まぐまぐ日記・2011年……(17)

まぐまぐ日記
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12月14日(水)曇り

 午前中、小説を書いて、午後から九州産業大学で講義。今日は太宰治について話す。好きな作家なので、こっちもノリノリである。珍しく時間が足りなくなった。たとえば「走れメロス」の最後の場面、読むたびに感動して胸がいっぱいになる。もちろん「富嶽百景」も「女の決闘」も「駆込み訴え」も、みんな傑作だ。学生たちには、最初期の「魚服記」と中期の「黄金風景」と最晩年の「父」の三作品を推薦しておいた。あと「満願」もいいなあ。「畜犬談」は名人芸だなあ……などと、きりがない。

 小説はあいかわらずてこずっている。参考文献として読んだ岡真理『記憶/物語』(岩波書店)は、アウシュヴィッツなど悲惨な出来事を語ることについて考察したとてもいい本だ。スピルバーグの『シンドラーのリスト』と『プライベート・ライアン』の批判は的を射ている。

12月15日(木)曇り

 寒くなった。『愛についてなお語るべきこと』第8章「戦場」を、ようやく書き終える。オーストラリアへ行く前に書き終えていたものを、全面的に書き改めた。少しは良くなっているはずだ。

 クラーク・ゲーブルの名人芸的なタップ・ダンスに触発されて、夜は久しぶりに『或る夜の出来事』を観る。何度観ても面白い。やはりキャプラのベストは、これかもしれない。内容的には『オペラ・ハット』をとりたいが、演出としては、こっちが冴えている。この映画をはじめて観たのは、高校三年生の夏休みだった。NHKで放映されたものだった。ぼくは受験に備えて、毎日学校へ行って勉強していた。同じように学校で勉強していた友だちも、やはり番組を観ていて、受験勉強そっちのけで映画の話をしたのをおぼえている。1976年のことである。

12月17日(土)曇り

 朝から福岡武道館で剣道の講習会。真冬の天気で、暖房の入らない武道館はとても寒い。教師八段の小島先生を講師に迎え、午前中は審判法と木刀による基本技稽古法。昼休みを挟んで、午後は剣道形を二時間みっちり。一時間ほど合同稽古をして終わり。

 野田首相が原発事故の「収束」宣言。もはや日本政府の言うことは何一つ信用する気はないが、この現状を「収束」とは呆れる。メルトダウンした核燃料の所在をはじめ、内部の状況はほとんどわかっていない。東電の幹部も現地の作業員も、誰も把握していないのだ。いま一度大きな地震が起これば、首都圏は壊滅的な打撃を受けるだろう。ほとんど茶番にも等しい「収束」宣言である。枝野の「直ちに健康に影響はありません」という大嘘といい、放射能の暫定基準値をめぐる問題といい、日本政府は国民を被曝させることしか考えてない。もはや日本国民の敵と言ってもいいだろう。NHKをはじめとするメディアも、教育委員会も、多くの自治体も、御用学者も同罪だ。ぼくたちは御上やメディアをあてにせずに、一人一人が自衛するためのスキルを着実に学びつつある。つくづく不幸な国、不幸な国民だと思う。

 オーストラリアからおみやげに買ってきたアボリジナル・アートの額装が出来上がる。単色または二色刷りの版画で、トカゲやカニや水の流れなどが描いてある。原版は革を叩いて作ってあったと思う。はがきサイズのものを、一枚2000円くらいで5枚買ってきた。それを三つの額にわけて入れてもらった。額装の費用の方が高かったが、おかげで現代アート風のしゃれた作品になった。さっそく古い額を外して、玄関や階段の踊り場などに掛ける。

12月18日(日)曇り

 久しぶりに朝寝をした。『愛についてなお語るべきこと』は第8章の「木霊」へ進む。舞台はタイ北部の寒村へ。行ったこともない場所なので、早くも難航が予想される。

 ブログに原発事故についての総括を書く。長いあいだ、戦争は人類にとって最大の災厄でありつづけてきた。20世紀は戦争の世紀とも言われる。では21世紀は? おそらく人間が自らの作り出したものと戦う世紀になるだろう。福島の事故が、ぼくたちの目の前に付きつけたのは、そうした暗い予感ではないだろうか。

 いつかぼくたちは、戦争を懐かしむようになるかもしれない。人間同士が殺し合っていた時代を、牧歌的と感じるときが来るのかもしれない。あのころはよかった。敵は同じ人間だったのだから。いまや敵は目に見えない。どこにいて、いつ、どのような攻撃を仕掛けてくるのかもわからない。そんな相手と、果てしなく戦っていかなければならない。

 人類の歴史が、①自然が人間の脅威であった時期、②人間が人間の脅威になった時期を経てきたとすれば、福島の事故は、③人間の生み出したものが人間の脅威になりはじめた、という新たな段階を象徴するものと言えるだろう。放射能という、自分たちの力でコントロールできないもの、対処不可能なものを、人間は作り出してしまった。そのことが人類にとって、最大の脅威になっている。パンデミックが懸念されているウイルスにしても、たんなる突然変異だけなら大きな脅威にはならない。人間の文明との接点において破滅的なものになる、という点では、やはり人間が生み出したものと言えるだろう。

 悲観的になろうと楽観的になろうと、人類の未来は暗い。明るい要素など、何一つない。この絶望的な状況のなかで、どのような希望や可能性を見出せるか。いずれ人間は終わるにしても、終わるまでのあいだ、ぼくたちは生きつづけなければならない。生きつづけるためには、希望が必要だ。その希望は、ぼくたち自身が作り出さなければならない。

 夜は香椎にて、剣道教室の忘年会。午後6時から飲み放題で二時間余り、大いに飲み、騒ぐ。

12月21日(水)晴れ

 午前中は小説を書く。予想通り難航している。午後は九産大にて、今年最後の講義。今日は宮沢賢治について話す。宗教家としての生涯と、彼の文学がもっていつ宇宙性を中心に。

 夜は剣道教室の稽古納め。恒例の風船割り。子どもは楽しそうだが、大人は見ているだけなので寒い。稽古のあとは、お母さんたちが作ってくれた豚汁を食べる。うちの子どもたちが通っていたころから、変わらない習慣だ。