61)今年は七十回目の誕生日

ネコふんじゃった
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 ジョン・レノンが亡くなったとき、ぼくは大学卒業を控えた二十一歳だった。彼の晩年の作品に「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」という曲がある。ぼくたちはジョンの死とともに歳をとってきた世代である。

 あれから三十年。ぼくは結婚し、二人の子どもたちは、ジョンが亡くなったときのぼくの歳を超え、そしてぼくはあいかわらず、ジョンの歌を聴いている。

 彼の存在を身近に感じた時期がある。ちょっと疎遠になっていた時期もある。そしていま、彼はほとんど同じ場所にいる。近くもないけれど、遠くもない。ぼくにとっては、ほどよいところ。これからはもう、ずっとこのままだろう。

 ジョンの一つ一つの作品について、好き嫌いを言ってもしょうがない。そんなことには意味がない。ビートルズ解散後、彼が残したアルバムは、たった七枚しかないのだから。毎年、ジョンの命日には、そのなかから一枚を選んで聴くことをつづけていた時期がある。でも、いつのまにか、それもやめてしまった。いまは聴きたいときに、聴きたいものを聴く。

 このアルバムは、ソロになってからの第一作。大きな木の下、ヨーコのお腹に頭をのせて、ぼんやり空を見上げるジョン。「ビートルズ」という重荷を下ろし、いかにもリラックスした雰囲気が好ましい。かつて、ぼくたちが親しんだ邦題は『ジョンの魂』。たしかに、それ以外のタイトルは考えられない。あるときは叫び、またあるときは囁く、その声は、四十年の時を超えて生々しい。(2010年11月)