13
八月中は死んだ父のことに取り紛れて忙しかった。九月になって後期課程がはじまり、最初の授業が終わったあとで、二人はいつものように研究室にやって来た。
「どうだ、小説のほうは書けそうか」開口一番、わたしは高椋魁に向かって言った。
「いや、まあ」彼は奇妙な応答をした。
前期の成績をつけるために、課題レポートの代わりに小説らしきものを書かせることにしている。高椋魁が持ってきた作品は、「毎日、心がダース単位で折れていく。(つづく)」というものだった。A4のコピー用紙のいちばん上に「文芸創作」とゴシック体でプリントされ、その一行下に左寄せで学籍番号と氏名、さらに一行空けて「毎日、心がダース単位で折れていく。(つづく)」と印刷されている。それだけだった。裏をひっくり返しても何も出てこない。
わたしが提出を求めたのは小説であり、自由律俳句ではない。期限は七月末としている。教務課に成績を報告しなければならないので、それ以上延ばすことはできない。本来なら不可とすべきだが、わたしは高椋魁の評定を「C」とした。これは優良可の「可」にあたり、一応単位になる。「配慮等を要する学生」という、例の診断書のこともあった。さらにわたし自身が、迫りくる父の死を前にして、先走った追善供養みたいな心持ちになっていたのかもしれない。
「書き出しとしては悪くない」わたしは言った。「毎日、心がダース単位で折れていく……冒頭で主人公が独白するわけだな」
「ドクハク?」
「ひとりごとのことだ」
そのとき藤井茜が意表を衝く提案をした。
「みんなで遊園地に行きませんか」
「藪から棒になんだ」
彼女は今年いっぱいで営業をやめるという郊外の遊園地の話をした。
「小説の材料が見つかるかもしれないでしょう?」
息をするみたいに思い付きを口にする藤井茜だが、彼女が提出した作品は、意外なことに短いながらとてもいいものだった。わたしの評定は「S」で、これは「優」よりもさらに秀でている。妥当なところだろう。少なくとも二十五人ほどいる受講生が提出した作品のなかではいちばんよく書けていた。
秋の夕暮れ、大学生くらいの男女が街を歩いている。オフィスビルが立ち並ぶ交差点で信号を待っているとき、突然、女の子が声を上げる。男の子が理由をたずねると、彼女は空に向かって指をさす。一羽のカラスがビルの谷間を飛び去っていくところだった。よく見ると、鳥は小さな柿をくわえている。
横断歩道の脇にわずかばかりの緑地がある。そこに一本の柿の木が植わっていた。何度も通るところなのに、これまで気がつかなかった。普段は高い建物に囲まれた空を見上げることもない。ところがいま自分たちは、スマホばかり見て歩く人たちのなかにあって、立ち止まって空を見上げている。その視線の先では一羽のカラスが、都会の片隅で実をつけた希少な柿をくわえてどこかへ向かっている。なんでもない一場面に、彼は愛おしさをおぼえる。そして窮屈な街の風景に彩りを与えてくれる彼女を大切なものに思う。