蒼い狼と薄紅色の鹿(27)

創作
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 あのころ自分がどんなふうにして暮らしていたのか、まったくおぼえていない。きっと自己憐憫の靄のなかで、深い悲しみとともに生きていたのだろう。家のなかに閉じこもり、一日の大半は寝ていたのかもしれない。ろくに食べず、着替えもせずに、廃人に近い状態で過ごしていたのだろう。母と同じように、生きる気力も死ぬ気力も湧いてこない強い抑うつ状態に逃げ込むことが、ほとんど唯一の生き延びる手段だったのかもしれない。

 悲しみを分かち合う人がいないのは幸いだった。いくらふさぎ込んでいても、その理由に気づく者はいない。あのような状態で慰めの言葉を聞かされるほど苦痛なことはないだろう。一人にしておいてもらうのがいちばんだった。わたしが体験したことは、誰かにわかってもらえるようなことではない。当事者として体験したことは言葉にできない。自分一人の闇のなかで、日々をやり過ごすのが最善なのだ。同じ家に暮らす父が息子に無関心だったことも、このときばかりはありがたかった。

 時間は最大の治療薬である、とひととおりの意味では言えるだろう。どんなに耐えがたい過去も、傷を被う瘡蓋のような現在が積み重なって、少しずつ凌ぎやすいものになっていく。しかしわたしは彼女のいない現在に、いつまでも慣れることができなかった。ときどき死んだことを忘れて、手紙の文面などを考えている。わたしにとって生きることは、彼女に向かって生きることだった。毎朝、目が覚めるのは彼女がいるからだ。食べること、考えること、本を読むこと、音楽を聴くこと、すべてが一人の人間に結び付き、そこに収斂していった。

 物理的な時間としては、一年ほどに過ぎない。だが時間の長短は関係ないのだろう。あの一年は、わたしにとって一生にも匹敵するものだった。だから何十年も連れ添った相手を亡くしたのと変わりなかった。もういないのだと頭ではわかっていても、時間はなお「二人」という時制を流れつづけていた。

 馴染み深かった世界が、地の果てまで無人になったように感じられた。他の人間はことごとく死に絶え、自分一人が生き残った気がした。その生き残った者も、地面が少し揺れただけで、こなごなに壊れてしまうだろう。ガラスでできた自分を恐る恐る運んで、人の気配の絶えた世界を意味もなく生きていた。毎日律儀に眠っていたのは、いまから考えると不思議な気がする。若かったせいだろうか。大きな悲しみが眠りに逃避させたのかもしれない。近ごろでは平穏無事な日でも、薬の力を借りずにはうまく眠れないことが多いというのに。

 不幸という自覚はなかった。ただ深い悲しみだけがあった。きっと不幸と悲しみは別のものなのだろう。悲しみが深いときには泣くことさえできない。涙は甘美な贅沢品に思えた。それでも一度だけ、涙が溢れてきたことがある。

 安否をたずねて神戸の街を歩きまわっていたときのことだ。街に入ってから何日経ったのか、すでに定かではなかった。あちこちで火がたかれ、瓦礫のなかには無数の花束が置かれていた。そのたびに、ここで人が死んだのだと思った。

 工場のようなところが燃えて、焼けた鉄骨だけが積み上げられていた。その上に腰を下ろして、男がギターを弾いていた。古いブルースのようだった。わたしは彼の横に坐って、聞くともなく演奏に耳を傾けた。不意にギターの音がやんだ。

「秘密を教えてやろうか」男は前置きもなしに話しかけてきた。「じつはおれ、天使なんだ。神さまがこの街に遣わされたのだが、おれは街を守ることができなかった。見ろよ」
 男は虚ろな目を前方の瓦礫の山に向けた。
「おれの責任だ。神さまの言うことを聞かずに酒ばかり飲んでいたせいだ」そう言って、男はコートのポケットからウイスキーの小瓶を取り出して飲んだ。
「一杯どうだ」

 わたしは首を振って断った。それから思い直して、男が持っているウイスキーに手を伸ばした。彼は素直にボトルを渡した。天使と一緒に酒を飲むのは、瓦礫の街にふさわしい気がした。酒が咽喉を滑り落ちていくのと入れ替わりに不思議なことが起こった。どこからともなく「月の光」が聴こえてきたのだ。もちろん実際に音が流れていたのではなく、わたしの頭のなかに甦り、胸に溢れてきた。

 冬の寒い日、彼女の部屋で聴いたドビュッシー。そのメロディに触れたとき、懐かしさとも切なさとも悲しみともつかないものがこみ上げてきた。それらが混じり合って涙となって流れた。涙で潤んだ瓦礫の街を、「月の光」は流れつづけた。