現代文学として『源氏物語』を読む……第7回 近親のエロス(2)

源氏物語講義
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 さて「若紫」の章で語られる二つのエピソードのうち、今回は若紫との経緯を見ていきましょう。まず冒頭で18歳の源氏は病気になります。「瘧病(わらはやみ)」とあり、マラリアみたいなものだったようです。彼は北山の寺にいる行者のところへ治療に通う。そこで幼女といっていい年ごろの若紫(のちの紫の上)を見初めます。「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠の中に籠めたりつるものを」(雀の子を召使の犬君が逃がしちゃったの。ちゃんと籠のなかに入れておいたのに)と悔しがっている様子が愛らしい。ちなみに「犬君」は若紫に仕える女童の名前でワンちゃんではありませんよ。

 若紫の父は兵部卿宮で藤壺の兄です。つまり若紫は源氏が眷恋(けんれん)する女性・藤壺の姪ということになります。そんなこともあって、源氏はなんとしてもこの子を引き取って将来は妻にしたいと考える。藤壺という本丸には近づけないので、次善策としてまだ少女と言っていい若紫に向かったということでしょうか。

 さっそく源氏は、幼女の面倒を見ている僧都と尼君(若紫の祖母にあたる)に「自分に世話をさせてくれ」と申し出ます。原文では「後見(うしろみ)」とあります。世話をする人という意味ですが、平安時代の習慣では、女性のうしろみになるということは、その人の夫になることを意味しました。源氏の真意は、幼女を引き取って理想の女性に育てたいということだったようですが、先方は源氏が若紫の歳を知らずに結婚を申し入れていると受け取ります。このとき若紫は10歳ですから、常識的に考えても年齢が釣り合わないと断りつづけます。

 そうこうしているうちに尼君が亡くなり、若紫は寄る辺のない身となります。若紫の父は藤壺の実兄にあたる兵部卿です。兵部卿には北の方がいるので、側室の娘である若紫を手元において育てにくかったのでしょうが、世話をする人がいなくなってはそうも言っていられません。自分が引き取ろうということになる。

 話は早々源氏の耳に入ります。藤壺に容姿が似ているばかりでなく、彼女の姪にあたる若紫を、源氏はなんとしても手元に置きたいと思っているのですが、父・兵部卿のもとに行ってしまっては手遅れです。その前に秘密裏に自分の邸(二条院)に連れてきてしまおうと考えます。

 君は、何心もなく寝たまへるを、抱きおどろかしたまふうに、おどろきて、宮の御迎へにおはしたる、と寝おびれて思したり。御髪掻きつくろひなどしたまひて、「いざたまへ。宮の御使にて参り来つるぞ」とのたまふに、あらざりけり、とあきれて、おそろしと思ひたれば、「あな心う。まろも同じ人ぞ」とて、かき抱きて出でたまへば、大夫少納など、「こはいかに」と聞こゆ。

 例によって源氏は大胆な行動に出ます。夜更けに惟光一人を従えて相手の邸を訪れた彼は、少納言の制止を振り切ってずんずん奥へ入っていき、寝ている若紫を抱き上げる。若紫のほうは寝ぼけているので、父の兵部卿が迎えにきたのだと思う。「さあいらっしゃい。父宮のお使いで参りましたよ」という源氏の言葉を聞いて、はじめて相手が父宮ではなかったと気づき、姫君は驚くとともに怯える。そりゃそうですよね。知らない男に寝込みを襲われたわけですから。

 「あな心う。まろも同じ人ぞ」は「なんと情けない。わたしも父宮も同じですよ」くらいの意味でしょうか。ここでは「まろ」という自称が使われていますが、『源氏物語』のなかでは珍しいそうです。また細かいことですが、最初の「君」を若紫ととるか源氏ととるか二説あり、与謝野晶子と小学館の校訂者は「源氏の君は」と訳しています。谷崎訳、円地訳、瀬戸内訳では「姫君は」となっています。こういう箇所が『源氏物語』には多いのです。

 それはともかく現代社会のモラルからいうと、光源氏の行動は少女誘拐であり完全な犯罪ですよね。しかし誰も『源氏物語』を犯罪小説とか悪漢小説としては読みません。当時からそうだったようです。どうやら宮中の女房たちは光源氏を悪者や不良とはとらえずに、むしろヒーローの活躍に胸躍らせるようにして読んでいたみたいです。

 なぜでしょう? 物語のなかで光源氏は帝(天皇)に準ずる者という設定です。そして古代の天皇(天子)は女たちの呪力によって国を治めました。女たちを手に入れるために、略奪まがいのことが是とされる時代があったようです。おそらく『源氏物語』のころになっても、国の長には多くのすぐれた女たちを妻や妾にする魅力が求められたのでしょう。光源氏はそれを如実に体現した主人公でした。

 さて物語は進んで、第9章の「葵」に入ります。この帖の中心は葵の上の出産と産褥による死(じつは六条の御息所の生霊によるもの)ですが、もう一つの重要なエピソードは、光源氏が若紫と結ばれることです。葵の上の死によって季節がひとつ進むようにして、源氏はひそかに育ててきた紫の上と新枕を交わすのです。

 源氏が寄る辺のない身となった若紫を略奪するようにして引き取るのは、彼女はまだ10歳くらいのときです。一方の男君は18歳でした。あれから6年の歳月が流れ、幼かった姫君も16歳になっています。元服(12歳)した光源氏の妻になった葵の上と同じ歳です。年齢的にはつり合いがとれている。しかも葵の上は亡くなり、長年の愛人であった六条御息所は、斎宮(伊勢神宮に仕える女性のこと)となった娘について伊勢へ下る決心をします。乱暴な言い方をすれば、邪魔者はいなくなったわけです。

 しかしいくらお膳立てが整っても、女君の気持の準備はできていません。それまでは父親のように慕っていた源氏が、突然、男の相貌を剥いてやって来たわけですからね。若紫としては裏切られたような気持ちだったかもしれません。

 つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち、偏つぎなどしつつ日を暮らしたまふに、心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなき戯れごとの中にもうつくしき筋をし出でたまへば、思し放ちたる月日こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍びがたくなりて、心苦しいけれど、いかがありけむ、人のけぢめ見たてまつり分くべき御仲にもあらぬに、男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬあしたあり。人人、「いかなればかくおはしますらむ。御心地の例ならず思さるるにや」と見たてまつり嘆くに、君は渡りたまふとて、御硯の箱を御帳の内にさし入れておはしにけり。人間に、からうじて頭もたげたまへるに、ひき結びたる文御枕のものにあり。何心もなくひき開けて見たまへば、

 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を

 と書きすさびたまへるようなり。かかる御心おはすらむとはかけても思し寄らざりしかば、などてかう心うかりける御心をうらなくも頼もしきものに思ひきこえけむ、とあさましう思さる。

 そもそも源氏は藤壺への思慕を断ち切れずに、彼女と容貌が似ている若紫を引き取って理想の女性に育てようとしたのでした。そのうえ若紫の父(兵部卿宮)が藤壺の兄であり、女君は藤壺の姪にあたると聞いてますます執着します。さらに言えば、源氏が継母にあたる藤壺を思慕するようになったきっかけは、彼女が亡き母(桐壷の更衣)に似ていると聞かされたためでした。つまり幼い源氏にしてみれば、藤壺への思慕は、輪廻によって生まれ変わった母を慕っていることと変わらなかったのかもしれません。これが男女の情愛に育っていくわけです。

 成人した源氏の藤壺への想いは、常に禁断の苦渋と不全感に覆われています。それを代償するかのように、藤壺の姪にあたる若紫と契ります。したがって若紫と新枕を交わすことは、遠く亡き母である桐壷と契ることでもあったはずです。遂げられない母子相姦の願望が、ちょうど裏返ったかたちで若紫への父子相姦の願望として遂げられたことになります。

 「紫の物語」とも呼ばれる『源氏物語』の全編に流れているモチーフは、近親の濃密な性愛と言っていいかもしれません。「紫」は近親のエロスを象徴する色である、と言うこともできそうです。(2021.12.15)