蒼い狼と薄紅色の鹿(15)

創作
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 話は六年前、彼が十三歳のときにさかのぼる。本人の言によれば自殺未遂だが、トラックの運転手からの通報を受けて現場に駆け付けた救急隊員も、また現場検証をした警察官たちも、少年が自転車の操縦を誤ったことによる事故とみなした。とくに両親は「事故」にこだわった。二人は自分たちの息子が故意に死ぬつもりだったとは考えたくなかったのだろう。

「でも本当に死ぬつもりだった」高椋魁は淡白な口ぶりで言った。「もう無理だと思ったから」

 早朝だった。夜が明けたばかりの、五月のさわやかな朝。自殺するのにもってこいの日かどうかわからないが、とにかくその日の朝を決行のときときめた。ゴールデン・ウィークが終わり、人々が日常の暮らしに戻ったころ。車も普通に走っている。

 郊外の松林に囲まれた坂道の上で彼は「獲物」を待った。あたりに人家はない。松林の向こうは海で、長くつづく砂浜は夏には格好の海水浴場になる。林のなかではたくさんの鳥が啼いていたはずだが、その声は高椋魁の耳に届いていただろうか。

 狙いはコンビニに品物を運ぶトラックだった。早朝のこの時刻、セブン-イレブンのトラックがここを通る。この会社のロジスティックスは精密に構築かつ維持されているらしく、事前の調査によれば一分とずれることはない。下から登ってくる車に上から突っ込むつもりだった。道は幅の狭い一車線なので、速度を上げて突進してくる自転車をトラックはよけることができない。

 完璧な計画に思えた。短いながら辛いばかりの人生だった。毎日が苦難の連続だった。小学生のころから、なんとなく自分はヘンだと思っていた。
「みんなが笑っているとき、どうして笑っているのかわからない。だから笑うべきところで笑えない。逆に笑ってはいけないところで笑ってしまう。頷くところがわからないから、いつも頷くようにしていたら、まわりから完全に浮いてしまった。いろいろ工夫して、なんとか同調しようとしたけれどだめだった。みんなの会話や行動にチューニングを合わせることができない」
 藤井茜は相槌を打つかわりにオート・ハープをシャランと鳴らした。
「別に友だちなんか欲しくなかったから。一人のほうが楽だし。もともと他人に興味はなかった。問題は先生。放置してくれない。無理やりクラスの輪のなかに入れようとする。みんながやっていることを一緒にさせようとする」
「この子を孤立させちゃいけないとか思うわけだね」
「おかげでステルス性が身についた」
「なに、それ?」
「ステルス戦闘機とかステルス・ミサイルとか」
「敵のレーダーに見つからないようにする、あれ?」
「肉食獣の群れのなかに一頭だけ入れられた草食獣の気分だった」
 彼女は再びオート・ハープを鳴らした。
「中学生になると、コミュニケーションの内容も高度になってくる。視線のやりとりから何か読み取るとか、暗黙の了解とか仄めかしとか……そういうことが、こっちは全然できないわけで」
「だよね」藤井茜が言葉少なに言った。
「もう完全に視界ゼロって感じ。何をやっても的外れだし。頭に浮かんだことを口にしたり、片っ端からやってみたりすると、みんながヘンな目で見ている。要注意人物と思われたみたい。もちろんスクール・カーストは下の下で、いくらあがいたところで這い上がれそうにない。中学を卒業しても、そのあと高校、大学、社会人と、だんだんハードルは高くなっていく。どう考えたって無理だ。これ以上、未来に立ち向かうことができない。この先も苦しくなるばかりで、楽になることなんてありえない。だったら早めに手を打とうと決心した」

 計画は予定通りに進んでいた。坂道の下から、見慣れたセブン-イレブンのトラックが、弁当、飲み物、サラダ、デザート、パン、アルコール類、文具、生活雑貨、雑誌、スナック菓子、カップラーメン、その他、諸々の品物を積んで登ってくる。死を決意した少年は右足でおもむろにアスファルトの路面を蹴る。自転車はゆっくり道を下りはじめる。飽食と大量消費への貢ぎ物を持て余したトラックは、のろのろと坂道を登ってくる。一方、等加速度直線運動をつづける自転車はしだいに速度を上げていく。もはや衝突は避けられないところで、一気に車線変更するつもりだった。
「いまだと思ってハンドルを切った」
 不思議なことに、そのとき彼には対向車線に飛び出した自転車がトラックと衝突する様子が、映画の一場面のように眺められたという。どこから見ても絶体絶命、この痛ましい少年が助かる見込みはない。トラックは慌てて自転車を避けようとする。だが間に合わない。
 と、そこへ猫……。
「猫?」
「飛び出してきた、道路脇の松林から」
 おかげで衝突のタイミングがわずかにずれた。トラックは自転車の後輪部分を巻き込んだ。反動で彼は自転車から弾き飛ばされ、松林のなかへ飛んでいった。
「怪我は?」
「右足の複雑骨折」
 悲壮な覚悟でトラックに突進していったのに、目が覚めてみると何も変わっていなかった。たしかに右足は無残なことになっていたが、命に別状はないようだし、意識もはっきりしている。昨日までと同じ世界に昨日までと同じ自分がいた。またしても失敗したらしい。なにしろ頭の働きだけでなく、動作まで鈍いときている。
「突然、笑いの発作に見舞われた」
「なんで?」
「わからない」
 なにもかもがバカバカしく、不格好で愚かしかった。医者や看護師が何をたずねても、彼はただ笑いつづけるばかりだった。いったいこの少年はどうしてしまったのか? まるで質の悪いウイルスにでも感染したみたいではないか。両親は当惑し、医療スタッフは眉をひそめた。精神的なケアが必要だ。それが大人たちの下した結論だった。

 ここでようやくオート・ハープが登場する。足のリハビリと並行してカウンセリングの時間が設けられた。その一環なのかどうか、週に何度か病室を若い女性が奇妙な楽器を持って訪れるようになった。父の施設でわたしが遭遇したケースと同じだ。病院やホスピスや緩和ケア施設などを訪れてミュージック・セラピーを施すボラティア組織があるのかもしれない。

 もちろん高椋魁が出会った女性は、父に「思い出のグリーン・グラス」をうたってくれた人とは違うだろう。服は普段着で白衣などは着ていなかったという。初対面のときから顔見知りのような気安さで、「好きな歌は?」とたずねた。答えずにいると、楽器を弾きながら自分でうたいはじめた。英語の歌詞の付いた落ち着いた静かな曲だった。
「いまのは五〇〇マイル」歌が終わると彼女は告げた。「アメリカのフォーク・ソングで、ずいぶん前にピーター・ポール・アンド・マリーというグループがうたっていたの。亡くなった忌野清志郎さんが日本語の歌詞をつけていて、それはこんな感じ」
 日本語で同じ曲をうたった。
「忌野清志郎、知ってる?」
 わたしは知っているが、高椋魁は知らなかったようだ。退院の日程がきまると、彼女は少年に新品のオート・ハープをプレゼントした。この楽器は安いものでも五万円ほどはするから、退院祝いだとしたら、かなり気前のいい贈り物と言える。ひょっとすると両親がお金を渡して頼んだのかもしれない。

 退院までの一週間ほどのあいだに、彼女は高椋魁に基本的な演奏方法を教えた。自分でうたう気はなさそうだったので、メロディをコードに置き換えて演奏できるようにした。彼女が選んだ曲は「グリーン・スリーブズ」だった。

 ああ、愛する人よ、あなたはなんてひどい人
 つれなくわたしを捨てるなんて
 ずっとあなたを愛してきた
 そばにいるだけで幸せだった