現代文学として『源氏物語』を読む……第3回 物の怪(1)

九産大講義
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 『源氏物語』には物の怪がたくさん出てきます。「物の怪」というと、皆さんのなかには宮崎駿のアニメを思い浮かべる人も多いかもしれませんね。『源氏物語』の場合、物の怪が登場するパターンはだいたいきまっていて、恋愛の挫折とか病気や死や出産の場面で現れます。主人公をはじめ登場人物たちは、いつも物の怪や怪異におびえて暮らしています。

 最初に物の怪が出てくるのは、第4章の「夕顔」です。光源氏は17歳の夏を迎えています。ある日、尼になっている病気の乳母を見舞ったおり、隣の家に咲いている白い花に目をとめます。護衛の家来に花の名をたずねると「夕顔」という。ここから女の名前は「夕顔」と呼ばれるようになります。

 『源氏物語』には、人の名前はほとんど出てきません。たいてい「左大臣」や「中将」といった官位や、「君」「上」「宮」といった敬称で呼ばれます。葵の上や紫の上も、本文中では「大殿の君」や「二条院の君」などと呼ばれています。「葵の上」や「紫の上」という呼称は、後世の読者によって付けられたものです。

 さて、源氏はその夕顔の花を一房折ってくるように命じます。家来が花を採っていると、家の女童が出てきて「この上に花を載せて差し上げてください」と言って白い扇を差し出す。扇には風流な筆跡で「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」という歌が書き流してある。そんなところから源氏は女に興味をもつようになります。

 一方で、六条の御息所という年上の女性との逢瀬はつづいている。御息所は魅力的な女性で教養もありますが、七つ年上ということもあり、気楽に付き合える相手ではない。若い恋人にたいする執着も強く、源氏のほうはちょっと持て余している。歌を取り交わした女(夕顔)のことが気になり、部下に探らせるが女の素性はわからない。源氏のほうでも名前や身分を伏せて忍んでいく、といったかたちで付き合いがはじまります。女は初々しく無邪気で、歳も自分に近いらしい(このとき夕顔は19歳)。源氏は好ましく思い、しだいに耽溺していきます。

 旧暦の8月15日、その夜は中秋の満月でした。夕顔のところで一夜を過ごした源氏は、明け方になって荒れた院に女を連れ出します。もっと気兼ねのないところで、二人だけの逢瀬を楽しもうというわけです。さすがに随行の家来が心配して、お世話をする人を呼んだほうがいいのではないかと申し出ると、源氏は「ことさらに人来まじき隠れ処求めたるなり。さらに心より外に漏らすな」と口止めをする。「御粥など急ぎまゐらせたれど、取りつぐ御まかなひうちあはず」(粥を用意したけれど、膳を運ぶ者が間に合わない)というくだりが生々しいですね。食も忘れて愛欲にふける17歳という感じです。

 夜が明けて、源氏の台詞。

 「けうとくもなりにけるところかな、さりとも、鬼なども我をば見ゆるしてん」

 人けがなくて気味の悪いところだなあ。でもまあ、鬼などが住んでいたとしても、きっとわたしのことは見逃してくれるだろう。何を根拠に? さりげなく「鬼」という言葉を使っているところが不気味です。なぜなら、このあと夕顔は源氏がふと漏らした言葉のとおり「鬼」に取り殺されてしまうからです。

 平安京は長安をモデルに設計された、当時の「近代」都市です。条坊制によって合理的にデザインされている。そんな京の都はまた、さまざまな怪異に支配された街でもありました。「鬼」という字は、普通は「オニ」と読みますが、「九鬼文書(くかみもんじょ)」のように「カミ」と読む場合もあります。また「モノ」と読むこともあったらしい。こちらは物の怪の「モノ」でしょう。「隠(おぬ)」が訛ったものという説も多くみられます。この場合は「隠れたもの」や「目に見えないもの」という意味になりますね。

 何が隠れているのか? 死霊、生霊、地縛霊などいろいろです。そうした目に見えない超自然的存在を人々は身近に感じ、リアルに怖れながら暮らしていたようです。一人の男が雷に打たれるなどして人が不慮の死を遂げた場所は地縛霊の憑く悪所となる。家に住み着いた霊鬼は家霊と呼ばれました。源氏が夕顔を連れ込んだ廃墟も、そのよう場所だったのかもしれません。

 静かな夕暮れ、女は荒れ果てた邸の暗さを気味悪がっている。源氏は女に添い寝してやる。さすがに情事も一昼夜となると男は疲れている。女が感じている「鬼」の存在に男は気づかない。その思いは千々に乱れて、いまごろ自分を探しまわっている帝のこと、等閑にしている六条の御息所のことなどをぼんやり考えている。

 宵過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上にいとをかしげなる女ゐて、「おのが、いとめでたしと見たてたてまつるをば、尋ね思ほさで、かくことなることなき人を率ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとすと見たまふ。物に襲はるる心地して、おどろきたまへれば、灯も消えにけり。うたて思さるれば、太刀を引き抜きて、うち置きたまひて、右近を起こしたまふ。

 午後10時ごろでしょうか、男が少しうとうとしていると、枕元にぞっとするほど美しい女が坐っている。「あなたを心からお慕いしているわたしを捨て置かれ、こんなつまらない女を連れ歩いてご寵愛になるなんてあんまりだ。口惜しく心外で辛いことです」と言って、傍らに寝ている女に手をかけ、引き起こそうとする。そんな情景を源氏は夢うつつに見る。ものに襲われた気がして、はっと目を覚ますと明かりが消えている。気味が悪いので、太刀を引き抜いて魔除けのために置き、夕顔の侍女である右近を起こした。

 夕顔は怯えきって意識を失っている。助けを求め家中を右往左往して戻ってみると、すでに女は息絶えている。源氏は恐怖と悲しみに打ちひしがれる。遺体は腹心が秘密裏に運び出す。源氏は茫然自失の態で二条院に戻る。そこで思い直し、荼毘に付す前に夕顔の亡骸を一目見たいと馬で東山に出かける。帰りに落馬してそのまま衰弱がひどくなる。なんとか回復した源氏は夕顔の侍女・右近を引き取る。

 その右近が女の素性を打ち明ける。夕顔は源氏の義兄にあたる頭中将の元愛人で、子どももいるけれど、中将の正妻の脅迫まがいの仕打ちを逃れて仮住まいをしていたのでした。歳は19だったという。源氏は比叡山で夕顔の四十九日の法要を営みます。亡き人の魂は四十九日までは来世での生が定まらず中有(中陰)をさまよっているそうです。

 物の怪にまつわる場面は、『源氏物語』の読みどころの一つです。次回は、先ほど少し出てきた六条の御息所の物の怪が、源氏の正妻である葵の上を取り殺すシーンを読んでみることにしましょう。(2020.10.14)