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いまどきの大学で文芸創作などという講座を開設しているところは珍しいだろう。文科省の役人たちは高校や大学のカリキュラムから文学を抹殺しようと躍起になっている。愚かなことだ。連中には何もわかっていない。これからは文学の時代、物語の時代だということが。
「リベラル・アーツという言葉をご存知かな。聞いたことはある? まあいいだろう。一般教養くらいの意味だ。起源はギリシア時代に遡る。中世のヨーロッパの大学では自由七科とも呼ばれ、貴族や聖職者はみんな身に付けておくべき実践的な知識や学問の基本と考えられていた。中身は文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽からなっていた。
大学をユニバーシティというだろう。つまり宇宙という神の御心を探求する場所が大学だった。そういう場所で生まれた学問は、当然、キリスト教と表裏一体のものだった。法学や医学も、もともとは神学の一部だった。幾何学と代数をはじめとする数学にしても天文学にしても、世界は隅々まで整合的であるというキリスト教的な確信を前提にしている。なにしろ世界は神によって創造されたわけだからね。神はサイコロを振らない。調和に満ちた世界を解読するのが数学や天文学をはじめとする科学だったわけだな。
七科のなかに音楽が入っているのは、音楽も幾何学や代数、天文学とともに数学的な科学の一分野をなしていたからだ。ピタゴラスが音程比と弦の長さの比率関係を発見したのは有名な話だよね。なに、知らない? 弦の長さを半分にすると音程は一オクターブ上がる。これをピタゴラスが発見したんだ。彼は数学者であるとともの音響学者でもあった。ピタゴラスは古代ギリシアの人だが、中世においてもなお、世界を調律している神の秩序を音に置き換えたものが音楽と考えられていた」
学生たちに話したようなことを、わたしは教員会議で話して同僚たちの説得に努めた。現在、日本の大学の教養課程で採用されている人文科学、社会科学、自然科学という三分野から組み立てられた教育プログラムは完全に時代遅れである。実践的でない。われわれは困難な時代を生きている。それは数年先のことさえ見通せないという困難さである。いま学生たちに何を教えればいいのか? 現代を、この世界を生きていくのに必要な実践的な学問とは?
「シリコン・バレー企業の経営幹部やエンジニアの多くは、子どもたちにテクノロジーと無縁の生活を送らせていると言われています。彼らは大切な子息令嬢をタブレットで授業をしているようなところではなく、木製の学習机で勉強する古き良き伝統的な学校に通わせているんです。そこで子どもたちはグループで絵を描いたり、お話をつくったりして豊かな感性や創造性を育んでいく。なぜか? 感性や創造性が来るべき時代の価値になると、抜け目のない彼らは考えているからです。今後、学校教育のデジタル化は加速度的に進みます。GAFAやネットフリックス、マイクロソフトといったテクノロジー大手が有名大学とタイアップして教育産業に進出してくるでしょう。デジタル教育のなかで格付けがなされます。同じオンラインの授業でもスタンフォードやMITのものは高いとか。貧しい家庭の子どもたちは、もっと安いデジタル学校教育を受けることになるでしょう。うちの大学みたいな」
同僚たちの軽い憎しみを含んだ苦笑。わたしはかまわずにつづける。
「大学としての特色をいかに打ち出すか。他の大学と同じことをやってもしょうがありません。これからは就職も営業もSNSなどでの発信が中心になっていきます。SNSで何を発信するのでしょう? インスタグラム? 馬鹿げている。写真や動画をアップしてなんになるのか。そんなもので個性はアピールできません。個人を表現するのは言葉です。さらに言えば物語です。語学やプログラミングではなくてね」
外国語やプログラミングを担当している同僚の何人かが露骨に顔をしかめた。
「小論文の書き方を指導しているじゃないかって? それでは不充分です。いまどき小論文なんてAIだって書きますよ。AIに書けるような文章を書いたところで鼻クソほどの価値もない……失礼。人の心にアクセスできるのは物語です。物語と美です。これまでは貨幣でした。お金だけが多くの人の心にアクセスできた。しかしお金はこれからどんどんタダになっていきます。無価値になっていく。つまり人の心に届かなくなるのです。お金にかわって物語と美がこれからの価値になります。美しい音楽や絵画はいともたやすく人の心に届きます。ゴルゴダの丘で十字架に磔にされたイエスの物語は、二千年ものあいだ多くの人の心に届きつづけているじゃないですか。人の心に訴える物語をいかに紡げばいいのか。最善にして最短の方法は実際に物語を書いてみることです。さらに文学をとおして感動という美の本質についても学ぶことができる。文芸創作のクラスの開設を、ぜひともみなさまがたにお願いしたい」