アフター・コロナ(5)

アフター・コロナ
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 現在の新型コロナ・ウイルスにたいする鎖国状態は過渡的なものだと思う。民族や地理によって差異化された国民(ネーション)ではウイルスに対処できない。いずれはGAFAやBATの支援を受けた超国家機関がトランスナショナルに人々を管理することになるだろう。

 管理されるのは分子レベルでデータ化された生物学的な市民(シチズン)である。一人ひとりが分子レベルで可視化される。可視化を受け入れる者だけが公正な市民と認められ、超国家機関による管理や監視とともに保護と援助を受ける。いま世界が向かっているのはそうした未来のように思う。

 国家レベルで対処できないのはウイルスばかりではない。国を跨いで活動するテロにもやはり対処できない。実際、テロとウイルスにたいする対処の仕方は驚くほどよく似ている。すなわち「予防・発見・排除」である。まず容疑者をできるだけ早期に発見し、身柄を拘束する。場合によっては秘密施設で長期間拘束し、拷問を伴う尋問を行う。現在でも、アメリカやソ連や中国などの軍事衛星が宇宙を飛びまわっており、地表で起こっていることは、かなり細かいところまで精査できるようになっている。こうした偵察衛星によってテロリストの潜伏しているところを見つけ出し、ドローンなどで攻撃する。

 テクノロジーの精度や解析度は、今後さらに上がるだろう。すると地表で起こっていること、個人の行動は、ほぼ完全にスキャンされることになる。それは地球全体が可視化され、行政化されることに等しい。その上に、新たなパワーシステムが構築されることになるだろう。同じことが、人体についてもなされる。一人ひとりの身体が分子レベルで可視化され、行政化される。ぼくたちの運命は、小さな遺伝子チップの上に書かれている。生まれたときには、すでにプログラミングは終わっており、隅々まで解読可能なものが「生」になる。人間の生は、そこまで切り縮められようとしている。

 繰り返して言えば、これらはあくまでベター・プレイス、ベター・ワールドへ向けた取り組みとしてなされるはずだ。テレビ番組でユヴァル・ノア・ハラリが「民主的な監視(democratic surveillance)」の重要性を説いていたが、ほとんどピント外れだと思う。いまでも多くの人が進んで宇宙ステーション的な生活を受け入れている。ハンガリーみたいに誰かが政治的な独裁制を敷いたわけではない。多くの人が感染症の専門家たちの意見に従った結果として、きわめて民主的な監視社会が生まれているのだ。強権的な監視・管理社会が生まれることよりも、人々が自ら監視や管理を望むようになることのほうが遥かに恐ろしい事態ではないだろうか。(2020.5.24)

Photo©小平尚典