アフター・コロナ(4)

アフター・コロナ
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 21世紀の現実世界を管理するのは、目下のところGAFAのような超国籍IT企業ということになりそうだ。将来はBATなども参入してくるかもしれない。だが、それらはあくまで表面的なことだろう。たしかに彼らは商売をしており、そのために個人情報を集めている。グーグルやアマゾンが提供するサービスが個人情報の提出と引き換えであるあることくらい、いまは誰でも知っている。それを承知の上で使っているのだから、ぼくたちとGAFAのあいだには共犯性がある。お互いに持ちつ持たれつで世界を動かしているわけだ。

 ユーザーの投稿がなければYouTubeは空っぽのビデオ棚に過ぎない。何十億もの人に利用してもらうことでフェイスブックは莫大な企業価値をもつ。ウェブ・サービスを提供する会社の多くは、ユーザーの自発的な利用によって価値を生み出している。ユーザーの関与によって会社は実体性を帯びる。使う人がいなくなれば、その会社は消滅したに等しい。したがって彼らの好感、共感や賛同を得ることはビジネスの一部になっている。

 わかりやすい例としては、ビル・ゲイツが病気や貧困をなくすために慈善基金団体を設立していることや、ザッカーバーグが個人資産の慈善事業への提供を発表したことなどが挙げられるだろう。もちろん当人たちの善意もあるだろう。しかしウェブ・サービスという場では、善意とビジネスを区別すること自体が意味をなさない。CEOの個人的な善意はそのままビジネスに反映してしまう。へそ曲がりのジョブズは、そういったことが嫌で慈善活動に消極的だったのかもしれない。

 とりわけ印象に残っているのは、シャルリー・エブド事件のあと、ウェブ・サービスを展開している企業が一斉に示した反応だ。フェイスブックは「安全と平和を願う」としてユーザーのプロフィール写真にフランス国旗のカラーを重ねられるサービスを開始した。アマゾンはトップ・ページに仏国旗を載せて「連帯」を主張した。YouTubeも仏国旗をあしらい、英語で「われわれはパリとともにある」と呼びかけた。いずれも事件発生から間をおかない素早い反応だった。今後はこうしたグローバル企業が中心となって、テクノロジーと一体になった民主主義を広く薄く世界に頒布していくかもしれない。

 ウェブ・サービスの世界では、いくら強大な超国籍企業といえどもあまり阿漕なことはできない。裏でこっそりやれば、すぐにリークされ世界中に拡散されるだろう。まさにビジネスの観点から、彼らはユーザーに反感をもたれないように、善意と誠意をもって事業を進めることになる。つまりユーザーとの共犯関係のもとにビジネスを展開せざるを得ないのだ。

 たとえばアップル・ウォッチでは脈の速さや心拍数など、多くの身体情報が収集される。またカスタマー・サービスに電話をかけると「この電話は、品質改善と社員トレーニングのために録音しています」といったメッセージが流れる。こうした会話からもデータが集められているわけだ。ユヴァル・ノア・ハラリが言うように、これからは外部のスマホだけではなく、人間の内部にまでチップやセンサーが埋め込まれ、人間の感情がハッキングされていくようになるかもしれない。そうした場合でも、ユーザーの合意と賛同なしにはビジネスとして成り立たない。いわばベター・プレイス、ベター・ワールドへ向けた取り組みとしてなされるだろう。

 今回の新型コロナ・ウイルスについても、感染症の専門家は言うまでもなく、企業家も政治家も一般の人たちも、誰一人として感染の蔓延は望んではいない。各自が終息を願い、相応の努力をしている。いわば社会を上げてベター・プレイス、ベター・ワールドをめざしているわけだが、まさにそのことが最愛の人の最期を看取ることができず、葬儀を執り行うこともかなわず火葬にも立ち会えないという、非情で冷酷な管理形態を生んでいる。(2020.5.23)

Photo©小平尚典