現代文学として『源氏物語』を読む……第1回

源氏物語講義
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 『源氏物語』は54巻(帖)よりなる主人公・光源氏を中心とした約70年の物語です。光源氏の一代記として読めば、第44巻の「雲隠れ」までは彼が生まれ、育ち、恋をし、流謫(須磨・明石に蟄居)と昇進(准太上天皇・39歳)を経験しながら、老いて死ぬ話と言えます。

 さらに細かく見ると、第1巻「桐壺」から第20巻「槿」までは源氏の恋と成功の物語と言えます。つづく「乙女」から第41巻の「雲隠」までは、光源氏の中年以降で人生の苦渋の物語です。そして「宇治十帖」を含む「匂宮」から「夢の浮橋」までが源氏の死後、彼の息子(ということになっているが、じつは柏木の子)薫と女性たちの物語ということになります。

 主な登場人物は50人ほどで、端役まで入れると400人を超えると言われています。しかも物語は、いろんな人が絡み合ってとても複雑です。これを紫式部(970年代~1020年前後?)という女性がほぼ一人で書いたらしいのです。しかも1000年も前に!

 光源氏の一生を簡単に見ておきましょう。

 1歳 桐壺更衣、光源氏を出産。桐壺帝の次男にあたる。(「桐壺」)

 12歳 元服。左大臣の娘、葵の上(16歳)と結婚。藤壺(5歳年上)に恋心を抱く。(「桐壺」)

 17歳 頭の中将らと雨夜の品定め。(「帚木」)空蝉との逢瀬。(「空蝉」)六条の御息所(源氏より7歳年上、教養が高く魅力的だが執念深い)のところに忍ぶ途上、夕顔を見初める。夕顔、源氏との逢瀬の折、物の怪に襲われて死去。(「夕顔」)

 18歳 藤壺との逢瀬。藤壺、懐妊。紫の上を引き取る。(「若菜」)

 19歳 藤壺、後の冷泉帝を産む。源氏と藤壺の苦悩。(「紅葉賀」)

 22歳 葵の上、結婚10年目にして懐妊、夕霧を出産。六条の御息所の生霊のために死去。(「葵」)

 25歳 朧月夜との密会が発覚。源氏は中央政界にいづらくなって須磨に蟄居。(「須磨」)

 27歳 明石の君と逢う。その後20余年、彼女は源氏の愛人として生きる。(「明石」)

 28歳 明石の君、懐妊、明石の姫君を産む。源氏、帰京。政界に復帰し権大納言に昇進。(「蓬生」)

 32歳 藤壺、死去。冷泉帝、出生の秘密を知り源氏に譲位をほのめかす。源氏は固辞。(「薄雲」)

 39歳 准太上天皇の地位に就く。(上皇に准ずる。いまの内閣総理大臣みたいなもの?)(「藤裏葉」)

 40歳 女三の宮(14歳くらい)と結婚。兄・朱雀帝の娘で源氏にとっては姪にあたる。(「若菜」)

 47歳 柏木、女三の宮と密通。明石の姫君、匂宮(源氏の孫にあたる)を出産。(「若菜」)

 48歳 女三の宮、薫(実父は柏木)を出産ののち出家。柏木の死(密通を苦にして?)(「柏木」)

 51歳 紫の上、死去(43歳)。彼女は源氏を30年にわたって支えた糟糠の妻だった。(「幻」)

 52歳 源氏、死去。その最期は描かれない。ただ「雲隠れ」の一帖が置かれるのみ。

 少し註釈を加えます。最初の巻(「桐壷」)で光源氏の実の母である桐壷更衣が死んじゃいます。彼女は帝の寵愛を一身に受けたことから宮中の女たちの嫉妬をかってしまいます。そのストレスが死期を早めたと考えられます。桐壷帝の正妻(北の方)は弘徽殿大后(こきでんのおおきさき)という人です。桐壷更衣はいわば妾ですよね。ときの帝が正妻よりも妾のほうを可愛がるってんで、後宮の女御、更衣たちの神経を逆なでしちゃったんですね。

 おまけに桐壷更衣の家は没落気味で、あまり強い後ろ盾がいない。弘徽殿大后は『源氏物語』では一貫して悪役ですが、帝の正妻になるくだいだから家柄もいい。右大臣の娘ですからね。当時の摂関制でいえば藤原道長の娘みたいなもんです。そういう地位や勢力もあるから、後宮のなかでも彼女に見方する人が多かったんでしょうね。その反動で桐壷更衣はいじめにあうわけです。いやはや、人間のやることって、1000年前もいまもあまり変わらないなあ。

 桐壷帝は身分の低い桐壺更衣から生まれた第二皇子(光源氏)を、外戚の威力もない親王にしておきたくないと考えます。親王というのは、いってみれば皇太子のスペアみたいなものです。桐壷帝と弘徽殿大后のあいだには息子(朱雀帝)がいて、これがつぎの帝になることはきまっているわけです。もし皇太子に何かあったときのために、二番手として親王がいるわけですね。要するに血統を絶やさないためにだけ生存するわけですから、本人は空しいと思うんです。桐壷帝もそう考えて、光源氏を臣籍に移す。「一代源氏」といいます。これによって光源氏は皇族ではなくなるわけですが、実務家として朝廷のなかに活躍の場が与えられる。実際、光源氏は朝廷のなかでどんどん出世して、最終的に太政大臣という最高位に昇り詰め、准太上天皇という帝並みの扱いまで受けることになります。

 光源氏が12歳で元服して16歳の葵の上と結婚するっていうのも、現代の感覚からするとすごいですね。でも当時は人生40年から50年ですからね。人の一生はいまの半分か三分の二くらいだった。すると12歳はいまの18~24歳くらいで、結婚してもおかしくないですよね。葵の上は24~32歳くらいで、いずれにしてもかなり姉さん女房ってことになります。まあ、こういう単純な計算でいいのかどうかわかりませんが。

 史料などを見ると、当時、男子12歳で結婚というのはわりと普通だったみたいです。醍醐天皇っているでしょう? 紫式部よりも100年くらい前の人ですけどね。この人は13歳で即位して、十代ですでに5人から8人の子どもがいたそうです。少なくとも7人以上の皇后、女御、更衣に取り囲まれていたっていうんだから、もう種馬みたいなもんですよね。ほとんど子どもづくりに明け暮れていたんじゃないかな。

 ちなみに『源氏物語』は醍醐天皇とか朱雀天皇とか村上天皇とか、だいたい紫式部より100年くらい前の時代の出来事を題材にして書かれていると言われています。光源氏のモデルと言われている人はたくさんいますが、そのうちの一人、源高明は醍醐天皇の皇子です。もう一人、有力なモデルとされる源融は、醍醐よりさらに100年ほど前の嵯峨天皇の皇子です。彼らの身に起こったゴシップみたいなものを、紫式部はうまく取り入れているわけですね。

 光源氏のプレイボーイぶりもすごいですね。葵の上という正妻がいるのに、7歳も年上の六条の御息所を愛人にしている。しかも愛人宅へ向かう途中で夕顔を引っかけちゃったり。もう完全に不良です。きわめつけは自分の実の父親の後妻(藤壺)とできちゃったことです。実の母親である桐壷更衣は源氏を生んですぐに亡くなりますから、彼は母親の顔を知らないんですね。それで亡き母を思慕するのですが、まわりが「藤壺さんは亡くなったあなたのおかあさんにそっくりですよ」なんて吹き込むものだから、幼い源氏はすっかり藤壺に懐いて、やがて男女の恋愛感情に育っていくわけです。二人は何度か密通して、のちの冷泉帝が生まれます。このあたりの展開は完全に不倫小説で、じつにスリリングです。どうぞお楽しみに。

 あともまだいろいろあるけれど、あまり一度に喋ると大変なのでもう一つだけ。光源氏の正妻は葵の上と女三の宮と、正式にはこの二人だけです。源氏が生涯にわたっていちばん長く過ごした女性は紫の上ですが、彼女を正妻とするかどうかは微妙なところです。もともと光源氏が18歳のときに略奪してきた少女ですからね。このとき若紫は10歳くらいです。身分的にもそぐわない。ただ物語のなかでは紫の上と呼ばれています。「上」というのは正妻(北の方)に付ける敬称です。だから婚姻関係として正妻ではないけれど、実質的に北の方の扱いを受けていたということだと思います。

 光源氏の子ども(実子)は3人です。まず正妻である葵の上とのあいだに夕霧、それから藤壺中宮とのあいだにのちの冷泉帝(これは父親の後妻とのあだにできた不義の子)、最後は明石の御方とのあいだに生まれた明石の姫君。当時としては少ないかもしれません。長年連れ添った紫の上とのあいだに子どもがいないっていうのも、ちょっと寂しいですね。

 最後に作品の主題について少し考えてみましょう。いろいろな読み方ができますが、作者が女性であることを考えると、当時は一夫多妻(多妾)制であったことは押さえておいたほうがいいでしょう。葵の上にしても紫の上にしても、夫が自分以外の女性とかかわりをもち、その女性に子どもが生まれることを婚姻の風習として受け入れるしかなかった。そうした女性たちの苦しみ、葛藤が作品全体の大きなテーマになっていると思います。六条の御息所の物の怪も、女たちの悲哀を体現していると見ることができるかもしれません。

 因果応報の物語と言うこともできると思います。物語に色濃く描かれるのは、自分たちが犯した不義に翻弄される男と女です。光源氏は義母である藤壺と密通して、藤壺は懐妊、後の冷泉帝を産みます。ところが源氏が40歳のときに娶った女三宮は若い柏木と密通し、女三宮は不義の子、薫を産むことになる。こうして源氏は父・桐壺帝と同じ立場に立たされます。かつて父の妻を奪った彼が、今度は自分の妻を奪われる。父も藤壺との密通を知っていたのではないか? そう考えて、源氏は自分が犯した過ちに打ちひしがれるのです。

 さらに政治小説的な性格ももっています。物語背景に藤原氏による階位の独占(摂関政治)があります。閉じられた世界における、せいぜい数十人の貴人たちの物語です。そこでは結婚ひとつをとってみても、天皇の外戚となって政治の実権を握ろうとする政治的な駆け引きがある。光源氏について言えば、弘徽殿の大后とその父右大臣による政界からの追放、復帰、昇進という生涯をたどります。

 もう一つ強調しておきたいことは、『源氏物語』は当時のすぐれた風俗小説であったということです。『源氏』のなかで語られるエピソードは、『大鏡』や『栄花物語』に記された、源融、藤原兼家、花山天皇、藤原頼道など、実在の人物の身に起こった出来事と照応するものが多いのです。最初の読者であった宮中に仕える女房たちは、物語を読んで「あっ、これはあの人のことだ」とすぐにわかったでしょう。そういう女性週刊誌的なところが多分にあったのだと思います。それが当時から『源氏物語』が多くの読者を得た理由の一つだったと思います。非常に高度で繊細な世界が描かれているのですが、その元ネタは意外と通俗的なものだったのかもしれません。(2021.9.15)