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80)奇蹟のデビュー・アルバム

 ビネガー・ジョーなどのロック・バンドでソウルフルな咽喉を聴かせていたロバート・パーマーが、アイランド・レーベルに移籍してのソロ第一作にして最高作である。これを「奇蹟」と呼ぶのは、参加しているミュージシャンの顔ぶれの一期一会感と、さらに彼...
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79)「第三世界」という名のレゲエ・バンド

 レゲエを聴きはじめた七〇年代の後半、ボブ・マーリーやジミー・クリフとともに、ぼくがいちばん好きになったバンドの一つが、このサード・ワールドだった。  レゲエのグループの多くは、いわゆるヴォーカル・グループで、演奏も自前でこなすとい...
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78)「街」を感じさせるアルバム

 学生のころ、休みの日の楽しみは、レコード店と古本屋をまわることだった。けっして資金は潤沢ではない。だから安いカット・アウトの輸入盤や古本を漁る。とくに古本屋は掘り出し物を求めて何軒も歩きまわる。そして一日の終わり、喫茶店でコーヒーを飲み...
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77)東と西のジャズ

 ジャズでいうところのリズム・セクションとは、ドラムとベース、それにピアノのこと。ここではフィリー・ジョー・ジョーンズ、ポール・チェンバース、レッド・ガーランドの三人で、このアルバムが録音された当時は、マイルス・デイヴィスのバンドのリズム...
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76)ご存知、ストーンズの最高傑作

 このアルバムが発売されたのは1972年、ぼくが中学二年生のときだった。彼らにとってのみならず、ぼくにとっても、はじめて買った二枚組のレコードだった。三千円という出費は、中学生にとっては取り返しのつかない額なので、買う前にずいぶん迷ったお...
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75)儚いまでに美しい

 ニック・ドレイクは1948年に生まれて1974年に亡くなった、イギリスのシンガー・ソングライターである。二十六年の人生で、彼が残したアルバムは三枚。いずれも生前にはあまり売れなかった。そのことも彼の死を早めた要因かもしれない。うつ病に苦...
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74)寒い冬の夜、炬燵のなかで

 「プカプカ」の作者として知られる西岡恭蔵は、七〇年代を代表するソングライターの一人だ。彼が自作自演し、また他人に提供した名曲は数知れない。  大塚まさじ、永井ようと三人で結成した「ザ・ディラン」でデビューしたころから、彼の書く曲は...
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73)ピアノに魅せられた日々

 もう二十年くらい前になるだろうか。ある日、突然ピアノに魅せられた。独学でハノンなどの教則本にも取り組んだけれど、なんといっても弾きたかったのはバッハだ。それでゼンオンの『クラヴィーア小曲集』という、いちばん簡単なバッハのピアノ曲集を買っ...
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72)洗練された大人のポップス

 まずジャケット。CDではちょっと雰囲気が出ないが、エドワード・ホッパーである。まだ日本ではほとんど紹介されていなかったころ。このジャケットのインパクトは大きかった。孤独な男と女の夜を見事に表現している。別の作品では池田満寿夫を使うなど、...
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71)ワールド・ミュージックへの扉

 まだ「ワールド・ミュージック」などという言葉のないころから、ぼくにとってライ・クーダーは世界中の様々な音楽への扉を開いてくれた人だった。アメリカ音楽のルーツであるブルースやマウンテン・ミュージック(アパラチア山脈の周辺で発達した音楽)は...
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70)秋の木漏れ日のなかで

 グレイトフル・デッドは一九六五年にサンフランシスコで生まれたバンド。最初はワーロックスと名乗っていたらしい。このころの音源を聴くと、どこといって特徴のないブルース・バンドという印象を受ける。しかしながら、ときはドラッグ・カルチャーの隆盛...
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69)ギターの国、ブラジルの至宝

 ブラジルはギターの国だ。ボサ・ノヴァで活躍するのはもちろんのこと、サンバやショーロではカヴァッキーニョの呼ばれる四弦ギターが使われる。ルイス=ボンファ、ローリンド=アルメイダなど、広く名前を知られているギタリストも多い。 そんなな...
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68)UKレゲエ、最上の一枚

 日本で本格的にレゲエが紹介されはじめた七十年代後半、ぼくがいちばん好きだったのはマトゥンビというイギリスのバンドだった。第二次大戦後、多くのジャマイカ人が労働者としてイギリスに渡った。レゲエが若者の支持を集めるようになった七十年代中ごろ...
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67)レゲエがいちばんレゲエらしかったころ

 三拍目にドラムスがアクセントを付け、二拍目と四拍目でギターやキーボードがしゃくり上げるようなリフを刻む。こうしたレゲエの基本的なリズムが確立されたのは、ボブ・マーレイ&ザ・ウェイラーズが『キャッチ・ザ・ファイヤー』を発表した一九七三年前...
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66)みんな一人になった

 中学生になって、いわゆる洋楽を聴きはじめたころ、ビートルズもサイモン&ガーファンクルもすでに解散していて、メンバーたちはそれぞれにソロ・アルバムを発表していた。グループやバンドというプレッシャーから解放されたせいか、ソロになってからの彼...
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65)オルガンでボサ・ノヴァを

 まず「レイン・フォーレスト」というアルバム・タイトルがいいですね。ジャケットの写真は温室でしょうか、熱帯の植物や鳥をあしらった演出が、そこはかとないエキゾチズムを醸し出します。演奏者の名前と並べて、少し小さな文字で「ブラジル・ナンバー・...
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64)世界でいちばん好きな曲

 古今東西、あらゆるジャンルのなかでいちばん好きな曲は何か。ベートーヴェンの『英雄』、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」といったところが、すぐに思い浮かぶが、今日の気分としては、カーペンターズの「遥かなる影」と答えたい。  い...
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63)たまには現代曲を聴いてみる

 このCDを買ったのは、キース・ジャレット(ピアノ)とギドン・クレーメル(ヴァイオリン)という気になるミュージシャンが共演しているから。しかし聴き進むうちに、演奏者もさることながら、これらの作品の作者に大きな魅力をおぼえはじめていた。 ...
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 62)深夜のラジオから流れてきた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」

 中学生のころ、ラジオを聞きながら勉強するのが習慣だった。当然、勉強にはあまり身が入らず、ラジオの方が主だった。リクエストのはがきなんかも出していた。地元の民放だと、かなりの確率で読まれた。  二年生の冬だった。炬燵に入って、いつも...
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61)今年は七十回目の誕生日

 ジョン・レノンが亡くなったとき、ぼくは大学卒業を控えた二十一歳だった。彼の晩年の作品に「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」という曲がある。ぼくたちはジョンの死とともに歳をとってきた世代である。  あれから三十年。ぼくは結婚し、二人の...
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60)北京空港で聴いたラヴェル

 仕事で中国へ行ってきた。フレンドリーで温かな人たち。一週間ほどの滞在を終えて、帰国の途につくときには名残り惜しさをおぼえた。そんな気持ちを汲むかのように、北京空港は発着の飛行機で混雑し、離陸までにはあと二十分ほどかかるというアナウンス。...
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59)エイモス・ギャレットのギターにしびれる

 マリア・マルダーが夫であったジェフ・マルダーとのコンビを解消し、ソロとなっての第一作。レニー・ワロンカーとジョー・ボイドという敏腕プロデューサーのもと、集められたミュージシャンの顔ぶれがすごい。ジム・ケルトナー、クリス・パーカー...
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58)みずみずしいガット・ギターの響き

 ときは七十年代後半、世に「フュージョン」「クロスオーバー」と呼ばれる音楽の全盛期。ガット・ギターを抱えて颯爽と登場した青年がいた。それまでガット・ギター(ナイロン弦で、基本的に指弾き)といえば、クラシックかせいぜいボサ・ノヴァで使われる...
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57)ボサ・ノヴァの女王、デビュー作

 ときは1963年、かの名作『ゲッツ・ジルベルト』の録音時。スタジオに遊びに来ていた妻に、夫のジョアンが「おまえも一曲歌ってみないか」と声をかけたのが、そもそものはじまりであった。いくらジョアン・ジルベルトの妻とはいえ、素人に一曲...
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56 仲間たちの死を乗り越えて

 ロックという音楽の特徴の一つが、スピード感にあることは間違いない。若さとエネルギーに溢れたテンポとリズムがもたらす爽快さは、クラシックやジャズでは得られない魅力だ。これはロック・ミュージシャンの生き方にもつながっている。生から死へと疾走...
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55 こんなぼくですけど

 ジャケットを思い浮かべるだけで、幸せな気分になれるレコードがある。このアルバムなどは、さしずめその最たるもの。ちょっと太目のお兄さんが、タキシードにけったいな蝶ネクタイをしめて、そろそろ床屋へ行った方がよさそうな髪には軽い寝癖が。いった...
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54 それから先のことは

 昨年、彼が亡くなったあと、なんとなく聴きたくなったのが「シンガプーラ」だった。熱い風かき回す、羽ひろげる扇風機、西、東、血が混じる、あの子の目に魅せられた……。その「シンカーブラ」を収録した本アルバムは、一九七六年にアラバマ州はシェイフ...
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53 最高にかっこいいロック・アルバム

 フランク・ザッパというと奇人変人のイメージが先行して、とくに日本では、彼の音楽が正当に評価されていない気がする。しかしアルバムを聴いてもらえばわかるとおり、非常に高い音楽性をもった、天才的なミュージシャンである。  あまりに才能が...
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52 スティルス、才気爆発の一作

 かつてのバンド仲間だったニール・ヤングと、なにかにつけて比較されることの多かったスティーブン・スティルス。ぼくの贔屓はニール・ヤングだったけれど、才能があるのはスティルスだと思っていた。ギターもキーボードも上手いし、ハスキーな独特の声で...
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51 生涯に出会った最高のロックバンド

 最初にザ・バンドの音楽に触れたのは、やはりボブ・ディランがらみだった。高校一年生の夏、ディランとザ・バンドのライブ・アルバムが発売になる。二枚組みのアルバムには、ザ・バンドを従えた力強いディランの歌と、それ以上に魅力的なザ・バン...
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50 はじめて買ったボブ・ディランのレコード

 ぼくたちが中学生のとき、「学生街の喫茶店」という曲がヒットしていた。歌っていたのはガロという名前の三人組。歌詞のなかに「片隅で聞いていたボブ・ディラン」という一節が出てくる。そのころから「ボブ・ディラン」という名前が気になってい...
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49 一瞬のアイコン

 高校を卒業するまで住んでいた街には、レコード屋が二軒あった。中学二年生の秋、これら二つの店に、突如として巨大なポスターが現れた。しかも店内のあちこちに、中吊り広告のように何枚も吊るしてある。それがこのT・レックス、『スライダー』のポスタ...
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48 こんなんジャズじゃない、と言われたものだけど

 ジャズを聴きはじめたころは、CTIというレーベルをなんとなく馬鹿にしていた。ブルーノートなどの由緒正しいジャズ・レーベルにくらべると、ちょっと軽いというか、ストリングスを多用したサウンドをはじめ、ジャケットも含めてムードミュージ...
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47 大地の声に酔う

 ミルトン・ナシメントの名前をはじめて目にしたのは、ムーンライダーズの『ヌーヴェル・ヴァーグ』というアルバムに彼の曲が入っていたから。同じころ、ウェイン・ショーターの『ネイティブ・ダンサー』を聴いて、このブラジルのミュージシャンに興味を抱...
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46 アンビエントな夜のために

 ブライアン・イーノが「アンビエント・ミュージック」というジャンルを作り出さなければ、この手の音楽との出会いはずっと遅れていただろう。いや、まったく出会わなかった可能性もある。そう考えると、イーノ先生に感謝です。  作者のハロル...
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45 突然の死を悼んで

 その日、ぼくは仕事でパリにいた。朝、ホテルの部屋でテレビをつけると、白いシーツでくるまれた遺体が、ヘリコプターから搬入されるシーンが映った。すぐに画面はジャクソン・ファイブ時代のマイケル少年に切り替わる。さらに「今夜はドント・ストップ」...
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44 気だるい夏の昼下がりに

 七十年代、八十年代を通して、ブラジルのコンテンポラリー・ミュージックを牽引していくガル・コスタとカエターノ・ヴェローゾ。これは二人にとってのデビュー・アルバムにして、一期一会のデュエット・アルバム。録音は一九六七年、ガルは二十二歳、カエ...
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43みんなメロウでシルキーだったころ

 あのころ(というのは、ぼくが大学生だった七〇年代後半)、AORという呼び方はなかった。ソフト・アンド・メロウとかシティポップスなどと呼ばれていた。ちなみにAORは「アダルト・オリエンテッド・ロック」の略。ロックにジャズやソウルの...
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42 あのころ彼はスゴかった

 ぼくの高校時代は、一九七四年から七六年になるのだが、この三年間に、スティーヴィー・ワンダーは『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ』『キー・オブ・ライフ』という三枚のアルバムを作り、いずれもグラミー賞を獲得している。ぼ...
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41 素直に聴けなかったプログレッシブロック

 高校生のころ、大人になっても絶対に真似するまいと思ったのは、ゴルフとプログレ系のファッションだった。パッチワークをあてたジーンズにチェックのシャツという、ニール・ヤングのファッションを最高と思っていた当時のぼくには、彼らのセンスは許しが...