第5話 「小岩井農場」③
しばらく前の新聞に、シリア北部ラッカ近郊にある「国境なき医師団」支援の病院に派遣されていた看護師が現地の状況を語ったものが載っていた。
ある日の急患は父親と4歳の娘でした。先頭を歩いていたとみられる母親が手術室に来ることはありませんでした。父親は両足を切断し、目を覚ました後は自殺を防ぐのに病院のスタッフは必死でした。目を覚ますと足を地雷で失ったと分かり、叫び続ける若い女性には、鎮痛剤の処方に苦労しました。しかし「痛いのではなく、恐怖で叫んでいた」と途中で気づきました。(2017年11月2日付『赤旗新聞』)
ぼくたちの目に直接には触れないところで、いまも人間の歴史は血みどろだ。「遠いともだち」に出会う必要がある。ともだちの名前はユリアとペンペル。彼らは数億年の彼方からやって来た。現生人類が受け継いでいるミトコンドリアDNAという母系の遺伝子をたどっていくと、19万年前ごろに生きていた2000~1万人のアフリカ人に行き着くらしい(スティーヴン・オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』)。彼らは過去5万年のあいだにアフリカを出てヨーロッパやアジアへ移動した。このとき彼らは、「すでに描き、話し、踊る完全な現生人類だった」という。
なるほど。ぼくたちにとっての「遠いともだち」は、少なく見積もって5万年~20万年くらいの時間を移動してやって来たのだ。彼らは「描き、話し、踊る」、おそらくは呑気な人たちだった。糖質セイゲニストの夏井睦さんによると、先史時代のヒトの人口密度は1平方キロメートルあたり0・1~1・0人と推定されており、これはJR山手線に囲まれる範囲に6~60人が生息している状態に相当するらしい。15人の集団で生活していたとすると最大でも4グループである。非常に人口密度が低かったから他の集団と遭遇することもなく、食糧をめぐって争うこともなかった。争うくらいなら逃げる(移動する)のが、先史時代のヒトの基本姿勢だった。
ちなみに夏井さんは、ヒトが主に草原に生息する昆虫などを採集して暮らしていた500万年~5万年前を「先史時代」としておられる。
先史時代のヒトの脳の基本仕様は、「努力しない、頑張らない、困ったら逃げる」であり、ヒトの脳が「努力する、頑張る、困難に立ち向かう」仕様になるのは今から5万年前以降のことで、ヒトの歴史500万年からすると、つい最近の変化である。(『炭水化物が人類を滅ぼす【最終回答編】』)
糖質セイゲニスト夏井によると、この時代の一日あたりの移動時間(すなわち生きるための労働時間)は2~3時間程度であり、彼らは暇にまかせてセックスばかりしていたというのだが、ホンマかいな? まあ、結構なことではある。だが、〔小岩井農場〕でともだちを迎える「いちねんせい」にとって、明けても暮れてもセックス三昧というのは、いかがなものか。だが心配はご無用。そこは詩人・宮沢賢治。ともだちの名前はユリアとペンペル、数億年の彼方からやって来た。ヒトが誕生する遥か以前、ほとんど地質学的な遠方である。
(22017年12月14日)