バッハの宗教曲といえば、マタイ、ヨハネの両受難曲にロ短調ミサ曲、クリスマス・オラトリオと傑作揃いだが、どれか一つということになれば、作品の規模からいっても内容からいっても、やはりマタイ受難曲ということになるだろう。
ぼくがこの作品と出会ったのは、タルコフスキーの映画においてだ。彼の遺作である『サクリファイス』が公開され、さっそく劇場へ観にいった。すると作品の冒頭で、マタイ受難曲のアリアが流れてきたのだ。鳥肌が立つような、異様な感動をおぼえた。第一級の音楽が第一級の映像と結びついたときの威力を、あらためて感じさせられた。
さっそく三枚組みのCDを手に入れた。聴き通すのに三時間くらいかかったが、すでに新約聖書に親しんでいたこともあって、すんなり作品の世界に入ることができた。タルコフスキーの映画で使われていたのは第四十七曲のアリアで、ユリア・ハマリというアルト歌手がうたっている。そのディスクはヘルムート・リリングが指揮したもので、最初に買ったものだけに愛着がある。残念ながら、現在はカタログには載っていないようだ。
でも心配はご無用。素晴らしいディスクはたくさんある。代表的なものは、やはりリヒター盤ということになるだろうか。古いところではメンゲルベルク盤が面白い。古楽器を使った新しいものでは、バッハ・コレギウム・ジャパンのディスクが美しいように思う。少し値は張るが、最初の一セットだけは、日本語訳の付いた国内盤をお勧めします。(2008年12月)