現代文学として『源氏物語』を読む……第6回 近親のエロス(1)

源氏物語講義
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 『源氏物語』のうち光源氏を主人公とする部分(第41章「雲隠」まで)について見ると、彼にとって重要な女性は藤壺と紫の上ということになります。まさに「紫」の女性たちをめぐる物語です。今回は第5章の「若紫」を見てみましょう。この帖では大きな二つのエピソードが扱われます。

 一つは源氏が藤壺の姪にあたる若紫を見初め、なんとしても自分の手で育てたいと考え、いろいろ策略をめぐらせた末に、ほとんど略奪みたいにして自分の邸(二条院)に連れ帰ること。もう一つは藤壺との密通と懐妊です。そのうち今回は藤壺との逢瀬を見ていきましょう。

 もう一度系図を整理しておくと、光源氏の父はときの天皇である桐壷帝です。桐壷帝の正妻(中宮)は弘徽殿の女御といいます。彼女はときの右大臣の娘だから後ろ盾がしっかりしている。ところが桐壷帝は桐壷の更衣(光源氏の実の母)という、それほど後ろ盾のしっかりしていない女性を溺愛したものだから、更衣は宮中に仕える多くの女性たちの妬みや恨みを買い、心労が募るようにして亡くなってしまいます。後妻に迎えたのが藤壺の女御でした。彼女は亡き母親に瓜二つだと聞かされて育った幼い源氏は、いつしか藤壺を思慕するようになっていきます。

 しかし藤壺は天皇の側室ですから、なかなか近づけない。それだけに一層思いは募ります。というところで問題の場面に進みます。源氏が若紫を自分の邸に迎えようと画策しているころ、藤壺の女御が病気になって里に下ります。父の帝は心配しきりですが、息子の光源氏としてはチャンス到来といったところでしょうか。藤壺の侍女(王命婦)に早く手引きをしろと催促します。

 いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどに、現とはおぼえぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむ、と深う思したるに、いとうくて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむ、と、つらうさへぞ思さるる。

 ここはどの訳者も苦労しています。丁寧に訳そうとするほどぎくしゃくした文章になるみたいです。円地文子は説明を補い過ぎて暑苦しくなっている。瀬戸内の訳はわかりやすいが散文的で雰囲気がない。与謝野晶子の訳も無骨で良くない。いちばんうまく訳しているのは谷崎かなあ。細部に拘泥せずにさらりと訳すほうがいいのかもしれませんね。

 どのやうに計らつたことなのか、たいそう無理な首尾をしてやうやうお逢ひになるのでしたが、その間でさへ現とは思へぬ苦しさです。宮も、あさましかつたいつぞやのことをお思ひ出しになるだけでも、生涯のおん物思ひの種なので、せめてはあれきりで止めにしようと、固く心におきめになつていらつしやいましたのに、また此のやうになつたことがたいそう情なく、遣る瀬なささうな御様子をしていらつしやるのですが、やさしく愛らしく、と云つて打ち解けるでもなく、奥床しう恥かしさうにしていらつしやるおん嗜みなどの、やはり似るものもなくていらつしやいますのを、どうしてもかうも欠点がおありにならないのであらうかと、君は却つて恨めしいまでにお思ひになります。(谷崎訳)

 無理な算段をして逢ってみたが、これが現実のこととは思えなくて残念である、と思っているのは源氏です。一方の藤壺は、思いもよらなかったあの夜のことを思い出すだけで呵責をおぼえ、もう同じ過ちは繰り返すまいと固く心に誓っていたのに、再びこんなことになってしまったことが情けない、と思っている。ということは、すでに一度目の密会があったことになりますね。その場面は、現在残っている『源氏物語』には書かれていません。最初から作者は書かなかったのか、それとも失われてしまった章があったのか、研究者のあいだでも意見が分かれているようです。

 本文に戻ります。藤壺は心が乱れながらも、源氏にたいしてはやさしく情のこもった愛らしさを示します。とはいえあまり馴れ馴れしく打ち解けた様子は見せない。どこまでも奥ゆかしく、優雅な物腰などはやはり他の女性とは比べようもない。このあたりの描き方はうまいなと思います。源氏としては、どうしてこの人は、こちらが物足りなく思うようなわずかな欠点さえも混じっていないのだろう、とかえって恨めしく思ってしまうのです。ここは『源氏物語』全編を通してみても、クライマックスの一つだと思います。

 こんな出来事があって藤壺は懐妊します。ときの帝の后を、その実子である光源氏が妊娠させてしまったのです。戦前に『源氏物語』が不敬の書とされたはずですねえ。

 宮も、なほいと心うき身なりけり、と思し嘆くに、なやましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使しきれど、思しも立たず。まことに御心地例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、人知れず思すこともありければ、心うく、いかならむとのみ思し乱る。

 藤壺は体調がすぐれないので里に下がっています。心身の不快がいっそう増大しているのは、源氏の子を身ごもったからです。宮中からは早く参内なさいとのお使いがしきりに来るけれど、そういう気持ちになれない。「例のやうにもおはしまさぬ(普通のようではいらっしゃらない)」とは悪阻(つわり)のことでしょう。通常は妊娠5週目ごろから起こるとされますから、少なくともそのころに源氏との密会があったことになります。本人も「人知れず思すこともありければ」(心ひそかに思い当たることがあったので)と認めています。そして「いかならむ」(これからどうなるんだろう)と思い煩っているのです。

 妊娠も3か月を過ぎて、さすがに人目にもつくようになりました。女房たちは帝の子だと思っているので、どうしてもっと早くお知らせしなかったのだろうと怪しんでいます。「わが御心ひとつには、しるう思し分くこともありけり(自分のお心一つには、はっきりとおわかりになることもあった」とあるように、藤壺には源氏の子であることがはっきりとわかっています。懐妊の真相を知っているのは、本人の他には密会の手引きをした王命婦ただ一人です。

 その命婦の心情を、「なほのがれがたりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ(なんとしても逃れることができなかった前世のお約束事があったことを、命婦は嘆かわしく思う」と作者は書いています。「宿世」とは前世からの因縁といった意味の仏教用語です。「前の世の定め」という考え方は、『源氏物語』全編を通奏低音のように流れています。

 「若紫」のつぎは「末摘花」ですが、ここは飛ばして第7章の「紅葉賀」へ進みましょう。源氏は18歳か19歳で、研究者によって年立(としだて)が若干違うようです。冒頭に「朱雀院の行幸は神無月の十日あまりなり」とあります。朱雀院には桐壷帝の先帝(おそらく父か兄)が住んでおり、祝賀(40歳か50歳の祝い?)に桐壷帝が出かけるのが十月中旬です。その折に光源氏と頭中将が舞うことになっている、青海波(せいがいは)という雅楽の試楽(リハーサル)が清涼殿で催されます。どうやら本番を見られない身重の藤壺女御への帝のはからいだったようです。やさしいダンナですね。

 翌朝、源氏は藤壺に歌を贈ります。「昨日のわたしの舞い、いかがご覧になりましたか。あなたへの切ない想いに心乱れながら舞ったのでしたが。」これにたいし藤壺は珍しく返歌をしています。通常は自分の立場を考えて無視しているんですがね。

 から人の袖ふることは遠けれど たちゐにつけてあはれとは見き

 しみじみ感慨深く拝見しました、くらいの意味でしょうか。藤壺が「から人(唐人)」と言っているのは、青海波がもともと唐楽を改作した雅楽の曲目だからです。実際には源氏への複雑な感情が渦巻いて、とても無心に見られなかった、というのが本音でしょう。そのことを悲しんでいるようにもとれます。一方、返事をもらった源氏は大喜びです。「持経のやうにひきひろげて見ゐたまへり」とありますから、尊い法華経のように押し戴き、いつまでも見入っているといったところでしょう。彼の藤壺へのひたむきな愛着がうかがえます。

 その藤壺の子が、予定日を過ぎても生まれないので帝も女官たちもやきもきしています。藤壺は出産の遅延をあやしまれて、源氏とのことが露見しないかと恐れ嘆いています。源氏のほうは密会の時期を重ね合わせて「やっぱり」と思っている。このあたりの三者三様の心のうちの描き方は見事です。年が改まり、二月になってようやく男の子が生まれます。それまでの心配や疑惑は消し飛び、一同は皇子の誕生を喜ぶ。

 帝は一日も早くわが子を見たいと思いますが、藤壺は「生まれたばかりで見苦しいころですから」などと言ってなかなか見せようとしない。男児があまりにも源氏と似ているので、見せればかならず父親が誰かわかってしまうだろうと心配しているのです。四月になって、若宮は「父」の帝のもとへ移ります。当然、桐壷帝は皇子を溺愛しますよね。あるとき遊びに来ていた源氏に「わが子」を見せます。

 「皇子たちあまたあれど、そこをのみなむ、かかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ」とて、いみじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心地して、涙落ちぬべし。

 帝は無邪気にも「おまえによく似ているなあ」などと言っています。それを聞いて源氏は青くなる。皇子たちはたくさんいるけれど、そなた(源氏のこと)だけを幼いころから明け暮れにそばにおいて見ていたものだ。そのせいだろうか、この子はまことにそなたによく似ている。ごく小さいうちは、みんなこんなものなのかねえ。

 実の父にそんなことを言われては、源氏ならずとも「かたがたうつろふ心地して」涙をこぼすしかなかったでしょうね。それにしても桐壷帝は本当に真相を知らなかったのでしょうか。あるいはうすうす感づいていて鎌をかけているのでしょうか。みなさんはどう思いますか?

 このあたりは戦前の出版ではみんなカットだったようですよ。前にも少し触れたように、軍国主義の時代に天皇の后をめぐる不義密通の話はまずかったのでしょうね。(2021.12.1)