創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(23) 二人はまるで事前にブリーフィングでもしてきたみたいに、ぴったり歩調を合わせてシメジとポルチーノのトマト・パスタを食べ終えた。いまは点心系の中華総菜を細々とつついている。ウーロン茶でも淹れてやるべきなのだろうか、あいにくそんな健全なものは置い... 2024.08.25 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(22) レシピには弱火でじっくり三十分くらい炒めると書いてある。なんと、三分ではなくて三十分である! 誰がそんな悠長なことをやっていられるものか。残された人生の時間は限られている。開けたワインはすぐにグラスに注いで飲むべきである。だいたいオープナー... 2024.08.23 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(21) マンションはオール電化になっている。原子力発電は実用化のめどが立たない粗悪な技術と考えているわたしとしては気に入らないところだが、建物全体の仕様がそうなっているのだからしょうがない。IHヒーターにコーヒー・ポットをかけたところで藤井茜がたず... 2024.08.21 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(20) 午後三時に香椎駅で二人をピックアップした。車でアイランドシティへ向かい、途中のフード・マーケットで酒と食材を買っていくことにした。ここは酒も食材もたいしたものは置いていないのに、なぜかチーズだけは充実している。わたしは日本酒にもワインにも合... 2024.08.18 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(19) 8 マンションは西戸崎にある。海の中道線というJRの終着駅から少し行ったところで、目の前は博多湾だ。三階の部屋から眼下に見える砂浜には、いつも大小の波が打ち寄せており、朝や夕暮れ時には犬を散歩させたりジョギングしたりする人たちの姿が見られた... 2024.08.17 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(18) 最後に会ったのは十二月だった。クリスマスを過ぎて、大学は冬休みに入っていた。彼女のアパートは男子禁制で、六つある部屋には同じ女子大へ通う学生ばかりが住んでいた。わたしが訪れたときには彼女を含めて二、三人が残っているだけだったが、それでも用心... 2024.08.12 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(17) 7 1990年代には、まだ多くの人が頻繁に手紙を書いていた。スマートフォンはおろか携帯電話もわたしのまわりでは目にしなかった。インターネットもほとんど普及していなかった。新しいテクノロジーの到来には間に合わなかった。わたしたちは携帯電話もメ... 2024.08.08 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(16) 日がすっかり落ちてから、二人は高椋魁のアパートを出た。最寄りの駅から藤井茜はJRで家に帰る。途中で公園に立ち寄った。小さな池のまわりに桜が植えられ、数分もあれば一周できるほどの遊歩道が整備されている。池の向こうに茶碗を伏せたような築山が見え... 2024.08.06 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(15) 話は六年前、彼が十三歳のときにさかのぼる。本人の言によれば自殺未遂だが、トラックの運転手からの通報を受けて現場に駆け付けた救急隊員も、また現場検証をした警察官たちも、少年が自転車の操縦を誤ったことによる事故とみなした。とくに両親は「事故」に... 2024.08.05 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(14) 6 オート・ハープという楽器をご存知だろうか。ハープという名前がついているけれど形状は洗濯板に近い。長方形の木箱に弦が張ってある。弦の数は三十六から七というから、このあたりはハープに近いだろうか。二十一のコード・バーが付いていて、バーを押し... 2024.08.04 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(13) あれから四半世紀のときが流れた。そのころは二十五年後の自分など考えてみることもなかった。けれども歳月は流れ、わたしは律儀に歳をとった。一方の彼女は十九歳のまま、薄紅色の鹿のままで、ブラウスはいまも雨に濡れて透き通っている。この写真のなかで生... 2024.08.01 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(12) プルーストの長大な小説では、冒頭の眠りをめぐる長い記述に多くの人がうんざりさせられる。なかでも「就寝の悲劇」と呼ばれる母親とのエピソードは、読むのにかなりの忍耐を要する。マルセルという名の幼い主人公は、母親が「おやすみのキス」のために二階の... 2024.07.30 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(11) 5 父の仕事は、いわゆる顧問弁護士というものだった。企業法務に精通した十人ほどの若手弁護士を率いて事務所を立ち上げ、どこか後ろ暗いところのある会社のための訴訟対応や紛争解決によって、けっこうな報酬を得ていたようだ。仕事一筋で、妻のことも家庭... 2024.07.29 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(10) 鳥取から中国山地を抜けて岡山まで出て新幹線で神戸に戻る、というのが彼女の予定している帰路だった。少しでも長く一緒にいたかったので、わたしも岡山まで同じルートで行くことにした。山間を走るローカル線に揺られているうちに天気が崩れ、日が沈むころに... 2024.07.26 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(9) 喫茶店で軽い昼食を済まし、コーヒーを飲みながら、わたしはほとんど無節操に自分のことを話しはじめていた。数日前に母親を亡くしたこと。長く患っていた病気のこと。ほんの一、二時間前に会ったばかりだというのに。彼女は告解を聞く司祭のように、見ず知ら... 2024.07.24 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(8) 大学二年生の秋に母が死んだ。入院先の病院から一時帰宅しているあいだの出来事だった。あまりに唐突だったので、何も感じなかった。感じることができなかった。ただ奇妙な既視感があった。予期せぬこととはいえ、その死は意外なものではなかった。 日ごろか... 2024.07.23 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(7) 4 色の褪せかけたプリントに、十九歳の彼女が写っている。三月末、大学の春休みにはじめて神戸を訪れたときに撮ったものだ。父から借りたオリンパスの一眼レフだったと思う。いくらか露出が不足しているのは雨のせいだろう。とはいえ出来の悪い写真ではない... 2024.07.22 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(6) 藤井茜がハンバーガーを睨んでいるあいだに、高椋魁はスマートフォンを取り出して素早く操作した。「いまネットで調べてみたけど、この店のビーフパティにはちゃんとニュージーランド産とオーストラリア産の牛肉が使ってある。ちなみにポークはアメリカ産」 ... 2024.04.18 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(5) 3 研究室で小一時間ほど過ごしたあと、二人は部屋を出て二号館の通路をとぼとぼ歩き、エレベーターで六階から一階まで降りる。そこには乙女心をくすぐるこぎれいな庭園が広がっている。手入れの行き届いた芝生とつつじの植え込み、噴水のある池、誰かの無粋... 2024.04.18 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(4) 二人を部屋に招いたのはたんなる気まぐれで、彼らが手に余るような心の闇を抱えていると直感したわけではない。ふとした出来心というか、雨に濡れて泣いている子猫を家に連れて帰るようなものだ。ときどきこんな気まぐれを起こすことがある。どうも自分の意思... 2024.04.18 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(3) こうして首尾よく国際文化学部日本文化学科のなかに、文芸創作と文芸研究という二つの怪しげなクラスが開設されることになった。 文芸研究のクラスでは、主に日本の近代文学について教えている。今週は東海散士の『佳人之奇偶』と三遊亭円朝の落語速記本をテ... 2024.04.17 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(2) 2 いまどきの大学で文芸創作などという講座を開設しているところは珍しいだろう。文科省の役人たちは高校や大学のカリキュラムから文学を抹殺しようと躍起になっている。愚かなことだ。連中には何もわかっていない。これからは文学の時代、物語の時代だとい... 2024.04.16 創作
創作 蒼い狼と薄紅色の鹿(1) 1 十九世紀オーストリアの作家、アーダベルト・シュティフターの話をしている。学生たちには彼の代表作である『晩夏』の一部をコピーして配ってある。トーマス・マンが絶賛し、ニーチェが愛読していたという作品だ。三十人ほどいる学生のうち、話を聞いてい... 2024.04.15 創作
ネコふんじゃった 98)魔法のような音楽が詰まった三枚組 ジョンの死は、わけがわからなかった。それから二十一年後、ジョージが亡くなったときは純粋に悲しかった。ビートルズのアンソロジー・シリーズが完結し、これからは三人で「ビートルズ」をやっていくのだと思っていた矢先。ジョージの死によって、ぼくのなか... 2023.12.25 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 97)ポールがやって来た、ヤァ、ヤァ、ヤァ 十一年ぶりの来日である。福岡公演は二十年ぶり。その二十年前の公演は、ぼくも観にいった。ほぼ全曲一緒に歌った(歌えてしまった)自分に呆れつつ、あらためてポールとビートルズの偉大さを実感した。七十一歳になったポール。福岡での第一声は「カエッテキ... 2023.11.26 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 96)はじめて買ったロッドのアルバム 中学三年生の夏休み、ロック好きの友だちの家に遊びに行き、いつものように「何か新しいレコード買った?」とたずねると、「声が独特だから好き嫌いが分かれると思うけど、おれはすごく気に入っているんだ」と言って、彼は一枚のレコードを取り出してきた。一... 2023.09.22 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 95)数々のカバーを生んだ名盤 ミュージシャンズ・ミュージシャンという言い方をすることがある。多くのミュージシャンに影響を与え、彼らから敬愛されるミュージシャンという意味だろう。今回ご紹介するJJ・ケイルは、まさにそんな人だ。ぼくが彼の名前を最初に耳にしたのも、エリック・... 2023.09.22 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 93)17歳のデビュー・アルバム 今年の春、シュギー・オーティスの突然の来日には驚いた。もうずいぶん長く、彼の名前を耳にしなかった気がする。アル・クーパーとのセッションに参加し、天才ギタリストと謳われたのは十五歳のとき。七十年代のはじめにエピックから発表した三枚のアルバムは... 2023.07.20 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 94)夏の終わり、夕暮れの浜辺で 暑い夏は無理をせずに、デレデレと怠けて過ごすのがいつものスタイル。一ヵ月くらいは小説の執筆もお休み、まとめて本を読んだり、ノートをとったり、普段できないことをやってみる。リフレッシュにもなれば充電にもなり、一石二鳥である。 夏の読書には、や... 2023.07.15 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 92)30年で4枚! ブルー・ナイルというロマンチックな名前をもつ、グラスゴー出身の三人組の、これは1989年にリリースされたセカンド・アルバム。グループ名のとおり、悠久の川の流れを想わせる、静かで美しい音楽である。 三人はいずれもグラスゴー大学の卒業生で、プロ... 2023.06.17 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 91)ニューオリンズ・ファンクの伝説的グループ このレコードを買ったのは、大瀧詠一の『ロング・バケーション』がヒットしていたころ。なぜそんなことをおぼえているかというと、90分のカセットテープの両面に録音して、夏休みのあいだじゅう聴いていたから。1981年。オリジナル・リリース(1974... 2023.05.10 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 90)ファンクとフュージョンの絶妙なバランス クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子と呼ばれた兄弟だが、もともとビリー・プレストンのバンドにいた人たちである。したがって音楽的にはソウルやジャズの要素が強い。でも彼らの個性を際立ったものにしているのは、やはり弟ルイスのスラップ・ベース(チョッパ... 2023.04.16 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 89)ガット・ギターの調べに寛ぐ まずはジャケット。一歩間違うと通販の商品カタログになってしまいそうな図柄だが、計算され尽くしたデザインは、やはり大手のレコード会社のものらしく洗練されている。内容も、ジャケットそのままに甘くてお洒落。安手のイージーリスニングとは、一線を画す... 2023.03.18 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 88)内省的なフォーク・ソウル テリー・キャリアーの音楽を一言で表現するのは難しい。一応、ジャンル的にはソウル・ミュージックになるのだろうが、アコースティック・ギターを手にうたう彼のスタイルはフォーキーでもある。やはり七十年代初めに出てきたダニー・ハサウェイやロバータ・フ... 2023.02.18 ネコふんじゃった
あれも聴きたい、これも聴きたい あれも聴きたい、これも聴きたい……⑩ バート・バカラックの10曲 バート・バカラックが亡くなった(2023年2月8日)、94歳で自然死というから大往生と言っていいだろう。傍から見ると、音楽家としても申し分のない生涯だったように思える。これだけ多くの名曲、一般のリスナーのみならず... 2023.02.14 あれも聴きたい、これも聴きたい
ネコふんじゃった 87)悩めるアメリカをストレートに表現した傑作 1969年にデビューしたシカゴのアルバムは、いきなり二枚組で、その後、三作目までずっと二枚組だった。おまけに四作目にあたるカーネギー・ホールでのライブは四枚組というとんでもない代物。たしか当時、国内盤は八千円近くしたと思う。ぼくが最初に買っ... 2023.01.17 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 86)シンフォニックなロック・アルバム プロコル・ハルムといえば、デビュー・シングル「青い影」のイメージだけで語られがちだけれど、ゲイリー・ブルッカーという才能あるコンポーザー&ヴォーカリストを中心に作り上げられたアルバムは、どれもクオリティが高く、聴きどころがいっぱいだ。オルガ... 2022.12.10 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 85)人類最高の交響曲 今回はクラシックのお話。ぼくが好きな交響曲はたくさんある。モーツァルトの「プラハ」と四十番、ベートーヴェンの三番、六番、九番、シューベルトの「未完成」、マーラーの九番と「大地の歌」。ブラームスの四つの交響曲も捨てがたいし、七つあるシベリウス... 2022.11.14 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 84)犬もうたっている? ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(NGDB)は、もともとアメリカのオールド・タイム・ミュージックを演奏するジャグ・バンドとして1960年代の半ばにスタートした。一時期はジャクソン・ブラウンもメンバーだったことがある。その後、ブルーグラス... 2022.10.10 ネコふんじゃった
ネコふんじゃった 83)木漏れ日のような音楽 しばらく前に『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』という本が出版され、話題になったことがある。彼らはインターネットが普及するはるか以前から、自分たちの作品を著作権で囲わずに解放するとか、ライブ録音を許可するといった、現在のシェアやフ... 2022.09.18 ネコふんじゃった