蒼い狼と薄紅色の鹿(20)

創作
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 午後三時に香椎駅で二人をピックアップした。車でアイランドシティへ向かい、途中のフード・マーケットで酒と食材を買っていくことにした。ここは酒も食材もたいしたものは置いていないのに、なぜかチーズだけは充実している。わたしは日本酒にもワインにも合いそうなチーズを三種類ほど見つくろった。二人の正確な年齢は知らないが、大学生はみんな二十歳ということにして酒を飲ませることにした。たとえ大学を馘首になっても、すでにマンションのローンの返済は終わっている。海の見える住居があれば、なんとかなるという楽観的な気分だった。

「酒は何にしようか?」
 自分用のワインを何本か選んでから藤井茜にたずねた。
「家ではたまにレッド・アイとか飲んでいます」
「それはどういう飲み物?」
 トマト・ジュースとビールを半分ずつ入れて作るらしい。そんなものがうまいのだろうか? まあ、彼女が飲みたいと言うのなら、異を唱える理由はない。
「きみは?」
「ぼくは……」
「レモン・サワーでいいんじゃない」本人が答える前に藤井茜が言った。
 さっそく棚へ向かうと、驚いたことに「こだわり」とか「濃いめ」とか「本搾り」とか、缶入りのものだけで十種類ほどある。このぶんだと遠からずアルコール飲料のコーナーはレモン・サワーに制圧されてしまうかもしれない。とりあえず違うメーカーのものを三本ほど買った。料理のほうはメインにシメジとポルチーノのトマト・パスタを作ることにした。あとは卵と野菜のサラダくらいでいいだろう。生ハムを買って、さらに中華の惣菜を少し買い足した。別の店でオーソドックスなパンを何種類か買った。

 素面の酩酊状態とでも言うべき、熱に浮かされたような気分がつづいていた。何かがはじまろうとしているのだろうか? それとも終わりかけているのだろうか……この日もわたしは絶好調で、両側に博多湾と玄界灘が広がる海の中道を時速七十キロで車を走らせながらホモ・サピエンスの話をはじめた。
「人類の祖先は二十五種類以上いたらしい。ところがみんな絶滅して、われわれだけが残っている。なぜ生き延びたのか? 進化論的に考えると、すべての種が絶滅しても不思議ではなかった。なんたってホモ属は弱肉強食の生存競争を生き抜くためにはあらゆる点で劣っているからね。喧嘩は弱いし逃げるのは遅い。敵を倒すための牙も爪もない。現に二十五種類以上いた仲間はみんな絶滅している。森を追い出されたサル目のなかでホモ・サピエンスと呼ばれる一群だけがかろうじて生き延びた。なぜだと思う?」
「道具を作ったから」後部座席の藤井茜が答えた。
「おやまあ。才気煥発の藤井君にしては月並みな答えだなあ」
「いけませんか?」
「正解は子どもをたくさん産むことができたから」
 後部座席の二人は顔を見合わせるようだった。
「面白くない結論だと思うかもしれないが、これから面白くなる」

 わたしは走行速度を八十キロまで上げた。
「チンパンジーやオラウータン、ゴリラなどの大型類人猿とくらべてヒトは授乳期間が短い上に、出産から数ヵ月でまた妊娠できる状態になる。マリー・アントワネットのおかあさん、マリア・テレジアは生涯になんと十六人の子どもを産んだ。ヨハン・セバスティアン・バッハも最初の妻とのあいだに七人、二人目のアンナ・マグダレーナとのあいだには十三人ももうけている。初期人類の女性もマリア・テレジアやバッハの妻並みだったとすれば、たくさんの子どもが生まれただろう。そうなるとおかあさん一人では面倒を見られない。おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなで協力する必要があった。そしておとうさんはといえば、これらの家族に食べ物を運ぶために直立二足歩行をはじめた」
「うっそ~」と藤井茜が言った。
「本当だとも。もっとも初期人類の話だから、おとうさんやおかあさんや家族といった言葉や概念はなかっただろうが、われわれの祖先が助け合い、支え合っていたのは間違いない。協力して苦難を乗り切る術を知っていた。そこがネアンデルタール人との違いだな。絶滅の運命にあった二十何種類かの人類のうち、ただ一種類において、どういうわけか助け合いの精神が芽生えた。この初期人類がヒトになって、いまは人間と呼ばれている」
「定説なんですか?」
「藤井くん、定説などにこだわっていちゃあ小説は書けないよ」わたしは軽く諭すように言った。「とにかくある日、草原を歩きまわっていたおとうさんが何かおいしそうな食べ物を見つけて、これを持ち帰れば家族は喜ぶだろうと思った。そうしてうっかり立ち上がってしまった初期人類こそが、われわれの祖先なのだ。学名をホモ・サピエンス、和名ヒトと呼ばれる彼らのなかで生まれた善きものが、現在も駆動しつづけている。人間が二本足で歩いているのはスマホを操るためではない。もちろん人を殴るためでも爆弾を仕掛けるためでもない。善を運ぶためだ」

 いつのまにかスピードメーターは九十キロを超えている。覆面パトカーがいたら確実につかまる。学生を乗せてスピード違反を犯せば、大学から厳しいお咎めを受けることは間違いない。
「直立二足歩行はヒトが善を宿した生き物であることの象徴なんだ」わたしはアクセルを緩めながら言った。「この善なるものを知っているから、それが誰のなかにもあると確信しているから、われわれは相も変わらず人を好きになって、ともに家族をつくって子どもたちを生み育てる。この営みは人間がはじまって以来、一度も途絶えたことがない。すごいことじゃないか。そう思わないか?」
 藤井茜が気のない相槌を打った。高椋魁は起きているのか寝ているのかわからない。
「われわれ一人ひとりが神秘と奇蹟の産物なんだ」自分の言葉に思わず涙ぐみそうになりながらつづけた。「生まれてから死ぬまで驚異の連続だ。考えてもみたまえ、誰もが生まれることと死ぬことにかんしては不如意だろう」
「ふにょい?」
「自分の力ではどうにもできないってことだ。いくら偉そうなことを言っていても、人間は生まれるときと死ぬときは誰かに身を委ねるしかない。子宮を脱出し産道を潜り抜け、オギャーと泣いて母乳を口に含むまで、何一つ自力でやれることはないし、死ぬときも誰かの手を借りる可能性が高い。悪いやつだったらどうする? そんなリスキーなことを人間は危なげもなく何万年もやってきたんだ。マスコミでは失敗例ばかりが取り上げられるが、大半は圧倒的にうまくいく。そうでなければとっくに絶滅していたはずだ。不如意に生まれて死ぬことを、これからも人類は繰り返していくだろう。どうしてそんなことがつづけられるのか。善なるものへの信頼があるからだよ。あとを引き継ぐ者たちが善き者たちであると信じているから、不承不承とは言いながら、誰もが最後は観念して死んでいくことができるんだ」