ぼくはこんな絵を掛けている……①

こんな絵
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 「ぼくらラボ」を一緒にやっているデザイナーの東裕治さんに便乗して、ぼくも最近は「半径10mの幸せ」なんて言っている。その東さんが前から提案しているのが、家のなかに気に入った絵やポスターを飾ろうということだ。たしかに日本の家って絵がないよね。絵のかわりに大型テレビ? これじゃあちょっと寂しいだろう。というわけで、これからしばらく、ぼくの家にある絵やポスターを紹介してみようと思う。

 今日紹介するバンクシーの「花を投げるテロリスト」は、階段を上がり切った正面の壁に掛けてある。朝、淹れたてのコーヒーを持って階段を上がり、二階の自室で仕事にかかる。そのときこの絵が目に入る。「よし、今日もバンクシーのようにしなやかにラディカルに仕事をするぞ!」と思う。10年くらい前にアマゾンで買ったポスターを、ニトリの安物の額に入れている。2000円ほどのお買い物で、仕事のモチベーションを高めている。「半径10mの幸せ」は安上がりなのだ。

 ぼくはかなり前からバンクシーというアーティストに興味をもっている。存在自体が面白い。2016年に出版された『なにもないことが多すぎる』(小学館)という小説はこんなふうにはじまる。「ジョーと呼んでもらおう。ジョー・パブリック。もちろんジョン・スミスでもなんでもかまわないが、いかにも凡人という感じがしてさえない。やはりジョー・パブリックがいいだろう。誰が一般市民で、誰が一般市民でないか。境界線を引くのは、この、私だ。だから私のことをジョー・パブリックと呼んでくれ。」

 この「ジョー・パブリック」という登場人物はバンクシーを念頭において造形したものだ。「当局は全力を挙げて私の素性を暴こうとしているらしい。誰がジョー・パブリックなのか? だから言っているだろう、線を引くのは私なのだ。」ねっ? 面白そうでしょう。でも、この面白そうな小説が早くも絶版なのです。かなしいことが多すぎる。(2020.8.23)