蒼い狼と薄紅色の鹿(21)

創作
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 マンションはオール電化になっている。原子力発電は実用化のめどが立たない粗悪な技術と考えているわたしとしては気に入らないところだが、建物全体の仕様がそうなっているのだからしょうがない。IHヒーターにコーヒー・ポットをかけたところで藤井茜がたずねた。

「どうしてわたしたちを招待してくれたんですか」どこか詰問するような口調だった。
「まあ、成り行きっていうか」半分は事実である。「それに文学に興味をもっているみたいだから」
「そうなんですか」
「違うのかな?」
「彼のほうはそれほどでもないかも」

 高椋魁にカミュのことをたずねてみようとして、心無いことだと思いとどまった。彼が『異邦人』を読み終えることは、たぶん生涯ないだろう。ムルソーが浜辺でアラブ人を撃ち殺すシーンは、来世のお楽しみというわけだ。
「小説を書きたいんだろう?」
「ええ、まあ」その口ぶりからは、あまり深く踏み込まないでほしいというニュアンスが汲み取れた。

 湯が沸いたので、ドリッパーにペーパー・フィルターをセットした。三杯分のコーヒーなど過去に淹れたことがないので豆の分量がわからない。とりあえず計量スプーン五杯分の豆を使ってみることにした。浅いローストの豆を三杯と深煎りのものを二杯。豆はローストの違うものを何種類か常備している。種類にはあまりこだわらない。電動ミルで二回に分けて挽いた豆をペーパー・フィルターに入れ、少量の湯を注いで蒸らした。

「きみたちは音楽など聴くのかな」
「高椋くんはオート・ハープを弾きます」
「楽器を持ってくればよかったのに」そう言って、わたしは細い注ぎ口からゆっくり湯を注ぎはじめた。
「レパートリーは『グリーン・スリーブズ』だけですけど」藤井茜がエクスキューズした。
「増やす気はないのかい?」
「いまのところないみたい」
 彼女はまるで高椋魁のスポークスマンみたいだった。
「いつか演奏を聴かせてくれよ」サーバーのコーヒーを三つのカップに注ぎ分けながら、あえて高椋魁に向かって言った。
「『グリーン・スリーブズ』でよければ」と藤井茜が答えた。