蒼い狼と薄紅色の鹿(19)

創作
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 マンションは西戸崎にある。海の中道線というJRの終着駅から少し行ったところで、目の前は博多湾だ。三階の部屋から眼下に見える砂浜には、いつも大小の波が打ち寄せており、朝や夕暮れ時には犬を散歩させたりジョギングしたりする人たちの姿が見られた。夕日は一年中、湾を隔てて目の前に浮かんだ能古島の向こうに沈んだ。夏には島の北側に、冬には南側へ移動した。

 このマンションを手に入れることができたのは、わたしの人生に訪れた数少ない僥倖と言える。五年ほど前に、関東の大学へ赴任することになった同僚の教員が購入を持ち掛けてきた。わたしとしては願ってもない話だった。それまで住んでいた和白の分譲マンションは大学にも近く、なにかと便利ではあったが、目の前に海が広がる住まいにくらべれば、すぐ手放しても惜しくはない物件だった。

 日ごろから取引のある銀行でローンを組み、さっそく同僚の男と売買契約を結んだ。大学教員という定職にあり、これといった病歴もない四十代の男が、銀行から二千万ほどの融資を受けるのは難しいことではない。さらに不動産仲介業者にたのんでおいた和白のマンションには、査定金額の千六百万で買い手がついた。差し引きすれば四百万円だ。こうしてわたしは貯金でまかなえるほどの金額で、生涯暮らしてもいいと思える住居を手に入れることができた。

 その自慢のマンションに二人を招待することにした。七月の下旬、夏休みに入って最初の土曜日だった。自宅へ個人的に学生を招くことは、大学の教員としてはかなりリスキーな振舞いである。下手をすると墓穴を掘ることにもなりかねない。ただでさえわたしを放逐したいと思っている同僚は少なくないのだ。それは考え過ぎとしても、大学側がセクハラやパワハラの問題に神経をとがらせていることは確かだった。

 だが、こちらにも言い分はあった。ソ連が解体したころから、西側先進国はポストモダンと呼ばれる社会に移行した。モダンな社会の衰退とともに様々な物語は解体した。価値観が多様化して個が尊重されるようになった。たとえば「家族」は言葉としては残っているけれど、いまや中身は定義しがたいものになっている。血縁関係である必要はないし、パートナーは同性であってもいい。高椋魁のように二次元女子にしか興味がないと断言する男子もいる。きっと二次元の異性をパートナーにしている人もいるだろう。つまり物体ならぬものと家族をなすことも、いまや「可」なのである。まったく目がくらみそうなほどの自由と言うほかない。

 自由には責任がついてくる。それこそグリコのおまけのようにもれなくついてくる。しばしば孤独もついてくる。責任も孤独も、一人で背負うには重かったりしんどかったりする。「配慮等を要する学生」の数が年々増えている背景には、ポストモダン化した社会で生きていくことの困難さという事情もあるに違いない。自由を謳歌できる者にとって、この社会は歓迎すべきものである。一方で「自由」にたいして支障をきたしている若い人も多いはずだ。藤井茜と高椋魁も、こうした事例の一つと言えるだろう。だからといって彼らを自宅へ招く理由にはならないのだが……。