まぐまぐ日記・2011年……(5)

まぐまぐ日記
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10月5日(水)雨

 いつものように午前中は小説を書いて、午後から九州産業大学の講義へ。いま書いている小説は、「まぐまぐ」に連載中の『愛についてなお語るべきこと』で、第8章「戦場」まで進んでいる。ホテルの部屋の隅に積み上げられたドリアンが、一瞬、切り落とされた人間の頭に変わる場面がうまくいかず、何度も書き直している。

 講義は言文一致体の二回目。二葉亭四迷や山田美妙など初期の試みから、島崎藤村の『破壊』など、いわゆる「三人称客観描写」があらわれるまでの約二十年間を、実例を切り張りした資料を配って話すが、なかなか難しい。話し手のほうが、うまく内容を消化できていないからだ。

 夜は剣道。最近、本はほとんどインターネットで注文している。本日、BK1より届いたものは、末木文美士『日本仏教史』、同『中世の神と仏』、高取正男『神道の成立』、安丸良夫『神々の明治維新』。

10月6日(木)晴れ

 午後から、家内が天神に華道展を観に行くというので、付き合って出かける。生け花には興味がないので、ぼくはもっぱら本屋で時間を過ごす。まずTUTAYAでジュルジュ・シムノン『モンド氏の失踪』、ベルンハルト・シュリング『週末』、ラウィ・ハージ『デニーロ・ゲーム』を。いずれも8月に出た新刊が、1000円くらいで中古本になっている。海外の翻訳小説は高い。一冊2000円以上もすると、面白そうだなと思っても二の足を踏んでしまう。1000円くらいだと、気軽に読んでみようかなという気になる。他にはルィリップ・フック『印象派はこうして世界を征服した』(1250円)。

 つづいてジュンク堂で、前田愛『文学テクスト入門』、小池清治『日本語はいかにつくられたか?』、加藤周一『日本文学史序説』。これらはいずれも講義用の参考文献である。趣味の本としてピーター・バラカン『音楽日記』。バラカンさんの本は、『ぼくが愛するロック名盤』『魂(ソウル)のゆくえ』など愛読している。いずれも音楽への愛が溢れていてうれしくなる。

 夜はDVDで『キートンの蒸気船』を観る。すばらしい! 終盤のキートンは、まさにマイケル・ジャクソンしている。ぼくは思わず「ムーンウォークだ!」と叫んでしまった。たとえば「スムース・クリミナル」の振り付けなどは、絶対にキートンを参考にしていると思う。勉強になるなあ。

10月7日(金)晴れ

 ノーベル文学賞の発表。今回も村上春樹の受賞はならなかったようだ。それにしても村上さんは、本当にあんな野蛮なものをもらうつもりなのだろうか。象徴的な言い方をすれば、ノーベル賞を廃止しない限り、この世界は変わらない(良くならない)と思う。

 ノーベル賞を廃止すべき理由は簡単で、それがまぎれもない「知の格付け」であるからだ。どんな格付けも愚劣であり、暴力的である。そうした格付けが、現在の世界の在り方を作り出している。あらゆる知的営み、あらゆる人間の営みが等価とみなされる世界をこそ、ぼくたちは目指すべきではないか。ノーベル賞なんていりませんと言った文学者が、過去にサルトル一人だけというのは淋しい話だ。どんな権威にも取り込まれないことが、文学者のほとんど唯一の取柄だろうに。その程度の見識ももたない人たちの書いたものが、現実を一ミリでも変えうるとは到底思えない。

 今日は剣道が休みなので、昼から家内と近くの若杉山に登る。このあたりは篠栗四国霊場と呼ばれる一帯で、若杉山にも幾つかの札所がある。車でかなり上の方まで行かれるので、歩いての登りは一時間くらいだ。途中で何人か白装束の巡礼者に会う。無事に登頂。見晴らしのいいところで、持参したおにぎりを食べる。健康に恵まれて山登りができる。これ以上の幸せがあるだろうか。あるかもしれないが、とりあえずぼくには必要ない。幸せというのは、さり気なく日常的なものだ。幾多の「幸福論」のように、それ自体を主題としたり、目的としたりする性質のものではないという気がする。

 夜はマックス・オフュルス監督の『忘れじの面影』を観る。このDVDも380円。昔の映画の邦題には名タイトルが多いが、これなどもその一つだろう(原題は「Letter From An Unknown Woman」)。「Death in Venice」を『ベニスに死す』を訳すセンス。『望郷』だって「ペペルモコ」じゃあ感涙を誘わない。

10月8日(土)晴れ

 午前中、小説を進めて、午後は剣道。音楽プロデューサーの藤井さんから、「海を見ていた、ぼくは」の完成ヴァージョンをお送りいただく。すばらしい! 仮歌の段階からすばらしかったが、その後、大石さんがうたい込んだ結果、歌詞と曲と歌が一つになって、さらに完成度の高い作品になった。こんな素敵な作品に、稚拙な歌詞で協力できたことは光栄である。藤井さん、大石さん、ありがとう。いい思い出になりました。あとはヒットしてくれることを祈るのみ。

 夜はキートンの『列車大追跡』を観る。ぼくも次男も家内も、『蒸気船』ですっかりハマッてしまった。もっといろいろ観たい。前田愛『文学テクスト入門』読了。当時は最先端の文芸批評だったのだろうが、「テクスト」という概念をはじめ、いささか古めかしく感じられる。

10月9日(日)晴れ

 午前中、小説の仕事。今日は母の誕生日なので、自宅に招いてささやかな昼食会。施設に入っている父も連れてくる。10月9日はジョン・レノンの誕生日でもある。ちなみに父は11月25日で、吉本隆明と一緒である。こんなことを書いてもしょうがないな。

 夕方、福岡ウォーカーの「レコードのある風景」にジェイムズ・テイラーについて書く。ぼくが最初に彼のレコードを買ったのは中学三年生の秋、『ワン・マン・ドッグ』だった。プロデュースはピーター・アッシャー、バックはザ・セクションである。時代を感じる。加藤周一『日本文学史序説』。

 夜はジーン・ケリーの『踊る大紐育』。古き良き時代のアメリカ。出てくるのはみんな善人ばかり。そのなかでシナトラの悪人面が不思議な違和感を醸し出している。