気の乳母を見舞ったおり、隣の家に咲いている白い花に目をとめます。護衛の者に花の名をたずねると家来は「夕顔」と答える。ここから後世の読者は、この薄幸の女性を「夕顔」と呼びならわすようになります。

 ご承知のように『源氏物語』には、人の名前はほとんど出てきません。たいてい「左大臣」や「中将」といった官位や、「君」「上」「宮」といった敬称で呼ばれます。葵の上や紫の上も、本文中では「大殿の君」や「二条院の君」などと呼ばれています。「葵の上」や「紫の上」という呼称は、後世の読者によって付けられた一種にニックネームなんですね。

 紫式部の場合もそうです。「式部」というのは父親の官職名です。紫式部のお父さんは藤原為時という人で式部省という役所に勤めていました。だから娘の紫式部は藤式部(とうしきぶ)と呼ばれていました。これを女房名といいます。清少納言の場合はお父さんが少納言で清原という姓だったので「清少納言」となったわけです。藤式部が「紫式部」と呼ばれるようになったのは、ある宴の席で誰かが(藤原公任)が「若紫の作者はあなたですか」とたずねたのがきっかけと言われています。そのくらい『源氏物語』は宮中で愛読されていたんですね。

 さて、物語に戻りましょう。源氏はその夕顔の花を一房折ってくるように命じます。家来が花を採っていると、家の女童が出てきて「この上に花を載せて差し上げてください」と言って白い扇を差し出す。扇には風流な筆跡で「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」という歌が書き流してある。そんなところから源氏は女に興味をもつようになります。

 ここは注意していただきたいところです。この時点で源氏が手にしている女にたいする情報は「歌」だけです。その歌を贈ってきた女に惹かれている。もちろん筆跡(筆法)や扇(和紙)などを含めた「歌」ですけどね。これが相手の性的な魅力を含めて人格を表現している。現在のぼくたちには想像もつかないほど、「歌」は多くの情報を運ぶものだったんですね。インターネットの出会い系サイト? う~ん、ちょっと違うかな。

 六条の御息所という年上の女性との逢瀬はつづいています。御息所は魅力的な女性で教養もありますが、七つ年上ということもあり、気楽に付き合える相手ではない。若い恋人にたいする執着も強く、源氏のほうはちょっと持て余している感じです。歌を取り交わした女(夕顔)のことが気になり、部下に探らせるが女の素性はわからない。源氏のほうでも名前や身分を伏せて忍んでいく、といったかたちで付き合いがはじまります。女は初々しく無邪気で、歳も自分に近いらしい(このとき夕顔は19歳)。源氏は好ましく思い、しだいに耽溺していきます。

 旧暦の8月15日、その夜は中秋の満月でした。夕顔のところで一夜を過ごした源氏は、明け方になって荒れた院に女を連れ出します。もっと気兼ねのないところで、二人だけの逢瀬を楽しもうというわけです。さすがに随行の家来が心配して、お世話をする人を呼んだほうがいいのではないかと申し出ると、源氏は「ことさらに人来まじき隠れ処求めたるなり。さらに心より外に漏らすな」と口止めをする。「御粥など急ぎまゐらせたれど、取りつぐ御まかなひうちあはず」(粥を用意したけれど、膳を運ぶ者が間に合わない)というくだりが生々しいですね。食も忘れて愛欲にふける17歳という感じです。

 夜が明けて、源氏の台詞。

 「けうとくもなりにけるところかな、さりとも、鬼なども我をば見ゆるしてん」

 人けがなくて気味の悪いところだなあ。でもまあ、鬼などが住んでいたとしても、きっとわたしのことは見逃してくれるだろう。何を根拠に? さりげなく「鬼」という言葉を使っているところが不気味です。なぜなら、このあと夕顔は源氏がふと漏らした言葉のとおり「鬼」に取り殺されてしまうからです。

 平安京は長安をモデルに設計された、当時の「近代」都市です。条坊制によって合理的にデザインされている。そんな京の都はまた、さまざまな怪異に支配された街でもありました。近代と古代が重層しているわけですね。「鬼」という字は、普通は「オニ」と読みますが、「九鬼文書(くかみもんじょ)」のように「カミ」と訓む場合もあります。また「モノ」と訓むこともあったらしい。『万葉集』にはつぎのような歌があります。

 朝寝髪我れは梳らじうるはしき君が手枕触れてしものを(第11巻・2578)

 この歌の「触れてしものを」は原文では「触義之鬼尾」で、「鬼」を「モノ」と訓んでいます。『万葉集』に収められた恋をテーマとする歌では、しばしば「鬼」を「モノ」と訓ませています。当時の人々は、恋には外界からの不思議な力が介入していると考えたのかもしれません。この場合の「鬼」は一種の「stranger」ですよね。善悪という人間的な基準ではかならずしもとらえていなかったのでしょう。

 また「隠(おぬ)」が訛ったものという説も多くみられます。こちらは「隠れたもの」や「目に見えないもの」という意味になりますね。先の『万葉集』の歌にも通じます。ところが時代が下って『源氏物語』のころになると、「鬼」という言葉にはいくらか邪悪なものという色味がついてきます。

 いずれにしても鬼は目に見えない。普段は隠れている。何が隠れているのか? 死霊、生霊、地縛霊などいろいろです。そうした目に見えない超自然的存在を人々は身近に感じ、リアルに怖れながら暮らしていたようです。一人の男が雷に打たれるなどして人が不慮の死を遂げた場所は地縛霊の憑く悪所となる。家に住み着いた霊鬼は家霊と呼ばれました。源氏が夕顔を連れ込んだ廃墟も、そのよう場所だったのかもしれません。

 静かな夕暮れ、女は荒れ果てた邸の暗さを気味悪がっている。源氏は女に添い寝してやる。さすがに情事も一昼夜となると男は疲れている。女が感じている「鬼」の存在に男は気づかない。その思いは千々に乱れて、いまごろ自分を探しまわっている帝のこと、等閑にしている六条の御息所のことなどをぼんやり考えている。

 宵過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上にいとをかしげなる女ゐて、「おのが、いとめでたしと見たてたてまつるをば、尋ね思ほさで、かくことなることなき人を率ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとすと見たまふ。物に襲はるる心地して、おどろきたまへれば、灯も消えにけり。うたて思さるれば、太刀を引き抜きて、うち置きたまひて、右近を起こしたまふ。

 午後10時ごろでしょうか、男が少しうとうとしていると、枕元にぞっとするほど美しい女が坐っている。「あなたを心からお慕いしているわたしを捨て置かれ、こんなつまらない女を連れ歩いてご寵愛になるなんてあんまりだ。口惜しく心外で辛いことです」と言って、傍らに寝ている女に手をかけ、引き起こそうとする。そんな情景を源氏は夢うつつに見る。ものに襲われた気がして、はっと目を覚ますと明かりが消えている。気味が悪いので、太刀を引き抜いて魔除けのために置き、夕顔の侍女である右近を起こした。

 夕顔は怯えきって意識を失っている。助けを求め家中を右往左往して戻ってみると、すでに女は息絶えている。源氏は恐怖と悲しみに打ちひしがれる。遺体は腹心が秘密裏に運び出す。源氏は茫然自失の態で二条院に戻る。そこで思い直し、荼毘に付す前に夕顔の亡骸を一目見たいと馬で東山に出かける。帰りに落馬してそのまま衰弱がひどくなる。なんとか回復した源氏は夕顔の侍女・右近を引き取る。

 その右近が女の素性を打ち明ける。夕顔は源氏の義兄にあたる頭中将の元愛人で、子どももいるけれど、中将の正妻の脅迫まがいの仕打ちを逃れて仮住まいをしていたのでした。この子どもというのは玉鬘という娘で、源氏は彼女を引き取って育てることになりますが、それはまだ先のお話。亡くなった夕顔はまだ19歳でした。源氏は比叡山で夕顔の四十九日の法要を営みます。亡き人の魂は四十九日までは来世での生が定まらず中有(中陰)をさまよっているそうです。

 物の怪にまつわる場面は、『源氏物語』の読みどころの一つです。次回は、先ほど少し出てきた六条の御息所の物の怪が、源氏の正妻である葵の上を取り殺すシーンを読んでみることにしましょう。(2021.10.13)