埴輪として造形された動物たち、馬、鹿、犬、鳥などを観ていると、どことなく「徳」を具えているような気がしてくる。ときには「神」のようにも見えてくる。似たことを宣長も言っている。古代の人たちにとって、天照大御神も天皇も、また狐や虎や龍も、さらには海や山や巌や樹木も、みんな分け隔てなく「神」であった。
『古事記』の「上つ巻」は「天地初めて発(おこ)りし時に、高天の原に成りませる神の名は」とはじまって、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」「神産巣日神(かみむすひのかみ)」という三柱の神が登場する。このうち宣長は「高御産巣日神」と「神産巣日神」と二神を重視し、「産巣日」は「産霊(むすび)」であり、天地を生成し、神羅万象を「生り成せる(なりませる)」根源的な神であると考える。三柱の神々が単独の神となって姿を隠すと、つぎつぎに別の神があらわれ、やがて「伊耶那岐(いざなき)」「伊耶那美(いざなみ)」という男女神の登場を待って、いわゆる国生みがはじまる。
古代の人々は、『古事記』に記されたような創世神話を素直に信じ、生きた人たちであった。彼らにとって、この世にあるものは、アマテラス以下の神々も、歴代の天皇も、一般庶民も、動物も、海も山も、草木の一本に至るまで、「高天の原」に出現した神の子孫である。したがって天皇も狐も分け隔てなく「神」であり、「神」であることにおいて優劣はない。ただ住まわれる場所が、人のなかか森のなかかという違いがあるに過ぎない。これが神代記の意味である、ということを宣長は言っている。かなりラディカルである。
ところで『古事記』の神々は、あらわれたかと思うと姿を隠し、また別の神としてあらわれる。この不思議な振る舞いは、折口信夫が『古代研究』の「霊魂の話」などで述べていることを連想させる。折口によると、日本の「神」は古くは「たま」と称せられていた。それはどこからともなくやって来て、いろんなものに入る。とりわけ卵のような密閉された容れ物を好んで入る。そして一定の期間が過ぎると、殻を破って出てくる。これが「なる」であり、「うまれる」ことを意味する。『古事記』に記された「高天の原」のエピソードには、神道などよりも、さらに古い時代の日本人の信仰のかたちが反映している、と折口は考える。
こうした折口信夫の説を勘案すると、「八百万神々」という言い方が、少しずつ実感を帯びてくる。古代の人たちにとって「神」とは、この世界にあるものを生み出す目に見えない力だった。古くは「たま」と呼ばれた不思議な力によって、多くの名をもつ神々があらわれたのであり、人々が目にし、手に触れるすべてのものを世にあらしめた。
ぼくとしては大いに腑に落ちる。あの素朴で愛すべき埴輪を作った人たちは、宣長が『古事記』のなかに見出したような、そして折口が祖述したような人たちだったに違いない。神代記に記された出来事や、原始的な世の成り立ちを、素直に信じ、ありのままの真実として生きていた人たちだったに違いない。
すると埴輪の動物たちに「徳」や「神」を観ることも、あながち的外れでもないことになる。それはぼくたちのなかにも、古代の人々の心情が残っていることの証である。彼らが生きた時間は、現代を生きるぼくたちのなかにも伏流している。この流れが、しだいに大きくなったり、強くなったりして表面に現れてくる。それが歳をとるということの意味、あるいは価値ではないだろうか。(2025.4.11)
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