蒼い狼と薄紅色の鹿(31)

創作
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 翌日、午後一時からはじまった葬儀は、時計で計ったように一時間で終わり、午後二時には出棺となった。父がどんな葬儀を望んだのかわからない。たずねてみたこともないけれど、おそらく葬儀専門の会館などは避けたかったはずだ。わたしもセレモニー・ホールなどで目にする芝居がかった演出は苦手である。しかし面倒なので、病院が紹介してくれた葬儀会社に任せることにした。葬儀には思ったより多くの人が参列してくれた。ほとんどが仕事関係だったようだ。

 市が運営する街はずれの葬祭場へ移動し、控室で父が焼けるのを待つあいだのことだ。久しぶりに会った叔父が、いくらか酒の酔いも手伝って故人の思い出話をはじめた。叔父は中学校の三年間を野球に明け暮れた。主戦投手として県大会へ進み、かなりの成績を残したので、県内外の幾つかの高校から野球進学の話が来た。しかし本人は迷った。五つ上の兄が家族のために進学をあきらめ、広島の法律事務所で働いていることは知っている。自分だけが好きな道に進むのは気が引けた。 
「進学を勧めてくれたのは兄貴さんやった」叔父はしみじみと言った。
 学費は学校がもつと言っている。部員は寮生活なので金もかからない。家計への負担はほとんどない。むしろ喰い扶持が減って助かるくらいだ。そう言って、父は叔父に進学を勧めたという。
 その後、肩を壊してピッチャーから野手に転向した。野球で入った高校である。向こうも使えるものなら使いたかったはずだ。肩を壊しても、内野手くらいならつとまると本人も高を括っていた。もともと左利きなので一塁手には好都合だった。だが慣れない守備練習で、今度は足を痛めた。怪我が治って野球ができるようになっても、他の部員たちからは水をあけられている。しだいにレギュラーを外れることが多くなった。ベンチにも入れない試合がつづくと気持ちが腐ってくる。
「悪い友だちに誘われて、遊びの味をおぼえるようになってな。なんといっても、まだ高校生やけん」
 そうなると辛い練習には戻れない。グラウンドで汗水たらしている仲間が滑稽に見えた。酒やたばこで何度か補導されて、野球部は退部になる。部員のための寮を出れば住むところもない。そんな話をひとくさりしたあとで、叔父はAサイズほどの茶色い紙の各封筒を差し出した。
「今日はあんたにこれを渡そう思うてな」
「なんですか」
「小説らしいで」
「父のですか?」
「ほんまは作家かなんかになりたかったのやないかな」
 悪い冗談でも聞かされている気分だった。
「いつごろのことなんですか」
「広島の法律事務所で働いとったときやと思う。わしのほうは野球部の先輩で世話をしてくれる人がおって、大阪の小さな食品会社に勤めるようになった。ようやく堅気の暮らしに戻ったところで、心配をかけた兄貴さんに会いに行ったのよ。その夜は二人で酒を飲んでね。別れる間際に手渡されたのがこれや」

 あらためて封筒を見ると、長く時間の経ったせいか、表面は焼け焦げたように変色している。
「兄貴さんが言うには、自分はこれから司法試験をめざす。根を詰めて勉強せねばならんから、こんなものを書いとる暇はない。手元にあると未練が残るさかい、おまえが持っといてくれ言うてな。邪魔になったら捨ててしもてもかまわん言うさかい預かったわけや。まあ、兄貴さんなりに区切りをつけたかったのやないかな」
 話を聞きながら頭のなかが茫洋としてくる。あの父に文学を志した時期があったのだろうか? 意外というよりも不意打ちを食らった気分だった。そんなことは一切口にしなかったし、こちらも父が若いころ何になりたかったかなど、考えてみることもなかった。
「大事にとっといてよかったわ」叔父はいかにもほっとした様子で言った。「なんとなく肩の荷が下りたような気がする」
 わたしはあらためて礼を言った。
「兄貴さんには悪いが、中身は読んどらん」叔父はいくらか申し訳なさそうに言い添えた。「もともと小説などは性分に合わんし、ことに兄弟が書いたものとなると照れくそうてな」

 封をされていない封筒の口を開くと、クリップで綴じられた四百字詰めの原稿用紙が出てきた。二十枚ほどだろうか。文字は黒のインクを使って万年筆で書かれている。たしかに見覚えのある父の手だった。本人が書いたものであることは間違いないらしい。
 一枚目に『骨笛』とタイトルらしいものが記され、一行あけて本文がはじまっている。小説のタイトルを目にしたとき、四半世紀におよぶ長い時間を超えて、わたしのなかに甦ってくる声があった。母の遺体が焼けるのを待っているあいだのことだ。
「火葬というのははかないものだなあ。こんなふうに焼いてしまっては、骨は撒いて捨てるか、壺にでも収めるしかない」
 喋っているのは紛れもなく父だった。まるで裁判の判例でも参照するような話しぶりだ。
「ものの本によれば、昔から人体が道具として利用されてきた例は多いようだ。ラマ教の高僧の頭蓋骨によって作られる杯はカパーラと呼ばれ、宗教的儀式には欠かせないものだったらしい。チベットの骨笛も大腿かどこかの骨から作られていたはずだ。やはり宗教的な儀式に使われ、現地ではきわめて神聖なものとされている。われわれの社会が失っているのは、聖なるものという観念かもしれないな」

 それにしても、いったいどこで父はそんな話をしたのだろう。わたしはどこでその話を聞いたのだろう。まさか母の類縁が集まっている場所ではあるまい。慌ただしい葬儀と火葬の最中に、父と二人になる機会があったのだろうか。
 あらためて机の上の原稿に目をやった。果たして読むべきかどうか迷った。何が出てくるかわからない。このままそっとしておいたほうがいいのかもしれない。だが読まずにいるのは難しかった。おそらく本人以外には、誰も読んだことのない作品。二十歳かそこらの若い父が、自由にならない時間をやりくりしながら綴った作品を、わたしは手ごわい謎に挑むような気持で読みはじめた。