蒼い狼と薄紅色の鹿(3)

創作
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 こうして首尾よく国際文化学部日本文化学科のなかに、文芸創作と文芸研究という二つの怪しげなクラスが開設されることになった。

 文芸研究のクラスでは、主に日本の近代文学について教えている。今週は東海散士の『佳人之奇偶』と三遊亭円朝の落語速記本をテキストに、言文一致体の成立について話した。来週は二葉亭四迷や山田美妙たち初期の言文一致体の試みから、島崎藤村の『破壊』で「三人称客観描写」があらわれるまでの約二十年間を総括する予定だ。

 文芸創作では学生たちに小説を書いてもらう。そのため講義では、語り手と登場人物の関係、一人称で書くことと三人称で書くことの違い、時間や空間の扱い方、小説的現実とフィクション、といったテーマで話をする。試験は実施しないかわりに、レポート代わりに小説まがいのものを提出してもらう。何か書けば単位をくれるという評判を聞きつけて、わたしの授業を甘く見た学生たちがやって来る。

「すみません」
 顔を上げると一人の女子学生が立っていた。
「どうした」
「いつもヘンな質問ばかりして」
「気にしなさんな」とわたしは言った。「文学作品の多くはヘンな問いや思いつきから生まれるもんだ」
「そうなんだ」
「個人的な意見だけど」

 今日の彼女の質問は、「辺野古の埋め立て問題をどう思いますか?」というものだった。そりゃきみ、埋め立てられるにきまっているだろう。米軍がもういいと言っても、日本の政治家たちはバカのひとつおぼえみたいに沖縄の海を埋め立てつづける。連中は日本国憲法よりも日米安全保障条約のほうを敬い奉るべきと考えているんだ。日米地位協定ですら憲法より上位にある……などとむきになるかわりに、わたしは「サン=テグジュペリの『夜間飛行』における時間処理の仕方と、沖縄の基地問題はとりあえず関係ないんじゃないかな」と穏やかに諭して話を本題に戻した。

「ところできみ、名前は?」
「藤井茜です」

 いまどきの学生の名前にしてはまともな部類だ。最近の学生、とくに女の子の名前はあまりの珍妙さに呆れ返る。文字からも音からも意味がたどれない。履修者名簿に記された名前を眺めているだけで、文学の終焉は近いという確信めいた思いがひたひたと押し寄せてくる。その点、藤井茜はひとまず合格点をあげてもいいだろう。

 わたしは先ほど提出させたレポートのなかから彼女のものを探しはじめた。文芸創作のクラスでは、毎週簡単な課題を出すことにしている。自分の好きな情景を選んで描写させたり、携帯電話での会話を書かせたりする。前回のテーマは「日常の小さな疑問」である。

 藤井茜のレポートはA4のコピー用紙に二行の短いものだった。多くの学生は、こんなふうにワードの文章をコピー用紙に印刷して持ってくる。それにしても二行というのは短すぎやしないか?

〈わたしは飛んでいる蚊を叩き潰すのに良心の呵責を感じません。でも歩いている蟻を踏み潰すのには抵抗があります。この違いってなんだろう?〉

「なるほど、面白いね。たしかに蚊と蟻の違いってなんだろう。小さな二つの生物の差異は? 些細な差異から文学は生まれる。同一性を好むのは権力だ。文学は常に反権力をめざさなければならない」
 彼女は複雑な顔をしていた。言っていることが理解できないのかもしれない。
「ところで彼はいつまで寝ているつもりだろう」
 わたしは教室の隅の机に突っ伏している男子学生をさした。
「ちょっと行って起こしてやってくれないか」

 彼女は言われたとおりに学生のところへ歩いていき、汚いものにでも触るみたいに指先で肩をつついた。男子学生はのろのろと机から顔を上げた。わたしは教壇から手招きした。寝ぼけ顔の若者が頭を掻きながらやって来た。髪には寝癖がついている。

「きみ、名前は?」
「たかむくかい」

 わたしは名簿に目をやって、「高椋魁」という名前を見つけた。学籍番号を見ると日本文化の二年生だ。ちなみに藤井茜もやはり日本文化の二年生である。

「きみはいつも寝ているなあ」わたしは帰り支度をしながら言った。
「すいません」
「謝ることはない。気持ちよく眠れるのはわたしの授業の功徳だと思っている」
「はあ」
 まだきちんと目が覚めていないらしい。
「せっかくの眠りを妨げたくなかったのだが、この教室はつぎの授業で使うみたいだからね。二人とも急ぐのかな?」
 藤井茜と高椋魁は顔を見合わせた。
「よかったら、部屋でコーヒーでも飲んでいかないか」