ぼくはこんな絵を掛けている……⑦

こんな絵
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 どさくさに紛れて、ぼくが描いた絵も一枚紹介しておこう。リビングのピアノの上に掛けてあるこの絵は、おそらくわが家ではいちばん古いもの。結婚したころ、大学院生のぼくは奨学金と塾のアルバイトで細々と暮らしていた。一方、看護師をしていた奥さんは、ぼくから見ればスーパーリッチだった。それで富裕層の彼女は貧乏学生のぼくを憐れんで、誕生日にホルバインの油絵具セットをプレゼントしてくれたのだ。にわかゴッホと化したぼくは、カンバスだけは自分で買って、何枚か描いたうちの一枚を誕生日にプレゼントした。額縁をあつらえる余裕はなかったので、あとから本人が額装したのだと思う。O・ヘンリーの短編小説みたいな話だなあ。

 モデルの猫は、結婚して最初に飼ったシャムネコのポン太。残念ながらポン太は子猫のうちに、ぼくたちが住んでいたアパートの前の道で車にはねられて死んでしまった。この絵はポン太の遺影でもある。絵のスタイルは完全に矢吹申彦。『ミュージック・マガジン』の愛読者だったぼくは、矢吹さんの絵と文章が大好きだった。

 いま思い出したけど、新婚のころは休みの日にスケッチブックを持って、二人で写生に行ったりしていたのだった。あるとき海岸で絵を描いていると、近くのアパートに住む柄の悪い女が、2階か3階のベランダからぼくたちをからかった。「バカが二人、画家を気取っているよ」みたいなことだったと思う。ぼくが何か言う前に、奥さんが立ち上がって猛然と反撃に出た。「人がせっかく気持ちよく絵を描いているのに、どうしてそんなことを言うのよ。ファックユー!」……こわ~。そういう人なので、ぼくは奥さんにたいしては専守防衛に徹し、無用な挑発はしないようにしている。おわり。

 古い日記を調べてみたら、ポン太が死んだのは1982年8月20日だった。大学ノートのつけていた日記には「持続する明日のためのノート」などというくさいタイトルがつけられてる。ぼくは23歳、若気の至りです。そのころ読んでいた本は『資本論』、『自然弁証法』(エンゲルス)、『弁証法的理性批判』(サルトル)、『意味と無意味』(メルロ=ポンティ)、『種の起源』(ダーウィン)、『言葉と物』(フーコー)、『野生の思考』(レヴィ=ストロース)など。完全にフランスの現代思想かぶれである。修士論文でエンゲルスの自然弁証法批判を書こうと思っていたので、せっせとノートをとっている。小説では大江健三郎のほか、マルケス、リョサ、アストゥリアスなどのラテンアメリカ文学もよく読んでいる。このころから小説を書きたいと思うようになっていた。

 シャムネコのポン太は奥さんが同じ病院に勤めるドクターからもらってきた。昼間は二人とも留守にすることが多く、そのあいだ猫は狭いアパートに閉じ込められていた。生後数か月のわんぱく盛りだったことを思うとかわいそうなことをした。カーテンや本棚の上などによく登っていたのをおぼえている。ぼくたちが帰ると、待ちかねたように玄関まで飛び出してきたものだ。そんなわけで夜は戸外に出して遊ばせることが多かった。

 その夜も、路上で遊ぶポン太を二人で見守っていた。向こうから水色のフォルクスワーゲンが近づいてきた。狭い道だったので、運転手はぼくたちに気が付いて徐行してくれていた。ポン太は電信柱の陰に隠れていた。そのままじっとしていてくれたらよかったのだが、車が通り過ぎようとしたとき、猫はぼくたちの方へ飛び出してきた。エンジンの音に怯えたのかもしれない。車の下をくぐってこっちへ出ようとしたとき、後輪に引っ掛けられた。即死ではなかったけれど、一時間か二時間で死んでしまった。ぼくたちは猫を入れた箱を海に流しに行った。(2020.9.27)