第二信・片山恭一様(2017年8月27日)
2017年8月18日に片山さんと熊本で話をしたとき、お互いの言葉もこなれてきたので、往復書簡をやりませんかと呼びかけ、その第一信が送られてきた。定期的に熊本と福岡を往復しながら対話を持続してきて、そのあいまにメールのやりとりもしていた。小刻みなメールのやりとりをもう少していねいに書いたものにすれば記事になるのではないかと考えたからだ。いま二人の間で対話していることがLive書簡のメインになると思う。
片山さんからの最近の討議をまじえた第一信。いきなりの直球なのでぼくも直球で返したいと思います。一信は片山さんのメキシコでの講演原稿(2017.9.3 メキシコ国立総合技術大学)と重なっています。この予定原稿は世界の文学史に残る記念的な講演になると思います。この講演予定稿のようなことを喋った人はだれもいません。対話を長くしてきたから身内びいきでいいというのではありません。片山さんとの討議はこの世のしくみのなかで商品にならないことを前提につづけているからです。世界を否定性で語る人はたくさんいても、同一性のはるか手前にある〔ことば〕を肯定性で語る人はぼくのしるかぎり、この講演原稿だけです。世界を否定性で嘆くのではなく、べつのまなざしで世界をつくろうとしている表現者はいないということです。思えば片山さんとやっている対話はふてぶてしいものです。釈迦やイエスや親鸞にむけて喋っているのですから。マルクスが観客としていてもユヴァルが聴衆のひとりとしていてもいいのです。ぼくらはかれらにむけても話をしています。ぼくたちの考えがわかるとはこの世のしくみ、世界の無言の条理がべつのまなざしによってつくりかえられるということを意味しています。内包論によって人と人のつながり方は根底から変わるということです。
両親をナチから殺された『死のフーガ』のツェラン(1920-1970)の「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」以来ではないかと思います。言葉は出来事のなかでなにをすることもできなかったが、その出来事を突きぬけて明るい場所に出ることができたツェランは「私が私であるとき、私はきみである」言った。そのツェランが1970年セーヌに身投げをする。「私より近い君を私として生きている」と言えば死ななくてもすんだのではないかと思います。まったく未知の文学を片山さんが目指していることがわかりやすく書いてあります。
この講演原稿ではふたつのことが言われている。テクノロジーによって世界が改編されつつあると片山さんは世界の現状を説明する。四年半余の対話の通奏低音として二人の共通理解としてあることだ。仮に世界システムという言葉を使えば、ビットマシン(コンピュータやインターネット)が世界の公共的なインフラとして整備され、電脳を中核としてシステムが動いています。猛烈な風圧なので、人びとも国家も防御的に身をかがめます。いまわたしたちの身の回りを見渡して天然自然は身体と身体と相関する心しかありません。ビットマシンを媒介として生物工学のゲノム編集は、天然自然を改変することが自己の価値を高めるし、そのことが善であるという思考の慣性によって人びとはこの変化をいやおうなく受け入れていきます。ビットマシンの論理式は数学ですから、世界の地殻変動を受け入れることで、わたしたちの生はかぎりなく数学の論理式に漸近していくことになるのです。可視化し、計測と計量されることだけが生の価値となります。べつのまなざしが可能なのだ。意識の外延的な表現を包み込む表現をつくることでこの世界システムを超えることはできる。そのことは対話をつづけるうえでの前提としてありました。
講演予定稿でこの現状認識のうえに医学的・生物学的死とはべつの生や死を表現することが可能であると書いています。内面の劇があり、それを言葉で表現することが文学であると片山さんは言っているわけではありません。関係が表現であることを文学として言おうとしています。このことに気づいたのはミシェル・フーコーだけです。内面の意識の塊に表現の源があるのではなく、表現は他性によってもたらされることを死を目前としたときフーコーは発見するのです。西欧の知性からこういった発見がもたらされるということに驚倒しました。
内面の劇が文学であり芸術であるという思考の慣性に未知はない。『世界の中心で、愛をさけぶ』のなかでの象徴的な会話。これから死ぬことになるアキが朔太郎に、「また見つけてね」と言い、朔太郎が「すぐ見つけるさ」という、ここでやりとりされた言葉が表現なのです。高尚にみえる内面の苦悩を言葉で外化することが表現ではないのです。相模原殺傷事件で娘を殺された父親が、娘が好きだったコーヒーを仏壇に添え、「元気か」と呼びかけ「元気ってことはねえか」とつぶやきます。このつぶやきが表現です。いい表現は言葉と言葉の間にすきまがないのです。あるいは言葉が言葉を生きるとき、その言葉を観察することはできないのです。そのなかにいてそこを生きることになります。その言葉の場所をぼくは内包自然と名づけています。言葉のやりとりの全体が表現です。最期のフーコーはこういうことに気づいたのだと思っています。
わが身の不遇を幾万回嘆いても、反政府を千回唱えても、人と人はつながることができません。このリアルはぼくの生の公理です。片山さんにはなんどもお話ししたことがありますが、ぼくは知識として世界を語ることができません。わが身に起こったことがどういうことだったのか納得するまで考えたいから書いたり喋ったりしています。そのやり方でしかじぶんに言葉をとどけることができないのです。言葉が言葉を生きるとき、ここではないどこかではなく、ここがどこかになっていくという感覚があります。この感覚をすこし敷衍します。片山さんはメキシコ国立総合技術大学での講演原稿で粗視化という言葉を取りあげています。ぼくも内包論をすすめるにあたって粗視化をひとつの媒介として使っています。粗視化というのは人間の観念の作用にとってとても重要な概念だと思います。対象の全体を一挙に観念化することはできないので、観念の遠隔対称性は対象を限定することで概念化します。ある観念を実在するかのように理念化するとき、その人が意識しているかどうかに関わりなく、対象は粗視化されます。フランスの市民革命として知られる自由・平等・博愛を考えてみます。なにが粗視化されたのか。人格です。人格もまた観念の産物ですが、フランス革命は人格を粗視化したのです。粗視化によって人格が実体化されます。ともかく人には人格というものがあり、その人格は自由で平等で友愛をめざすものであるとされました。観念の偉大な革命です。神の下に人が平等であるから、法の下に人が平等という観念を外延的に人格に外挿することができる。この意識の運動の全体をぼくは外延的な表現と呼んできました。
ヘーゲルやマルクス、フロイトやユングもこの意識の系列に属しています。人格をモナドと考えると、人格に宿る意識では意識の全体を記述できないので、意識に超越する無意識や超自我が発明されます。ここで原因と結果が転倒します。巧みな詐術です。無意識によって意識がつくられ、その意識を時代の規範が超自我として意識を抑圧すると仮構されるのです。ほんとうは人格に宿る意識が無意識をつくり、その意識の外延性が超自我をつくりあげているのです。ヘーゲルの精神現象学も、ヘーゲルの方法を受け継いだマルクスの資本論も、原因と結果を取り違えています。つまり、かれらは解けない主題を解けない方法で解こうとしました。ぼくはじぶんが体験してきたことを反芻しながら、意識の外延性を拡張しようと悪戦苦闘してきました。人格や人格に宿る意識ではなく、関係が表現であることを粗視化したのです。それが内包論です。表現主体がこちらにあり、表現が向こうにあるということではないのです。表現主体の内面の劇が外化されたものが表現ではない。わたしたちの思考の慣性は依然として外界と内面に閉じられています。この思考の慣性では生きていることが表現となることはないのです。片山さんも実感されていますが、1970年代にフーコーは生権力を研究していましたが、ビットマシンが世界を覆いこの世のしくみが大きく変動しています。フーコーが想定していた変化の速さをはるかに凌いで生成変化しています。この変化についてユヴァルの感度はとてもいいです。フーコーの思想の継承者ではないかと思います。
なにがグローバリゼーションの中核をなしているのか。人格を経由しないで生に直接アクセスするしくみをみつけたということです。この世界システムは国家も人格も易々と越境します。転形期の世界に国家も人びとも煽られまくっています。精神の古代形象を復古することでこの猛烈な圧力に対抗しようとする。おそらく世界に共通する傾向だと思います。いずれにしても精神の退行現象はグローバルなシステムから刈り込まれ、世界システムが供与するグローバルな理念に身の丈を併せていくことになります。そういうことを博多と熊本を行ったり来たりしながら延々と話をしてきました。
メキシコでの講演原稿は次のように結ばれています。「このいい感じのもの、気持ちのいい音楽や、いい匂いのする空気や、透き通った光や、おいしそうな食べ物にも似た善きものを、一人ひとりが自分の生きている場所でつくればいいと思います。プロの作家であるかどうかは、まったく関係がありません。『リトル・トリー』のおじいちゃんのように、あるいは高校生のカップルのように、誰でもやれることです。ただし、一つ条件があります。一人ではやれない、どうしても二人でなければならない。『いいなあ』という出来事は、どうやら二人という場所でしか起こらないらしいのです。ここにぼくたちの生の神秘さがあり、人間がもっている可能性があると思います」。激しく同感します。
ところでいま世界は激しい地殻変動をおこしています。ビットマシンの電脳による世界の外延的な革命です。不思議なことにそのさなかを生きている者は、いったいなにがどう変化しているのかわかりません。この革命は適者生存を旨とし、生を細分化し生きていることの全体を商品にします。心身の最後のひとかけらに至るまで。そして人びとはこの世界の変化に身の丈を合わせることを善とします。既知のどんな知も世界のこの変化に対抗できないと思います。既知の知はビットマシンによる世界の外延的な革命を受容し追従することになります。世界システムの属躰としての自由と平等が采配されるわけです。そしてこの理念を人類史に淵源をもつ司祭階級、知的な権力者が布教することになります。この理念をグローバルなシステムは人類70数億を総アスリートとして登録し対価を支払います。
盆すぎにNHKが編集した戦争の証言フィルムをスマホであらかた見尽くしました。スマホの小さな画面でひそかに憑かれるように見ました。ただただ絶息します。沖縄戦でガマに避難した民間人が迫り来る鬼畜米軍を前にしたとき若いお母さんが幼いわが子に灯油をかけ殺めます。生きて虜囚の辱めを受けずを生きるのです。もう11年前のフィルムだったのですが、畑に立ったその老齢の女性が「天皇陛下の赤子として死ぬほかなかった」と言っていた。戦後だれにもそのことを言わず再婚してできた孫娘にそのことを告げる。その孫娘さんの言葉がよかった。「生きていてよかったね、おばあちゃん、わたしがいるよ」。深く深く深くこの言葉に感動した。今年はテニアン島の悲劇を生き残った人たちの証言が堪えた。辱めに合わないように母が息子にこの銃で殺して欲しいと懇願し、母を撃ち、妹を撃つ。絶対に私性ではないと思います。歴史が必然とした燃えさかる共同幻想の為せるわざです。二瓶寅𠮷さんにとどく言葉を考えました。そのときほかの選択肢はかれにはなかったことを深く諒解します。観察する理性の場所はないからです。投降するか、自決をする。母と妹は息子によって自決を幇助されたわけです。この場面のありようについては生前の父からよく聞いた。北朝鮮の羅津でソ連軍の敵前上陸を迎え撃ち壊滅的な交戦をしたとき、圧倒的な武力のソ連軍の猛攻に対して白旗を揚げて降伏するか、背後には邦人がいる。交戦するしかない。投降するか自決するか、抗戦するか降伏するか、決断者の面々のはからいです。いずれにしてもひとつしか選ぶことはできません。ぼくは二瓶寅𠮷さんにとどく言葉を真剣に考えました。二瓶寅𠮷さんにじかにとどけたい言葉があるのです。そしてそのことはグローバルな世界の変化のただなかを生きているわたしたち個々の生の問題でもあると思うのです。戦後の72年は、市民主義であれ、戦地の地獄からの生還者であれ、総敗北をしたという実感がぼくのなかに前提としてあります。総力戦を無条件降伏で収めたこの国は戦後ただひとつの理念も言葉も生むことができませんでした。
ぼくは二瓶寅𠮷さんが仕方がなかったという戦争は自然の災禍とは違うと思います。かれは天変地異と人為の反自然をおなじものとみなしています。そうするほかに生きようがなかったことは深く了解します。だれもが戦争の無惨を抱えて戦後を生きてきました。そうやってたどりついた現在がこのありさまです。なにが問題なのでしょうか。戦争がもたらした地獄を天変地異とおなじものとみなす思考の慣性が出来事のど真ん中にあるとぼくは思うのです。がんの早期発見・早期治療を善とみなす思考の慣性です。戦前、戦中となにも変わっていません。それは否定されることではなく、人為の厄災を天変地異とおなじものと感得する生活の知恵です。それは自然なのです。その自然しかわたしたちの人類史はつくってくることができなかったのです。内包論はこの自然を受け入れながらそのまま拡張できると考えるのです。
わたしたちが生きているこの世界はビットマシンによって覆われ、いっそうの適者生存が強いられようとしています。戦争の酷さを忘れないようにしようというのがNHKのフィルムをつくった人たちの総意でしょうが、そんなことはどうでもいいのです。地獄からの生還者の地獄が浄土になることはあるか。生を撃断された者の浄土歩くことはあるか。ある、と思います。戦争のない世界を一人ひとりが構想し、そこを生きればいいのです。自分の固有の生を生きればいいのです。ただ、それを可能にするにはいくつかの媒介が必要です。ひとつは総表現者という生の位相です。ぼくは総表現者という考えは世界を拡張する猛烈な観念の可能性があると思っています。もうひとつあります。生を引き裂く外延自然という奪い合う自然ではなく一緒に食べようという自然をつくることです。たしかにだれも言っていない。だからあなたが食べていいよ、わけて食べようかという内包自然をつくれば、外延自然の地獄はただちに浄土に拡張できるとぼくは考えています。マルクスが思い描いた夢より深くて伸びやかな生が可能です。外延自然をなぞって生はありますが、この生を往相の生だとすると、復路の帰り道の生があると考えています。それは知識人と大衆という生を分割統治する権力の視線とはまったく異なるものです。総表現者のひとりを生きることにおいて、人はだれもが表現の当事者なのです。このシンプルな理念を人類はつくることができなかった。その観念が可能であることに気づくのに倒錯した歴史があったのかもしれません。
『Guan02』という私家本を出した頃よりすこし考えを進めることができました。還相の性という概念の輪郭を作りえたと思っています。還相の性によって信の共同性の根を抜くことができるようになり、内包的な親族が可能な輪郭を描きつつあります。マルクスとはまったくちがった貨幣論が遠望されます。もうひとつあります。適者生存をなぞる世界の無言の条理がビットマシンによってより効率的に推進されていますが、この新しい世界システムにポリティカル・コレクトネスはまったく無効です。ポリティカル・コレクトネスは転形期のシステムによって上書きされ消えてしまうからです。人びとの生は総アスリートとして新しいシステムの属躰になるしかありません。ぼくはこの時代の趨勢にたいして総表現者という概念を提起しました。知識人と大衆という生を分割統治する権力の視線とはまるでちがう生の知覚です。これらの概念をていねいにたどっていけば、親鸞の往相廻向に対する還相廻向の他力を歴史の概念とすることも可能です。交換ではなく内包的な贈与として貨幣を記述することもできます。というようなことを考えていたときに、親鸞の非僧非俗の思想がとても気になるようになったのです。片山さんとの討議のときもお話ししました。要領をえない話でわかりにくかったと思います。親鸞の非僧という理念は身にしみてよくわかります。まさにそのとおりのことですから。俗にあらずと俗そのものはどこがちがうのか。ここを詰めないとテニアン島で地獄を見た二瓶寅𠮷さんの浄土が歩かないのです。アキが「また見つけてね」と言い、朔太郎が「すぐ見つけるさ」というとき、この応答にはすきまがありません。相模原殺傷事件で娘を失った父親が仏壇に娘が好きだったコーヒーを添えるとき、「元気か」と声をかけ、「元気ってことはねえか」とつぶやくとき、独り言に言葉のすきまがない。アキと朔太郎の会話は、あるいは父親の独り言は俗か、非俗か。わたしは決定不能だと思う。この決定不能だということを親鸞の非俗の思想はいうことができないと考えました。
凡俗の生を生きる者の煩悩の解消法ならば親鸞の他力で充分です。なにもつけくわえることはない。生に往き道があり、どうじに帰り道もあることを歴史の概念として表現しようとすると、俗と俗に非ずのあいだにかすかに残るすきまを埋めないと歴史の還相論は可能とならないように思えるのです。べつの言い方をすると、テニアン島の悲劇を生き延びた人の浄土が歩くには、このすきまを埋める必要があるということです。片山さんが未知の文学に挑み、ぼくが概念で未知の詩を書く、この緊張感は過酷ですが楽しいです。