レコードのある風景……⑦

レコードのある風景
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⑦『ゴルトベルク変奏曲』

 もう二十年くらい前になるだろうか。ある日、突然ピアノに目覚めた。独学でハノンなどの教則本にも取り組んだけれど、なんといっても弾きたかったのはバッハだ。それでゼンオンの『クラヴィーア小曲集』という、いちばん簡単なバッハのピアノ曲集を買ってきた。一日に二時間も三時間も練習をして、ガボットやジークなどが、なんとか弾けるようになった。

 こんなことになってしまったのは、テレビで偶然にグレン・グールドの番組を観たせいだ。そのなかで彼が弾いていたバッハのかっこよかったこと。中学生のときにロックに目覚めて以来の衝撃だった。ぼくにとってグールドは、まさに「ロック」だった。

 どうしてこんなに魅せられてしまったのだろう。たとえばバッハにしても、現存のピアニストでいうとアルゲリッチやピリスやペライアなど、好きな演奏はたくさんある。でも自分で弾いてみようとは思わない。もちろん技術的に弾けないわけだけれど、なんとか真似をしたい、雰囲気や気分だけでもあんなふうに弾きたいと思ったのは、グールドの他には、ディヌ・リパッティが演奏するショパンの『ワルツ集』を聴いたときくらいだ。

 グールドのレパートリーはとても広い。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスからシュトラウス、ヒンデミット、シェーンベルク、ワーグナーのオペラをピアノ用に編曲したものまで。だが、グールドといえば、なんといってもバッハだろう。一九五五年の『ゴルトベルク変奏曲』で鮮烈なデビューを飾り、一九八一年に同じ曲を再録音したものが遺作となったのも、なんだか不思議なめぐり合わせだ。

 二つの『ゴルトベルク』、四半世紀の時間が流れているだけあって、かなりスタイルが違う。全曲を四十分足らずで駆け抜ける五五年盤にたいして、八一年のステレオ盤は五十分少々。テンポからして、ずいぶんゆったりしている。しかしもたついたところはまったくない。ぼくは八一年盤の方が好きだが、五五年盤を好む人もいるだろう。

 八一年盤には映像も残されている。死の前年なので、さすがに風貌は衰えているが、それでも独特のピアノ奏法が堪能できる。なんと彼はピアノ(このとき弾いているのはヤマハ)を改造していたのだ! たとえばグールドは、パッセージよっては鍵盤のかなり奥の方を使って弾く。そのため指が当たらないように、ボードがはずしてある。鍵盤のアクションもかなり軽くしてあるのだろう……などなど、観れば観るほどいろいろな発見がある。(2012年1月)