蒼い狼と薄紅色の鹿(1)

創作
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 十九世紀オーストリアの作家、アーダベルト・シュティフターの話をしている。学生たちには彼の代表作である『晩夏』の一部をコピーして配ってある。トーマス・マンが絶賛し、ニーチェが愛読していたという作品だ。三十人ほどいる学生のうち、話を聞いているのは半分くらいだろうか。五、六人は寝ている。何人かは机の下でスマホを操作している。ラインかな? それともクラウドゲームの類だろうか。まあ、なんでもいいが、きみは誰ともつながっていない。自分自身ともつながっていない。そうやってスマホを操作している瞬間にも、きみの断片がビッグデータとしてかき集められるだけだ。

 考えてみれば、いまどきシュティフターもないものだ。いっそアン・レッキーの『叛逆航路』の話でもしたほうがよかった。誰もがゆくりなくシステムの属躰(アンシラリー)になっていく。人間は物の秩序の影にすぎない。伊藤計劃は早く死にすぎた。

〈あるとき水のきれいな谷川のほとりで死んでいる鹿を見つけた。狩人に殺されたらしい。脇腹に弾丸が一発当たっている。苦痛を和らげるために新鮮な水を求めてきたのだろう。鹿は水のそばで死んでいた。川辺に倒れて頭を砂のなかに埋め、前肢を清らかな流れのなかへ突き出している。尻のあたりの白い毛が水気を含んで恥じらっているように見えた。
 あたりには生き物の気配がなかった。わたしは鹿の美しさに心を打たれた。澄んだ眼は透きとおった苦しみを湛えている。眼も顔も静かに何かを語りかけている。自分を撃った者を非難しているようでもあった。身体に触ってみると、まだ温かい。しばらく死んだ鹿のそばに立っていた。やがて森のなかから歓声や犬の吠える声が聞こえてきた。〉

「いま読んだところは、作品の冒頭で、オーストリア・アルプスの探索に出かけた主人公が撃たれた鹿を見つける場面だ。そこで今日の課題は、きみたちが身近に体験した死について書いてもらいたい。人でも動物でもいい。誰か一人くらい、または一匹くらい死んでいるだろう。かわいがっていた犬とか猫とか。朝起きると庭で一羽の小鳥が死んでいたとか。できるだけ感情は書かないこと。悲しい、辛い……そういうのは読んでいて退屈だからね。情景を描くことに重きを置いてください。目で見たものを言葉で的確に表現する。文章によって死の情景が目に浮かび上がるように描写する。シュティフターを参考に挑戦してみよう」