kkatayama

未分類

フィクションの可能性

いつの時代にも、その時代に固有の「自然」がある。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』によると、紀元前1776年ごろに制定されたハンムラビ法典では、人は生まれながらに三つの階級(上層自由人、一般自由人、奴隷)に分けられていた。それぞれの...
ネコふんじゃった

16 カットアウト盤を探し歩いた日々

いまの人たちには馴染みがないかもしれないが、以前はカットアウト盤といって、廃盤などになったレコードをわざと傷つけ、ディスカウント商品として流通させる仕組みがあった。その名のとおり、ジャケットの片隅が少し切り取られている。なかには切れ込みを入...
ネコふんじゃった

15 プロレスラーじゃありません

深夜、人気のない裏通りでけっして出会いたくないミュージシャン、それがアーロン・ネヴィルだ。不幸にして出会ってしまったら、目を合わさないようにして、できるだけ素早く通り過ぎてしまいたい相手、それがアーロン・ネヴィルだ。いくらにっこり笑いかけて...
講演原稿

いまはどういう時代か

いまはどういう時代かというテーマで、自分がやっていることに即してお話してみたいと思います。ぼくは一応作家、小説家ということになっていますが、作家にしても小説家にしても、職業としてはすでに成り立っていないと思います。  たとえばアマゾンでぼく...
未分類

21世紀の自由・平等・友愛

森崎茂さんとつづけている連続討議が4年目に入った。二週間に一度、熊本と福岡を行ったり来たりして、コーヒーを飲みながら2時間ほど集中的に話をする。男二人、色気のないこと甚だしい。そんなことを丸3年もやっている。お互いよくつづくものだと呆れつつ...
ネコふんじゃった

14 ボブ・ジェームスはココアの味

両親が共働きだったので、小学校から帰ってくると、おやつは自分で作ることが多かった。電子レンジのない時代で、ホットケーキなんかもフライパンでせっせと焼いていた。それからココアね。純正ココアとグラニュー糖をよく混ぜ、熱湯を少し加えてペースト状に...
ネコふんじゃった

13 もちろん、明日も愛している

ぼくぐらいの歳(年が明けると四十八です)になると、気に入ったアルバムをいろんなディスクで何枚も持っている、ということがだんだん増えてくる。キャロル・キングのこのアルバムも、最初はLPレコードでずっと聴いていた。それから初代のCD、ボーナス曲...
九産大講義

第7回 フィクション(3)

②童話性  つぎに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を見てみましょう。主人公の名前はジョバンニ、親友がカムパネルラで、ザネリという同級生がいます。「いったいどこの話だ?」と思いますよね。ジョバンニはお父さんが不在で、お母さんは病気で寝ています。ジョ...
九産大講義

第6回 フィクション(2)

前回にひきつづきフィクションについてお話します。フィクション(虚構)の反対はファクト(事実)です。ノンフィクションでは、あくまでファクト(事実)が重視される。事実によって書き換えられ、更新されていきます。新しい事実によって、かつての「事実」...
ネコふんじゃった

12 天才たちの青春賦

季節が冬に向かう時期、朝起きてまず、このCDをかける。一曲目の「ブライト・サイズ・ライフ」を聴くと、今日もいいことがありそうな気がする。いや、今日もいい一日にしようと思う。  パット・メセニーとジャコ・パストリアス。二人の若き天才ミュージシ...
九産大講義

第5回 フィクション(1)

これから何回かにわたって虚構、つまりフィクションの話をしようと思います。大きな本屋さんへ行くと、フィクションとノンフィクションというふうに棚を分けているところがありますね。小説はフィクションです。では、フィクションとは何か? これがなかなか...
九産大講義

第4回 空間

ここ何回か、小説の構造ということで授業を進めています。最初に語り手についてお話ししました。幾つかの作品の冒頭を引用しながら、それぞれ語り手のタイプが異なることを見てきました。カフカの『変身』のように、現実には起こりえないようなことを語りだす...
ネコふんじゃった

11 セピア色のビーチ・ボーイズ

手ごわいバンドである。なかなか一筋縄ではいかない。三十枚近いオリジナル・アルバムのなかに、駄作は一枚もない。どのアルバムにも、ちゃんと聴きどころがある。このアルバムは十五枚目だから、ちょうと折り返しということになる。デビューから六年、セール...
九産大講義

第3回 時間

今日は小説のなかの時間について話をします。ちょっと難しく感じられるかもしれませんが、できるだけわかりやすくお話ししてみます。  単純なやつからいきましょう。みなさんは『今昔物語』をご存知でしょう。芥川龍之介の「鼻」が『今昔物語』の説話を題材...
九産大講義

第2回 語り手

これから数回にわたり、小説の構造について少しお話します。一般に小説と言われているものが、どういった要素によって成り立っているかということですね。いろいろな説明の仕方があると思いますが、この授業では語り手、空間、それに時間という三つの要素につ...
講演原稿

家族として見た世界~人がつながること

今日は家族についてお話しします。まず家族というものを、どういうところでとらえればいいか。実体としての家族、現象としての家族、あるいは文学、思想としての家族。いろいろな切り口で家族を語ることができます。そこで家族というものを象徴する出来事と言...
ネコふんじゃった

10 いつかはジョアン・ジルベルトのように

年に数回、仕事で東京へ行くことがある。出版社が近いので、たいてい一日は、御茶ノ水から神保町の界隈をうろうろする。あのあたりって、どうしてカレー屋と楽器店が多いのだろう。過日、そんな中古楽器店の一つにふらりと足を踏み入れた。スペイン製のクラシ...
九産大講義

第1回 小説とはどのようなものか

【はじめに】  後期は主に小説というジャンルをとおして文学の話をします。小説とはどのようなものか? どんなことが、どのように書かれているのか? 過去の作品を例にとりながら具体的に考えていこうと思います。これが一回の授業の前半です。  休憩を...
ネコふんじゃった

9 地球にやさしいショーターのサックス

農学部の学生だったぼくたちは、三年生の夏に北海道研修旅行があった。帯広で乳牛に蹴飛ばされたり、中標津あたりで道産子に追いかけられたり、札幌でラーメンまみれの食生活を送ったりして、ぼくはすっかりスケールの大きな人間となり、髪も髭も伸び放題、ワ...
最新作を語る

『新しい鳥たち』について

最近、ときどきモーセの十戒のことを考える。ISなどによるテロが身近に報じられるようになった、ここ二年くらいのことだと思う。  『旧約聖書』の舞台は、まさにISやボコ・ハラムみたいな「ならず者」たちが跋扈している荒野である。力に物を言わせて乱...
ネコふんじゃった

8 岡倉天心もびっくり、一期一会の音楽

その昔、ジャズ・クルセイダーズというバンドがありました。ジュニア・ハイスクール仲間だった四人がバンドを結成したのは一九五二年といいますから、とんでもない昔です。七十年代はじめ、バンド名をシンプルに「クルセイダーズ」と改め、ファンクやR&B色...
九産大講義

第7回 荒川修作のドキュメンタリーを観ながら、「死」について考えてみよう

この身体を自分とみなし、自分のなかになんでもかんでも、生命も意識も感情も心も、挙げ句の果てには「神」も観念だということで封じ込めることによって、死は救いのないものになります。「私以外私じゃない」を自明として生きることのサイドエフェクト、ポッ...
九産大講義

第6回 カリフォルニアの旅の話から、「イノベーション」について考えてみよう

前回お話ししたように、アメリカへ行ってきました。ほとんどロサンジェルスとサンフランシスコのあいだを行ったり来たりしただけなので、「カリフォルニア」へ行ってきたと言ったほうがいいかない。楽しく刺激的な旅でした。そんな旅の話をしながら、いろんな...
ネコふんじゃった

7 音の飛ぶ「ペグ」を聴いていたころ

学生のころ、同じ下宿に財前君という友だちが住んでいた。二人ともロックが好きだったので、新しいレコードを買うと、お互いに貸したり借りたりしていた。借りたレコードはテープに録音して楽しむ、というのが一つのスタイルだった。あと、FMラジオからのエ...
九産大講義

第5回 SF映画を観ながら、「未来」について考えてみよう

今回は何本かのSF映画を観ながら、人間の未来について考えてみます。いつの間にか映画や小説が描く未来は暗く悲観的なものになってしまいました。前回の人工知能のところでも出てきたように、人類の滅亡を予測する学者や金持ちもいます。  ぼくが小学生の...
ネコふんじゃった

6 トム・ジョビンは白湯の味?

一年半ほど前から気功の教室に通っている。ぼくが教わっている先生のモットーは、「無理をしない、がんばらない」という、間違っても校訓などにはならないような代物だ。そんなところも自分には合っていると思うので、案外長つづきしそうな気がしている。  ...
九産大講義

第4回 人工知能(AI)をモデルに、「人間」について考えてみよう

今回は人工知能について考えます。なぜ文芸創作の授業でAIなの? 何度も言っているように、文学というのは徹底して人間について考えるものです。ぼくはAIというのは、どこまでも人間を模倣するものだと思っています。AIが脅威になるとすれば、それは人...
ネコふんじゃった

5 グールドの演奏する小さなバッハ

いちばん好きな楽器はピアノ。だからクラシックとジャズを問わず、ピアニストたちのCDはたくさん持っている。なかでもグレン・グールドのバッハは特別だ。どんなふうに特別かというと……。  本を出版するまでの行程の一つに、校正という作業がある。ぼく...
九産大講義

第3回 「格差社会」について、トマ・ピケティと一緒に考えてみよう。

1 格差の現在  国際援助団体オックスファム・インターナショナルは18日、スイスのダボスで開催される世界経済フォーラム(ダボス会議)を前に、世界の経済格差にかんする報告書を公表した。それによると2015年、世界のもっとも豊かな1%の人たちが...
最新作を語る

新作『なにもないことが多すぎる』を語る(Part7)

k:一応、最終回ということにしよう。このままつづけていると、本体の小説よりも長くなってしまいそうだ。これから先のことを聞かせてください。新しい小説のプランとか。 K:その前に、前回の最後で「小説そのものに力がない。本当の希望になっていない」...
最新作を語る

新作『なにもないことが多すぎる』を語る(Part6)

k:猫が死んだって? K:そうなんだよ。フクちゃんという7つの女の子なんだ。公園に捨てられていたのを、仕事帰りの長男が拾ってきて飼いはじめた。「フクちゃん」という名前は次男がつけた。長男はいま大阪にいるんだけど、連休で帰省するのを待っていた...
九産大講義

第2回 紛争の現場から「戦争」について考えてみよう。

今回のテーマは戦争です。ええ、なぜ? と思っている人もいるでしょうね。一応、文芸創作のコースなのに? そうです。文芸創作、つまり「文学」の講座だからこそ、戦争について考える必要があるのです。文学とは何よりも人間について考えるものです。人間の...
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猫が死んだ

猫が死んだ。ぼくのかわいい猫が死んでしまった。心臓の鼓動が弱くなり、ゆっくりと間遠になっていき、ひとつ大きく息をすると止まってしまった。自分で最期の場所と定めた寝室のソファの下から、猫は真っ黒い大きな目でぼくを見つめたまま、どこかへ行ってし...
ネコふんじゃった

4 春には花の苗を植えて

今年の冬は寒さが厳しく、雪もたくさん降ったりして、なかなか手ごわかった。梅も水仙も、例年にくらべて開花が遅れているとか。でも三月を過ぎると、さすがに暖かい日も増えてくる。朝六時ごろに起きてカーテンをあける。東の空が白っぽく明るんでいる。その...
最新作を語る

新作『なにもないことが多すぎる』を語る(Part5)

k:どうしてボブ・ディランだったの。 K:ちょっと回り道になるけど、最初から話すとね、原発事故が起こって、まず考えたのは福島の子どもたちのことだった。きっと不安を抱えて生きているだろうなって。放射能の影響について、たくさん情報が入ってくるか...
最新作を語る

新作『なにもないことが多すぎる』を語る(Part4)

K:行き詰まったってことは、別の言い方をすると、何を書いても人間にたいする呪詛にしかならないってことだ。ぼくらはヨーロッパ的な思考のなかでしか、人間を考えてこなかった。そもそも「人間」という概念からして、近代ヨーロッパのものだしね。「人間」...
九産大講義

第1回 宮崎駿のアニメを観ながら、「表現」について考えてみよう。

これからみなさんと一緒に宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』を鑑賞します。2時間くらいあるので、適当なところで止めて、その間にディスカッションを挟みながら観ていこうと思います。最後まで観られないかもしれませんが、それでもいいかなと思います。時間...
みなさんへのお知らせ

ご挨拶

このたびオフィシャル・サイトを開設いたしました。以前に『片山恭一書店』というサイトをやっていましたが、こちらは運営会社を経由したものなので不如意なことも多く、長く開店休業の状態にあります。こうした状況を見かねて、ぼくの師匠でもあるフォトグラ...
ネコふんじゃった

3 ポール・サイモンとフランク・ロイド・ライト

中学一年生のときに、はじめてサイモン&ガーファンクルのシングルを買った。「コンドルは飛んで行く」だったと思う。いや、「バイ・バイ・ラブ」だったかな。どちらかのB面が「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」で、ぼくはこの曲がすっかり気に入ってし...
最新作を語る

新作『なにもないことが多すぎる』を語る(Part3)

K:福島の原発事故はショックだった。この事故をどう考えればいいのか。とにかく勉強しなくてはと思った。それでマルクスの『資本論』を読み返しはじめた。 k:どうしてマルクスだったの。 K:別に誰でもよかったんだけど、すべてを根本的に考え直さなけ...