往復書簡『歩く浄土』(13)

往復書簡
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第十三信・森崎茂様(2017年11月23日)

11月はじめにアメリカのトランプ大統領が来日して、6日に安倍首相と会談しました。翌日の新聞に共同会見の内容が出ていましたが、そのなかで安倍首相は北朝鮮問題について「今後取るべき方策について、完全に見解の一致を見た」(『毎日新聞』)、「日米が百%共にあることを力強く確認した」(『朝日新聞』)と述べたそうです。北朝鮮という限られた事案についてではあるけれど、それでも二つの独立した国家が「百%共にある」ってどういうこと? 立場も利害も異なっているはずの国と国が、「完全に見解の一致」を見るっておかしくないか?
北朝鮮の核兵器開発というのは、言うまでもなくアメリカを念頭に置いたものですね。伊勢崎賢治さんも述べているように、韓国が相手なら通常兵器で充分に対処できる。だから日本としてはアメリカに、とりあえず「引っ込んでいてくれ」と言うべきで、それが東アジアの安定と平和のためにもなるし、日本国民の安全と国益にもつながるはずです。韓国では7日に市民団体や学生が、トランプが朝鮮半島に戦争の危機を高めているとして抗議集会やデモをやっていましたが、きわめてまっとうな反応だと思います。日本ではそうした動きもほとんど見られなかったようです。
米軍の基地問題にしても、北朝鮮にとって最大の脅威であるアメリカの軍隊を体内に置いているから、日本もまた脅威になるわけで、安全保障の面からしても、まずは「出ていってくれ」と言わなければならない。諸々の事情を勘案すると、「完全に見解の一致を見た」なんてとんでもない話です。どっからそんな言葉が出てくるんだ……ということで、日本ははたして独立国家なのか(おそらく独立国家ではない)とあらためて感じました。薄々わかっていたことを、暗愚な首相が可視化してくれたということでしょう。
だいたいトランプから「シンゾー」と呼ばれて喜んでいるようじゃあどうしようもないですよ。馬鹿にされているわけでしょう? ナメまくられているわけじゃないですか。たとえばトランプが習近平のことを「習ちゃん」とか「近ちゃん」とか言うか? プーチンのことを「プーちゃん」とか呼んだら、それは宣戦布告にも等しい。ロシアに喧嘩を売っているようなもんですよ。そういう認識がまったくないですね、安倍首相には。ぼくも含めて日本人全体に言えることだけれど、あまりにも主権意識が欠落している、というか麻痺している。
そのあたりのことを、今回は自省の意味を込めて考えてみたいと思います。

ぼくの母方の祖父は小学校や中学校の先生をしていたのですが、おじいちゃんの部屋に昭和天皇・皇后の写真が飾ってあったのを最近になって思い出しました。校長先生にまでなった人なので、文部省や教育基本法や戦後民主主義などとも折り合いは悪くなかったと思うんです。それなりにリベラルな教育者だったのかもしれない。その祖父の部屋に天皇・皇后の御影が飾ってあるっていうのは、どういうことなんだろう? 考えてみると不思議ですよね。いや、そんなに不思議でもないのかなあ。一応、戦後憲法では天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」となっていますからね。全国民が認めた天皇だから、写真を飾ってどこがおかしいってことなのかなあ。それでいいのかしら?
この半年ほど、森崎さんは折にふれて「戦後日本の総敗北」ということをおっしゃっています。「戦後70年の擬制の総敗北」という言い方もされていますね。戦後日本の思想や言論の世界で、とくにリベラルな人たちにとって、「擬制」といえば象徴天皇のことだったと思うんです。少なくともぼく自身は、内閣の助言と承認に従って国事行為だけをおこなう天皇を、そのように理解してきました。象徴天皇制っていうのは擬制=フィクションなのだと。
でも、ここしばらく討議を重ねるなかで、「逆だったのではないか」というのが二人の共通認識になりつつあります。つまり戦後民主主義のほうが擬制でありフィクションだったのではないか。そう考えなければ、こんなに急速に「総敗北」が起こったことの説明がつかない。安倍政権になってから、たった4年ほどのあいだに、戦後民主主義は日本の社会から跡形もなく消え去ってしまいました。安倍晋三氏にそんな強大な力があったとは思えない。むしろ戦後民主主義というものが、かくも脆くあっけないものだったということでしょう。それは日本に導入されたときから、民主主義も平和憲法も国民主権も、みんな擬制でありフィクションだったからではないか。
逆に、「象徴」といわれる天皇制のほうが実体だった、と考えるべきかもしれません。おじいちゃんが部屋に天皇・皇后の御影を飾っていたように、多くの日本人のなかに天皇の存在は根深く残りつづけた。象徴であろうが元首であろうが、そんなことは関係がない。もともと日本人にとって天皇は、政治的な規定を超越した存在だったのだと思います。戦前、戦中、戦後を通して、日本人の心意気としてはずっと「天皇制」だった。天皇制的心性と言ったほうがいいかもしれません。日本の戦後72年間は、天皇制的心性の上に民主主義や平和憲法という上着を羽織ってやってきた。まさに擬制としての戦後民主主義であり、戦後憲法であったということだと思います。

ところで日本国憲法は連合軍から押し付けられたものには違いないけれど、ちゃんと改憲の手続きは踏まれているんですね。大日本帝国憲法(明治憲法)が改正されて日本国憲法になったわけで、二つの憲法はけっして断絶しているわけではない。ちょっと調べてみたのですが、1946年4月10日に、はじめて女性の選挙権を認めた普通選挙制による総選挙が行われ、5月22日に第一次吉田内閣が成立します。そして6月20日、新しく構成された第90回帝国議会の衆議院に、憲法改正草案(内閣草案)が帝国憲法改正案として、明治憲法73条が定める憲法改正の手続きに従って提出される。まず衆議院で圧倒的多数をもって可決、つづいて貴族院でもやはり圧倒的多数をもって可決されます。こうして草案は若干の修正を加えられたのち、日本国憲法として11月3日に公布、翌年5月3日に施行されます。
きわめて民主主義的な、正統な手続きを経て改憲されているわけです。ただ問題は、こうした過程のどこにも人々の意思は介在していないってことですね。アメリカから委任された知識人や政治家がすべてを差配してしまったわけで、国民はまったく関与していない。憲法の前文には「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とありますが、戦前・戦中・戦後をとおして主権が国民に存したことなんてただの一度もなかった。そのことが「総敗北」の根本にある問題だと思います。
つまり日本ではいかに立憲主義とか議会制民主主義とかいっても、そこに国民の意思が反映することはない。昨日まで天皇は日本国の元首でした。今日からは象徴になりました。はい、そうですか。ということで一人ひとりの国民にとっては何も変わらない。変わっていないのに「変わった」ことにしてしまった。「戦後」という新しい時代がはじまったと錯覚した。錯覚できた。それが「戦後70年の擬制」ということだと思います。
たとえばアフリカでは民主主義のプロセスであるはずの選挙をやると、たいてい民族対立になってしまいます。アフリカに民主主義を持ち込むことは民族対立を煽ることにしかならなかった、というのが現状だと思います。極端な言い方をすると、アフリカにとって民主主義は悪しきものだった。民主主義そのものが悪いというよりも、導入の仕方が悪かった。ヨーロッパの人々が何世紀にもわたる紛争を経てようやく手にしたものを、数年や数ヵ月で受け入れろ、成し遂げろと要求したわけですから、そりゃあ混乱するのが当然です。この性急な力が、結局は多くの紛争や虐殺、民族浄化といった災いをアフリカの人たちにもたらした。
ところが日本ではなんの混乱もなかった。しかも一日です。森崎さんも書かれているように、「無条件降伏で撃ち方止めとなるまでは、天皇の赤子として鬼畜米英を撃ちてし止まんという心性としてあった。一晩すぎると、戦争の永久放棄と民主主義が到来する。」(「歩く浄土」205)ということですね。にもかかわらず大きな混乱もなく、というかきわめて平穏に、民主主義は日本の社会に受け入れられてしまった。アフリカでは民族浄化なのに……。これはどういうことなのか。
民主主義も戦後憲法も、日本人にとっては「自然現象」だったということでしょう。季節がめぐるようにして戦前が戦後になった。そのあいだに台風のような自然災害として戦争があった。自然災害だから人為を超えている。天皇を含めて誰も責任を問われない。災いは去ったのだから、これからはみんなで力を合わせて復興していこう、ということで戦後がはじまった。身内に戦没者のいない家はないほど多くの人的被害を出した。外地で戦死して遺骨も帰ってこない家族もたくさんあったはずです。こうした夥しい非業の死が、地震の津波による死者と同じように受容され追悼された。
だから去年(2016年5月27日)、オバマ大統領が来日して現職のアメリカ大統領としてはじめて広島を訪れ、「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました」ではじまるスピーチをした際にも、9割以上の日本人がこれを評価し、好感をもったのだと思います。そういうことが自然にできる国民なのですね。広島と長崎に二発の原子爆弾が投下され、一瞬にして20万とも30万とも言われる人の命が奪われたことも自然災害として過ぎてしまう。
天子様の国を守ったという気分も、当時の日本人のなかにはいくらかあったのかもしれません。それで身内の非業の死について折り合いをつけたのかもしれない。本当は残された者、一人ひとりが自分の言葉で考えなくてはならなかった。自然災害だから仕方がなかった、ということで済ませてはならなかった。こうしたことすべてが擬制であり、総敗北であったということだと思いますが、この擬制と総敗北の根本には、日本人のなかに深く根を下ろした天皇制的なものがある。戦後の日本人にとって天皇制は一種の思考停止装置として機能しているのではないか、とすら思えてきます。
テニアン島で敵兵による陵辱を避けるために自分の母親と妹を撃って戦後を生き延びた83歳のおじいさんにたいして、森崎さんは「あなたの戦争の被害者という主観はじつは統帥権を干犯した軍の指導者とおなじく自身にたいして権力としてふるまっている」(「歩く浄土」188)と語りかけておられます。この「権力」が天皇制的心性によって、人々の内面にあたかも自然の事象のようにしてもたらされたのではないでしょうか。それは『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしない。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」といった表白と同質のものとしてあります。あるいは『奥の細道』の「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」のように、日本人の原感性として今日まで変わらずにありつづけています。
川の流れに浮かぶ水泡のように儚い人生、万物流転の人の世を生きる民としてのわれら。そのようなわれらを統覚する共同幻想が天皇制であり、「天皇の赤子」という自己認識だったのではないでしょうか。つまり今日に至るまで、日本人は近代的個人でも近代国家の市民でもあったことはない。いまもなお「天皇の赤子」でありつづけている。だから日本国憲法の条文に出てくる「国民」は「個人」という言葉が、あれほど空疎に響くのだと思います。とくに第三章の「国民の権利及び義務」でうんざりするほど繰り返される「何人も」は、実体のない記号としてしか読めません。「everybody」というよりは「nobody」という感じです。

そこで最初の問いに戻ります。日本ははたして主権国家なのか。その主権はどこに(誰に)あるのか。国民でないことは確かです。日本国民というのは空疎な記号に過ぎないのだから。実体は「天皇の赤子」なのだから。「ゆく河の流れは絶えずして」や「月日は百代の過客にして」の民なのだから。
日本国憲法は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三つの基本原理とする、ということは中学校の社会科でも習いますが、基本的人権と平和主義はともかく、国民主権については前文に先ほどの文言がある以外、本文にはまったく出てこないんですね。なにしろ第一章はいきなり「天皇」ですもんね。1条から8条までずっと天皇のことが書いてある。象徴天皇がどういうものであるかの説明ですね。これが終わると9条で、戦争放棄の話になってしまう。国民主権という点から見ると、日本国憲法というのはじつに奇妙な憲法なんですね。肝心なことが書かれていない。このことから見ても、戦後日本は主権の問題を本気で考えてこなかった、と言えそうです。
じゃあ天皇にあるのか? そんなことはありませんよね(たぶん)。明治憲法では「朕は国家なり」で、たしかに「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する(4条)と規定されています。でも、これは無闇になんでも天皇が決めるということではありません。「神聖ニシテ侵スヘカラス」(3条)からしても、むしろ天皇はヨーロッパ社会の神や、柳田國男がいう「祖霊」みたいな存在で、日本国の持ち主として自らの子孫(臣民)を見守るという位置づけです。また大日本帝国憲法自体が(名前はいかめしいけれど)、告文に「皇祖皇宗ノ後裔ニ胎シタマヘル統治ノ洪範」とあるように、この憲法は先祖がわれわれ子孫に遺してくれた統治の規範ですよ、といったやわらかなたたずまいを見せています。いまの安倍首相の言動などよりはよっぽど謙虚です。奥ゆかしさがあります。こうした美質を失ったことも含めて、「戦後日本の総敗北」なんだなあと思います。
大日本帝国憲法の肩を持つようなことを言っていますが、今回ちゃんと読んでみて、そんなに悪くない憲法だなと感じました。少なくとも文章はしっかりしている。条文が短くてすっきりしている。日本国憲法の「国民」や「個人」よりも、明治憲法の「臣民」のほうがリアルです。「天皇の赤子」としての実体がある。寿ぐべきことなのかどうかわからないけれど。ぼくなどは戦前の否定、戦後の賛美という風潮のなかで育った世代なので、大日本帝国憲法というと頭から「悪」と決めつけていたようなところがあります。でも中身はあまり変わらないんですね、日本国憲法と。たとえば「日本臣民ハ法律ノ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲウバワルゝコトナシ」(24条)と、ちゃんと司法権の独立も謳われているし、第三章の帝国議会にかんする条文などを読むと、いまの国会と変わらないじゃないかという感じです。ここでも本質的に変わってないものを変わったとみなす「擬制」が働いていますね。
いちばん変わったのは、やっぱり「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(1条)のところでしょう。天皇の持ち物であった日本国が、戦後はアメリカの持ち物になった。「元首」を「象徴」に変えて天皇制を残すかわりに、日本国の統帥権はマッカーサー(GHQ)経由でアメリカへいってしまった。これが戦後70年つづいているということだと思います。
最近の森崎さんのブログで、日本国憲法9条2項「交戦権の放棄」についての伊勢崎賢治さんの発言が紹介されていました。

9条2項のThe right of belligerency of the stateは「交戦権」じゃなく「交戦国になる権利」と訳すべきです。「交戦する権利を放棄するからエラい」じゃなく「交戦国になる”主権”を放棄する」というGHQの本当のニュアンスが明確になります。(2017年10月20日ツイート)

ここまであからさまに言われると「こまっちゃうナ」という感じですが、非常に説得力があります。「交戦権の放棄」とは「交戦する権利を放棄する」ではなく、「交戦国になる”主権”を放棄する」という意味だってことですね。なるほど。憲法の条文は「国の交戦権は、これを認めない」となっていて、誰が認めないのかぼかしてありますが(わざと?)、主語を補うと「認めない」と言っているのは、日本国民ではなく「アメリカ」ですね。
ポイントは、交戦に主権がないのではなく、非戦に主権がないってことです。主権がない状態で非戦を謳うこと自体が無意味である。茶番である。戦争放棄も同様です。放棄するもしないも、そんなことは日本が主体的に関与できることではない。そのことを日本は憲法によって認めてしまっている。だから「放棄」ということで問題にすべきは、交戦権の放棄でも戦争放棄でもなく、主権の放棄だということになります。
最初は不承不承だったかもしれない。総力戦をやった結果の無条件降伏によって主権を奪われた。譲渡させられた。無条件降伏だから、これは仕方がないと言うこともできます。ところがその後、日本政府ならびに日本国民が自国の主権の回復に努めた形跡は見られない。公正を期するために言っておくと、戦後しばらくは対等な主権国家としての日米関係が模索されたふしがある。伊勢崎賢治さんの近著『主権なき平和国家』を読むと、サンフランシスコ講和条約(1951年)後もアメリカによる占領状態がつづいていることへの日本側の抵抗は、1960年くらいまで折節に見られます。
でも60年に岸信介とアイゼンハワーのあいだで新安保条約が署名されたころから、「密約」というかたちで日本はアメリカにたいして譲歩を繰り返すようになり、しだいにアメリカへの配慮と譲歩が政権担当者たちのマインドになっていく。その成れの果ての「シンゾー」ということでしょう。おまえんとこは本当は主権がないんだけれど、表向きは主権国家として扱ってやるから心配するな、よしよし……ということで主権がないままに主権国家のふりをしてきた。ふりをすることができた。アメリカのおかげで。こうした「擬制」の象徴を、いまの安倍首相に見ているのだと思います。
なぜ現在の日米関係が、ここまで露骨なアメリカへの隷属状態に立ち至ってしまったのか。9条2項非戦条項が、交戦する主権がないことを認めたものである、という伊勢崎さんの解釈からすると、交戦する主権がない以上は、アメリカに守ってもらうしかない。その代償として、日本はいまだにアメリカによる占領状態を受け入れつづけている、ということでしょう。再び伊勢崎さんのツイートを引きます。

「9条2項」と「日米地位協定」は、アメリカによる「疑似占領永続装置」の両輪です。(2017年10月21日)

この現実を直視しよう、という伊勢崎さんの主張ですね。主権を奪われ、永続的な占領状態がつづいているなかで何を言ってもはじまらない。改憲だの護憲だのと言っても、そんなものは小学生のロールプレイングほどの意味ももたない。まずは日米地位協定を見直すことで占領状態を脱する。そのことは改憲に優先する。つぎに9条2項を改正して交戦する権利をもつ。
伊勢崎さんが交戦権の回復と言っているのは、限定された個別的自衛権(自国が攻撃を受けたら反撃できる)をもつということですね。それはアメリカに守ってもらうしかない現在の状態を脱することであり、延いては無用な戦争を主体的に拒む権利を手にすることである。それが非戦につながる。つまり個別的自衛権というかたちで交戦権を回復することと、非戦の状態をつくりあげることは、現実的には同じ作業工程だってことですね。

これから改憲の問題が表面化してきます。その際の態度表明としては、概ね伊勢崎賢治さんの考え方でいいと思います。さらに言ってみたいことがあります。なぜぼくたちが、ここで憲法を問題にしているのかということです。
森崎さんは究極の理念としての戦争放棄へ向かう過程としての自衛権という言い方をされています。戦争のない世界への過渡としての憲法と言ってもいいでしょう。戦争のない世界をつくらないかぎり、戦争放棄はありえない。戦争のない世界とは共同幻想のない世界です。平和憲法といえども共同幻想ですから、共同幻想によって共同幻想のない世界を構想することは原理的にできません。だから一つの共同幻想に過ぎない平和憲法は、戦争のない世界へ向かう過渡として位置づけられることになります。
そのためには戦争のない世界が構想できていなければなりません。ぼくたちは可能だと考えています。この構想のなかに憲法を位置づける。そこに交戦権や自衛権の問題も入ってくる。ということで、いまぼくたちは憲法の話をしています。あくまで過渡としての憲法の話です。憲法のための憲法の話をしているわけではありません。その先があるのです。
森崎さんの内包論はすでに戦争のない世界、いかなる共同幻想も生まれようがない世界の可能性を射程に入れています。現在進められている擬音論には、その明確なビジョンが見えます。親鸞と宮沢賢治をうまく使えば、共同幻想のない世界を構想できるとぼくたちは考えている。親鸞の肝は第十八願と自然法爾ですかね。賢治はもちろん「デデッポッポ」です。この二つを使って、ぼくたちは共同幻想のない世界を構想できると本気で考えている。バカじゃないのか!? いいえ、違います。
共同幻想のない世界を構想することは、国家のない世界のさらに先を構想することでもあります。近代的な国家、いわゆる国民国家は近いうちになくなると思います。グーグルやアマゾンのようなグローバル企業が、コンピュータ・サイエンスとライフ・サイエンスの力を借りて国家を廃絶しようとしている。そして現実に、個々の国民国家はなくなると思います。かわって伊藤計劃の『ハーモニー』に描かれたような、電脳的なグローバル・ガバメントが世界を差配するようになる。すると戦争もなくなるのか? おそらくいまぼくたちが目にしているような戦争は地上から姿を消すでしょう。
しかし人間が共同幻想にとらわれつづけるかぎり、かたちを変えた戦争は残りつづける。ぼくたちはなお貨幣とテクノロジーという人類規模の共同幻想にとらわれつづけています。強度を増す電脳社会のなかで、こうした共同幻想への帰依をさらに強めつつあります。やはり戦争は残りつづけるでしょう。これまでのように国家が引き起こすものではなく、個人が仕掛けるものとしての戦争は残りつづける。つまり進撃の巨人の問題です。ごく普通に暮らしていた人間が、あるとき突然巨人化して進撃をはじめる。この問題を解く術を、グローバル企業をはじめとして誰ももっていません。内包論だけが解こうとしています。ぼくたちが真剣に対話をつづけている所以です。