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片山恭一の毎日更新、いろんなはなしをします
今日のさけび

 誰かと出会って、その人のことを腑に落ちるように好きになる。「好き」という実感が、心と身体の真ん中にストンと落ちてくる。そして「出会う前から出会っていた」とか「生まれる前から会っていた」といった不思議な感覚にとらわれる。ぼくがそうだから、たぶんみんなそうだろう。みんなそうだということにして話を進めよう。既視感(デジャブ)などと呼ばれて、心理学や脳神経学では「記憶が呼び覚まされるような強い印象を与える記憶異常」などと説明されているようだが、全然説明になっていない。そもそも脳神経学などで説明できるものではないのだろう。

 昨日まで見ず知らずだった人のことを、今日は「もうこの人しかいない」というくらい疑問の余地なく好きになっている。一瞬にして「かけがいのない人」と思い定めてしまう。この理不尽なまでに不思議な情動は、自己の事後性ということからしか説明がつかないと思う。つまり「自己の手前」というべき場所があるのだ。自己の手前だから空間化できず、したがって可視化も実体化もできないために、経験的に把握するのは難しい。目の粗い経験論的な言葉には引っかからないけれど、だからといって錯覚や妄想というわけではない。それどころか、ぼくたちの生の大切な実感である。この確かな実感があるから、見ず知らずの者どうしが短時間で肉親よりも強いつながりをもち、家族をなして子どもを育て、人類を営みつづけているのである。

 はじめて会ったはずなのに、ずっと前から知っていた。この人とは生まれる前から出会っていた。こうした未来を追憶するような感覚は、自己の手前で起こっていることを、現在に貼り付いた自己が体験することによって生まれる。自己の手前だから、自己はそれを未来としてしか展開できないのだ。森崎茂さんが「内包」と呼んでいる感覚は、このようなものだと思う。それはぼくたちの生と切り離せないリアルな感覚としてある。生理学的に説明できないからといって、アルゴリズムに置き換えられないからといって、この大切な感覚を「ない」ことにしてしまってはならない。今日は時間がないのでここまで。また明日、つづきを書こう。(2019.6.23)

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第2回 『万葉集』(前半)

1 どういう書物か  日本に現存する文学的な作品として、最古のものの一つで、主に「短歌」と呼ばれる三十一音の短い詩が集められている。短歌のほかに長歌と呼ばれる、もう少し長い詩も収録されているが、この形式はほとんど『万葉集 […]

ぼく自身のための広告(5)

5 本棚……③  机に向かうと、この本棚を背にする格好になる。家を建てたときに造作家具として備えてもらった。できるだけたくさん収納できるものを、とお願いしたけれど、すぐにいっぱいになっちゃうんだな。棚板を調整することで上 […]

ぼく自身のための広告(4)

4 本棚……②  三つ並べた本棚の右端には、思想・哲学関係の本が入っている。いちばん場所をとっているのはミシェル・フーコー。単行本に加えて講義集成と思考集成が隊列をなしている。同時代最大の思想家という評価は変わらない。ジ […]

ぼく自身のための広告(3)

3 本棚……①  今日はぼくの本棚をお見せしよう。机に坐って右手に、同じ本棚を三つ並べ、倒れてこないように金具で壁に固定してある。この本棚には自分のなかで評価の定まった人たちのものが集めてある。そのため全集や著作集など、 […]

ぼく自身のための広告(2)

2 コーヒー  朝はだいたい6時から7時のあいだに起きて、まず庭で簡単な体操。それから剣道の素振り。これで15分か20分。つづいて朝食の支度。といってもリンゴ、バナナ、キウイフルーツなどを切るくらい。ぼくも家族も朝は果物 […]

ぼく自身のための広告(1)

1 机の上  ぼくが仕事をしている机の上はこんな感じ。ご覧の通り、なんの変哲もない。ただごちゃごちゃといろんなものが乗っかっているだけである。つまんない。まあ、仕事をするところだからね。面白おかしくなくてもいいのだ。   […]

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