まぐまぐ日記・2012年……(6)

まぐまぐ日記
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2月6日(月)曇り

 午前中、気功。帰ってから小説を進める。また行き詰まっている。予定していた展開に疑問が出てきたのだ。主人公たちの身に起こる出来事で、いかに人類の滅亡を暗示するか。いいアイデアが浮かばない。

 内田樹・中沢新一『日本の文脈』を読みはじめる。「調子のいいことを言いやがって」と思いながら、けっこう面白く読める。二人とも性格がいいのだ。夜は剣道。

2月7日(火)曇り

 行き詰まっている小説が気になっているせいか、朝の4時半に目が覚めてしまった。明け方に布団のなかで思いつくアイディアは、あとで検証すると使えないことが多い。今朝のやつはどうだろうか。

 書きあぐねているのは、主人公たちの身に起こる出来事で、いかに人類の絶滅を暗示するかということだ。いろいろ考えているうちに、いま書いている章のタイトルを「洪水」から「劫火」に変更することにした。これで少し見通しがついた気がする。

 確認したいことがあり、中村健之介『ドストエフスキー人物事典』(講談社学術文庫)をぱらぱらやっていると面白く、一日中読みふけって、結局、駆け足で全部読んでしまった。引きつづき『悪霊』を読みはじめる。こちらも面白い。

2月8日(水)曇り・小雪

 昨日は小説の執筆を休んで、一日ドストエフスキーを読んでいたせいか、文学脳が活性化して、今日はなんとなく文豪気分である。仕事も久しぶりにはかどる。散歩を挟んで、夕方まで小説を書いていた。これからも困ったときは古典を読むことにしよう。

 インフルエンザが流行っているため、父の施設は面会禁止になった。もちろん外泊も中止である。せっかく足湯とマッサージが軌道に乗りかけていたのに残念だ。去年も、この時期はインフルエンザのために面会禁止になった。まあ、老人ばかりの施設なので仕方ないが、入所者はストレスが溜まるだろう。

2月9日(木)曇り

 今日も寒い。第10章の「劫火」を書く。文豪気分はなおつづいているみたいだ。いまのうちにできるだけ進めよう。

 フルトヴェングラーの指揮したベートーヴェンの『英雄』は、現在、9種類くらい出ている。このうち1944年盤は「ウラニアのエロイカ」と呼ばれ、世紀の名演とされる。ところがこの演奏、本人が気に入らずに回収を命じたため、原盤も破棄された。それで様々な音源から復刻されたレコードやCDが出まわり、現在に至っている。ファンは微妙に音質の違うディスクを何枚も集めることになる。ぼくも5枚くらい持っており、このTahraの音源も、すでにCDで持っている。だからSACD化されたときも、気がつかないふりをしていた。しかしアマゾンで1500円になってみるのを見つけて、つい注文していたのだ。今年のぼくのテーマは「禁欲」なのに……消費社会の闇は深い。

 夕方、散歩のついでに梅田さんのお宅にお邪魔する。彼は発明家である。ぼくが見るところ、一種の天才である。本来は電線の技術者だが、いろんなことに興味をもって、いろんなものを発明している。いま取り組んでいるのは磁気治療器で、ぼくも一つ譲ってもらっている。これを使いはじめてから、たしかに肝機能の数値がいい。この磁気治療器で知人の癌を治すために、彼は日夜改良をつづけている。ぜひとも成功して、抗癌剤をはじめとする、現在の誤った癌治療を駆逐してもらいたいものだ。

 梅田さんの奥さんはスリランカの出身で、彼女とのあいだに中学生の息子さんがいる。このあいだ英語検定の2級に合格したそうだ。とにかく早熟で、頭がいい。しかも素直ないい子だ。いまは小説を書いており、最近、『アンナ・カレーニナ』を読破したそうだ。いちばん好きな作家は芥川で、「地獄変」みたいな作品を書きたいと言っていた。う~む、剣道でもさせて、少しアホにした方がいいのではないか。

 風邪気味なので、夜は早くやすむ。

2月10日(金)曇り

 寒さは少しやわらぐ。「劫火」を進めるが、文豪気分はだいぶ薄れてきたようだ。いつもの自分に戻った感じ。

 性というのは、自分という部屋にあいた窓みたいなもので、そこから光が射してくる。その光を浴びると、自分は善い人間であると告知されてしまう。自分のなかに「善良な人間」という刻印が押され、以後、その刻印を無視して生きることはできなくなる。そんなことを、文豪気分に乗じて主人公に語らせた。わりとうまく書けたのではないかと思う。

 『日本の文脈』を読了。このなかで内田樹が、原子力を21世紀の「荒ぶる神」と書いているが、ぼくは違うと思う。原子力も遺伝子操作も、マルクスが「疎外」と呼んだ、人間と自然の関係の必然的な帰結である。この「疎外」を解消するために、少なくともマルクス自身は「共産主義」という解を用意した。それが間違っていたというのなら、別の解を作り出さなければならない。そんなふうにしてしか、本質的なところで原子力の問題は超えられないと思う。

 たしかにタービンをまわすお湯を沸かすために原子力を利用するなんて、いくらなんでもアホらし過ぎる、とぼくも思う。高度な知識のレトロな応用といったところだ。原子力発電は本質的な問題では全然ない。原子力にかんしては、さらに高度な応用技術が出てくるはずだ。それをどうするのか? このことについては、いつかきちんと書いてみたい。

2月11日(土)曇り・晴れ

 午前中は小説を進める。午後からは夫婦で天神に出る。家内は子どもたちに贈るバレンタインのチョコレートを買う。ゴディバのチョコレートがこんなに高いとは知らなかった。いくらなんでも馬鹿げでいる。ぼくは板チョコで充分だ。そんなことを言ったら、妻は「あなたには買ってあげない」と答えた。

 夕方6時から、大石昌良さんのライブ。いや~、良かったです。アコースティック・ギター一本で中島みゆきからシナトラまで歌いこなす芸風の広さ。ギターもめちゃくちゃ上手い。ヴィンテージもののギブソンがうれしそうに鳴っていた。加えて、心根のいいキャラクター。本当に楽しく、心に響く2時間だった。ますますファンになりましたよ。

2月12日(日)晴れ

 文豪気分はすっかり薄れ、今日は気分が乗らない。いつものように読書へ逃避。埴谷雄高の『外国文学論集』でドストエフスキーについたところを拾い読みしていたら面白く、ほとんど全部読んでしまった。なんだか、最近はこのパターンが多いな。昔、河出書房新社から出ていた埴谷雄高作品集を持っているので、この機会に他の巻も読んでみよう。

 夕方から天神に出て、ジュンク堂で買い物。五味太郎の絵本、太田出版から出ている雑誌などを買い、中洲の「酒一番」へ。今日はNHKの牧野さん、繁竹さんと一杯やるのだ。牧野さんは「知る楽」のときのプロデューサーで、いまは東京に戻り「新日本風土記」を担当している。繁竹さんは大学の先輩。現在はNHKプラネットの福岡支社長だ。

 原発事故以降、ぼくは日本のジャーナリズムをまったく信用していない。日本にジャーナリズムは存在しないと思っている。そんな苛立ちをぶつけてしまったので、お二人はあまり愉快ではなかったかもしれない。もともとぼくは、お酒を飲むと突っかかる癖がある。日ごろは自重するように心がけているのだが、ときどき出てしまう。いつまでも大人になれないなあと思う。