現代文学として『源氏物語』を読む……第6回 近親のエロス(1)

九産大講義
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 『源氏物語』のうち光源氏を主人公とする部分(第41章「雲隠」まで)について見ると、彼にとって重要な女性は藤壺と紫の上ということになります。まさに「紫」の女性たちをめぐる物語です。そのなかで若紫との出会いの場面を見てみましょう。        

 帖は第5章の「若紫」です。18歳の源氏は病気になります。「瘧病(わらはやみ)」とあり、マラリアみたいなものだったようです。彼は北山の寺にいる行者のところへ治療に通う。そこで幼女といっていい年ごろの若紫(のちの紫の上)を見初めます。「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠の中に籠めたりつるものを」(雀の子を召使の犬君が逃がしちゃったの。ちゃんと籠のなかに入れておいたのに)と悔しがっている様子が愛らしい。ちなみに「犬君」は若紫に仕える女童の名前でワンちゃんではありませんよ。

 若紫の父は兵部卿宮で藤壺の兄です。つまり若紫は源氏が眷恋(けんれん)する女性・藤壺の姪ということになります。そんなこともあって、源氏はなんとしてもこの子を引き取って将来は妻にしたいと思うのです。しかるべき筋と交渉するけれどはかばかしい返事をもらえない。そりゃそうでしょう、まだ10歳ですからね。まあ、源氏のほうも18歳だけど。

 もう一度整理しておきましょう。光源氏の父はときの天皇である桐壷帝です。桐壷帝の正妻(中宮)は弘徽殿の女御といいます。彼女はときの右大臣の娘だから後ろ盾がしっかりしている。ところが桐壷帝は桐壷の更衣(光源氏の実の母)という、それほど後ろ盾のしっかりしていない女性を溺愛したものだから、更衣は宮中に仕える多くの女性たちの妬みや恨みを買い、心労が募るようにして亡くなってしまいます。後妻に迎えたのが藤壺の女御でした。彼女は亡き母親に瓜二つだと聞かされて育った幼い源氏は、いつしか藤壺を思慕するようになっていきます。しかし藤壺は天皇の側室ですから、なかなか近づけない。そこで次善策として、源氏の欲望はまだ少女と言っていい若紫に向かうわけです。

 一方で、藤壺への思いも断ち切ることができない。というところで問題の場面に進みます。同じ「若菜」のなかで、藤壺の女御が病気になって里に下ります。父の帝は心配しきりですが、息子の光源氏としてはチャンス到来といったところでしょうか。藤壺の侍女(王命婦)に早く手引きをしろと催促します。

 いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどに、現とはおぼえぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむ、と深う思したるに、いとうくて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむ、と、つらうさへぞ思さるる。

 ここはどの訳者も苦労しています。丁寧に訳そうとするほどぎくしゃくした文章になるみたいです。円地文子は説明を補い過ぎて暑苦しくなっている。瀬戸内の訳はわかりやすいが散文的で雰囲気がない。与謝野晶子の訳も無骨で良くない。いちばんうまく訳しているのは谷崎かなあ。細部に拘泥せずにさらりと訳すほうがいいのかもしれませんね。

 どのやうに計らつたことなのか、たいそう無理な首尾をしてやうやうお逢ひになるのでしたが、その間でさへ現とは思へぬ苦しさです。宮も、あさましかつたいつぞやのことをお思ひ出しになるだけでも、生涯のおん物思ひの種なので、せめてはあれきりで止めにしようと、固く心におきめになつていらつしやいましたのに、また此のやうになつたことがたいそう情なく、遣る瀬なささうな御様子をしていらつしやるのですが、やさしく愛らしく、と云つて打ち解けるでもなく、奥床しう恥かしさうにしていらつしやるおん嗜みなどの、やはり似るものもなくていらつしやいますのを、どうしてもかうも欠点がおありにならないのであらうかと、君は却つて恨めしいまでにお思ひになります。(谷崎訳)

 無理な算段をして逢ってみたが、これが現実のこととは思えなくて残念である、と思っているのは源氏です。一方の藤壺は、思いもよらなかったあの夜のことを思い出すだけで呵責をおぼえ、もう同じ過ちは繰り返すまいと固く心に誓っていたのに、再びこんなことになってしまったことが情けない、と思っている。ということは、すでに一度目の密会があったことになりますね。その場面は、現在残っている『源氏物語』には書かれていません。最初から作者は書かなかったのか、それとも失われてしまった章があったのか、研究者のあいだでも意見が分かれているようです。

 本文に戻ります。藤壺は心が乱れながらも、源氏にたいしてはやさしく情のこもった愛らしさを示します。とはいえあまり馴れ馴れしく打ち解けた様子は見せない。どこまでも奥ゆかしく、優雅な物腰などはやはり他の女性とは比べようもない。このあたりの描き方はうまいなと思います。源氏としては、どうしてこの人は、こちらが物足りなく思うようなわずかな欠点さえも混じっていないのだろう、とかえって恨めしく思ってしまうのです。ここは『源氏物語』全編を通してみても、クライマックスの一つだと思います。

 こんな出来事があって藤壺は懐妊します。ときの帝の后を、その実子である光源氏が妊娠させてしまったのです。戦前に『源氏物語』が不敬の書とされたはずですねえ。

 宮も、なほいと心うき身なりけり、と思し嘆くに、なやましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使しきれど、思しも立たず。まことに御心地例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、人知れず思すこともありければ、心うく、いかならむとのみ思し乱る。

 藤壺は体調がすぐれないので里に下がっています。心身の不快がいっそう増大しているのは、源氏の子を身ごもったからです。宮中からは早く参内なさいとのお使いがしきりに来るけれど、そういう気持ちになれない。「例のやうにもおはしまさぬ(普通のようではいらっしゃらない)」とは悪阻(つわり)のことでしょう。通常は妊娠5週目ごろから起こるとされますから、少なくともそのころに源氏との密会があったことになりますね。本人も「人知れず思すこともありければ」(心ひそかに思い当たることがあったので)と認めています。そして「いかならむ」(これからどうなるんだろう)と思い煩っているのです。

 妊娠も3か月を過ぎて、さすがに人目にもつくようになりました。女房たちは帝の子だと思っているので、どうしてもっと早くお知らせしなかったのだろうと怪しんでいます。「わが御心ひとつには、しるう思し分くこともありけり(自分のお心一つには、はっきりとおわかりになることもあった」とあるように、藤壺には源氏の子であることがはっきりとわかっています。懐妊の真相を知っているのは、本人の他には密会の手引きをした王命婦ただ一人です。

 その命婦の心情を、「なほのがれがたりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ(なんとしても逃れることができなかった前世のお約束事があったことを、命婦は嘆かわしく思う」と作者は書いています。「宿世」とは前世からの因縁といった意味の仏教用語です。「前の世の定め」という考え方は、『源氏物語』全編を通奏低音のように流れています。

 「若紫」という章の軸になるのは、源氏が若紫を見初めて略奪するまでの経緯ですが、あいだに藤壺との二度目の密会が置かれているわけです。その密会の場面を今回は見てきました。次回は若紫を略奪するところから見ていきましょう。(2020.11.25)