現代文学として『源氏物語』を読む……第1回

九産大講義
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 後期の授業では皆さんと一緒に『源氏物語』を読んでみようと思います。なぜ『源氏物語』を取り上げるかというと、まず面白いからです。なにしろ不義密通と近親相姦の話ですからね。面白くないはずがない。そこに物の怪や怪異現象が加わります。

 毎年、後期の授業では皆さんに小説を書いてもらうことにしています。すると超常現象っぽいものを書いてくる人がとても多いのです。死んだ幼馴染に会ったとか、生まれ変わりとか、予知夢とか、祟りとか、異界からの訪問者とか……そういうものは、みんな『源氏物語』に出てきます。だから現代小説として『源氏物語』を読むと、きっと創作の参考になると思います。

 まず全体的なことをお話しておきましょう。『源氏物語』は54巻(帖)よりなる主人公・光源氏を中心とした約70年の物語です。光源氏の一代記として読めば、第44巻の「雲隠れ」までは彼が生まれ、育ち、恋をし、流謫(須磨・明石に蟄居)と昇進(准太上天皇・39歳)を経験しながら、老いて死ぬ話と言えます。

 さらに細かく見ると、第1巻「桐壺」から第20巻「槿」までは源氏の恋と成功の物語と言えます。つづく「乙女」から第41巻の「雲隠」までは、光源氏の中年以降で人生の苦渋の物語です。そして「宇治十帖」を含む「匂宮」から「夢の浮橋」までが源氏の死後、彼の息子(ということになっているが、じつは柏木の子)薫と女性たちの物語ということになります。

 主な登場人物は50人ほどで、端役まで入れると400人を超えると言われています。しかも物語は、いろんな人が絡み合ってとても複雑です。これを紫式部(970年代~1020年前後?)という女性がほぼ一人で書いたらしいのです。しかも1000年も前に!

 光源氏の一生を簡単に見ておきましょう。

 1歳 桐壺更衣、光源氏を出産。桐壺帝の次男にあたる。(「桐壺」)
 3歳 桐壺更衣、死去。桐壺帝の寵愛を受けたことから宮中の女たちの嫉妬をかう。(「桐壺」)
 7~11歳 身分の低い桐壺から生まれた第二皇子(光源氏)を、外戚の威力もない親王にしておきたくない帝が、源氏の姓を与えて臣籍(実務家として朝廷を支える)に移す。藤壺が入内(天皇と正式に結婚すること)。亡くなった実母(桐壺更衣)に生き写しと言われる。(「桐壺」)
 12歳 元服。左大臣の娘、葵の上(16歳)と結婚。藤壺(5歳年上)に恋心を抱く。(「桐壺」)
 17歳 頭の中将らと雨夜の品定め。(「帚木」)空蝉との逢瀬。(「空蝉」)六条の御息所(源氏より7歳年上、教養が高く魅力的だが執念深い)のところに忍ぶ途上、夕顔を見初める。夕顔、源氏との逢瀬の折、物の怪に襲われて死去。(「夕顔」)
 18歳 藤壺との逢瀬。藤壺、懐妊。紫の上を引き取る。(「若菜」)
 19歳 藤壺、後の冷泉帝を産む。源氏と藤壺の苦悩。(「紅葉賀」)
 22歳 葵の上、結婚10年目にして懐妊、夕霧を出産。六条の御息所の生霊のために死去。(「葵」)
 25歳 朧月夜との密会が発覚。源氏は中央政界にいづらくなって須磨に蟄居。(「須磨」)
 27歳 明石の君と逢う。その後20余年、彼女は源氏の愛人として生きる。(「明石」)
 28歳 明石の君、懐妊、明石の姫君を産む。源氏、帰京。政界に復帰し権大納言に昇進。(「蓬生」)
 32歳 藤壺、死去。冷泉帝、出生の秘密を知り源氏に譲位をほのめかす。源氏は固辞。(「薄雲」)
 39歳 准太上天皇の地位に就く。(上皇に准ずる。いまの内閣総理大臣みたいなもの?)(「藤裏葉」)
 40歳 女三の宮(14歳くらい)と結婚。兄・朱雀帝の娘で源氏にとっては姪にあたる。(「若菜」)
 47歳 柏木、女三の宮と密通。明石の姫君、匂宮(源氏の孫にあたる)を出産。(「若菜」)
 48歳 女三の宮、薫(実父は柏木)を出産ののち出家。柏木の死(密通を苦にして?)(「柏木」)
 51歳 紫の上、死去(43歳)。彼女は源氏を30年にわたって支えた糟糠の妻だった。(「幻」)
 52歳 源氏、死去。その最期は描かれない。ただ「雲隠れ」の一帖が置かれるのみ。

 つぎに作品の主題ということを考えてみましょう。いろいろな読み方ができますが、作者が女性であることを考えると、当時は一夫多妻(多妾)制であったことは押さえておいたほうがいいでしょう。葵の上にしても紫の上にしても、夫が自分以外の女性とかかわりをもち、その女性に子どもが生まれることを婚姻の風習として受け入れるしかなかった。そうした女性たちの苦しみ、葛藤が作品全体の大きなテーマになっていると思います。六条の御息所の物の怪も、女たちの悲哀を体現していると見ることができるかもしれません。

 因果応報の物語と言うこともできると思います。物語に色濃く描かれるのは、自分たちが犯した不義に翻弄される男と女です。光源氏は義母である藤壺と密通して、藤壺は懐妊、後の冷泉帝を産みます。ところが源氏が40歳のときに娶った女三宮は若い柏木と密通し、女三宮は不義の子、薫を産むことになります。こうして源氏は父・桐壺帝と同じ立場に立たされる。かつて父の妻を奪った彼が、今度は自分の妻を奪われる。父も藤壺との密通を知っていたのではないか? そう考えて、源氏は自分が犯した過ちに打ちひしがれるのです。

 さらに政治小説的な性格ももっています。物語背景に藤原氏による階位の独占(摂関政治)があります。閉じられた世界における、せいぜい数十人の貴人たちの物語です。そこでは結婚ひとつをとってみても、天皇の外戚となって政治の実権を握ろうとする政治的な駆け引きがある。光源氏について言えば、弘徽殿の大后とその父右大臣による政界からの追放、復帰、昇進という生涯をたどります。

 もう一つ強調しておきたいことは、『源氏物語』は当時のすぐれた風俗小説であったということです。『源氏』のなかで語られるエピソードは、『大鏡』や『栄花物語』に記された、源融、藤原兼家、花山天皇、藤原頼道など、実在の人物の身に起こった出来事と照応するものが多いのです。最初の読者であった宮中に仕える女房たちは、物語を読んで「あっ、これはあの人のことだ」とすぐにわかったでしょう。そういう女性週刊誌的なところが多分にあったのだと思います。それが当時から『源氏物語』が多くの読者を得た理由の一つだったのかもしれません。非常に高度で繊細な世界が描かれているのですが、その元ネタは意外と通俗的なものだったようです。

 最後に現代語訳の問題に触れておきましょう。『源氏物語』の現代語訳は簡単に手に入るものだけでも5、6種類あります。現代語訳を読む楽しみは、クラシック音楽で一つの作品をいろんな指揮者や演奏者のもので楽しむことと似ているんじゃないかな。音楽にも演奏スタイルの変遷がありますが、言葉の場合はそれがもっとはっきりしています。

 いろいろな現代語訳で「葵」の帖から、源氏と紫の上が新枕をかわす場面を読んでみましょう。まず原文をあげておきますね。

 つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち、偏つぎなどしつつ日を暮らしたまふに、心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなき戯れごとの中にもうつくしき筋をし出でたまへば、思し放ちたる月日こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍びがたくなりて、心苦しいけれど、いかがありけむ、人のけぢめ見たてまつり分くべき御仲にもあらぬに、男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬあしたあり。人人、「いかなればかくおはしますらむ。御心地の例ならず思さるるにや」と見たてまつり嘆くに、君は渡りたまふとて、御硯の箱を御帳の内にさし入れておはしにけり。人間に、からうじて頭もたげたまへるに、ひき結びたる文御枕のものにあり。何心もなくひき開けて見たまへば、
 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を
と書きすさびたまへるようなり。かかる御心おはすらむとはかけても思し寄らざりしかば、などてかう心うかりける御心をうらなくも頼もしきものに思ひきこえけむ、とあさましう思さる。

 まず、いちばん古い与謝野晶子訳を見てみましょう。

 つれづれな源氏は西の対にばかりいて、姫君と偏隠しの遊びなどをして日を暮らした。相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭の良さは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のように愛撫して満足ができた過去とは違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって、心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があった。女房たちは、
 「どうしてお寝みになったままなのでしょう。御気分がお悪いのじゃないかしら」
 とも言って心配していた。源氏は東の対へ行く時に硯の箱を帳台の中へそっと入れて行ったのである。だれもそばへ出て来そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕の横にあった。なにげなしにあけて見ると、
 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を
 と書いてあるようであった。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もしても見なかったのである。なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けなくてならなかった。

 かなりぶっきらぼうに訳していますね。これはこれでいいのですが、ちょっと即物的というか、さっぱりし過ぎている気もします。つぎは谷崎潤一郎の訳。

 退屈しのぎに、ただ此方の対で碁だの偏つきだのをなさりながら日をお暮しになりますのに、生まれつきが発明で、愛嬌があり、何でもない遊戯をなされましても、すぐれた技量をお示しになると云ふ風ですから、此の年月は左様な事をお考へにもならず、偏にあどけない者よとのみお感じになつていらつしゃいましたのが、今は怺へにくくおなりなされて、心苦しくお思ひになりつつも、どのやうなことがありましたのやら。幼い時から睦み合ふおん間柄であつてみれば、余所目には区別のつけやうもありませぬが、男君が早くお起きになりまして、女君がさつぱりお起きにならない朝がありました。女房たちが、「どうしてお眼ざめにならないのか知ら。御気分でもお悪いのであらうか」とお案じ申し上げてゐますと、君は御自分のお部屋へお帰りにならうとして、御硯の箱を御帳の内にさし入れてお立ちになりました。人のゐない折に、やうやう頭を擡げられると、引き結んだ文がおん枕元に置いてあります。何心もなく引き開けて御覧になりますと、
 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を
と、いたづら書きのやうに書いてあります。かう云ふお心がおありになるとは夢にも思つていらつしやいませんでしたので、こんな嫌らしい御料簡のお方を、どうして心底からお頼み申し上げてゐたのであらうと、情なくお思ひになります。

 ぼくはこの谷崎訳がいちばん好きですが、みなさんはちょっと難しいと感じられるかもしれません。現代語訳なのに古文みたいですものね。そこで比較的新しい瀬戸内寂聴さんの訳で読んでみましょう。

 所在ないままに、源氏の君はただ西の対で、姫君と碁を打ったり、偏つき遊びなどなさって、日を暮していらっしゃいます。姫君の御気性がとても利発で愛嬌があり、たわいない遊戯をしていても、すぐれた才能をおのぞかせになるのです。まだ子供だと思って放任しておかれたこれまでの歳月こそ、そういう少女らしい可愛らしさばかりを感じていましたが、もう今はこらえにくくなられて、まだ無邪気で可哀そうだと心苦しくはお思いになりながらも、さて、おふたりの間にどのようなことがありましたのやら。
 もともと幼い時から、いつも御一緒に寝まれていて、まわりの者の目にも、いつからそうなったとも、はっきりお見分け出来るようなお仲でもありませんでしたが、男君が早くお起きになりまして、女君が一向にお起きにならない朝がございました。女房たちが、
「いったい、どうなすったことかしら。姫君は御気分でもお悪いのでしょうか」
 と、そんな御様子に心配していました。源氏の君は、東の対の御自分のお部屋にお帰りになる時、御硯の箱を碁帳台の内にさし入れて行っておしまいになりました。人のいない間に、姫君はようやく頭をもたげて御覧になりますと、引き結んだお手紙が枕もとに置いてあります。何気なく取りあげてごらんになると、
 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を
 と、さりげなく書き流されたようでした。
 源氏の君に、こんなことをなさるお心がおありになるとは、姫君は夢にも思っていらっしゃらなかったので、どうしてこんないやしいお心の方をこれまで疑いもせず、心底から頼もしい方と思いこんでいたのだろうと、とても情けなく、口惜しくてなりません。

 なるほど、わかりやすいですね。これはもう、ほとんど現代小説です。そのぶんちょっと味気ないと言えるかもしれません。参考までに、いちばん新しい角田光代さんの訳もあげておきます。

 することもなく、光君は西の対で碁を打ったり、文字遊びをしたりして日を過ごしている。利発で愛嬌のある紫の姫君は、なんでもない遊びをしていても筋がよく、かわいらしいことをしてみせる。まだ子どもだと思っていたこれまでの日々は、ただあどけないかわいさだけを感じていたが、今はもうこらえることができなくなった光君は、心苦しく思いながらも……。
 いったい何があったのか、いつもいっしょにいる二人なので、はた目にはいつから夫婦という関係になったのかわからないのではあるが、男君が先に起きたのに、女君がいっこうに起きてこない朝がある。
「どうなさったのかしら。ご気分がよろしくないのかしら」と女房たちが心配して言い合っていると、光君は東の対に戻ろうとして、硯箱を几帳の中に差し入れていった。近くに女房がいない時に、女君がようやく頭を上げると、枕元に引き結んだ手紙がある。何気なく開いてみると、
 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を
 とさらりと書いてある。光君が、あんなことをするような心を持っていると紫の女君は今まで思いもしなかった。あんないやらしい人をどうして疑うことなく信じ切ってきたのかと、情けない気持ちでいっぱいになる。

 一読してわかるのは、谷崎訳と瀬戸内訳は宮中で貴人たちの世話をする女房を語り手としていることです。つまり藤原道長に仕えたといわれる紫式部を語り手と想定しています。それにたいして与謝野訳と角田訳では客観的な語り手を設定しています。それぞれ一長一短があるので、余裕があれば幾つかの訳を読み比べてみるのがいいと思います。

 ぼくも普段は現代語訳で『源氏物語』を読むのですが、その場合でも重要な個所は、やっぱり原文を参照したほうがいいと思います。現代語訳ではどうしても訳し過ぎてしまい、オリジナルのもっている含みやニュアンスが損なわれてしまうきらいがあります。とくに新しい訳ほどそうした傾向が強いようです。だいから気に入った場面は、原文にあたるのがいいですね。

 ただ原文とはいっても、底本によって微妙な違いがあります。紫式部本人の原稿は残っていないので、いずれも写本なのですが、これが少しずつ違っているわけです。たとえば先の場面でも、源氏の歌が、小学館日本古典全集(大島本を底本としている)では「あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を」となっていますが、三条西家本を底本としている岩波文庫版では「あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがになれし中の衣を」となっています。こんな大事なところが写本によって違っているのですね。『源氏物語』には本当の意味でのオリジナルは存在しません。このことも頭に入れておきましょう。

 ぼくの授業では短く原文を引きながら、それに簡単な現代語訳を付けるというかたちで講義を進めていこうと思います。できるだけ現代小説として読んで面白い場面を取り上げますのでね、どうぞご期待ください。(2020.9.16)