アフター・コロナ(6)

アフター・コロナ
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 近い将来、ぼくたちは健康状態から感情に至るまで、24時間年内無休の監視下に置かれることになるだろう。それは現在、アマゾンやグーグルのサービスを利用しているようなかたちで民主的に、管理する者とされる者との共犯性においてなされるはずだ。

 現在も多くの人ががん検診を受けている。今後はさまざまな病気のリスクを知るために、遺伝子診断を受けることが普通になるだろう。人々は自らの安全と健康のために、分子レベルでの管理を望むようになる。病気の予防や将来的に現れるかもしれない病気によって、現在の生を規定されることになる。分子レベルでは誰もが発現前段階の「異常」を抱えているから、表面的に健康であることは無症候的な病気ということになる。健康であることと潜在的に病気であることは、ほとんど変わらないものになるだろう。

 近代的な「人権」にかわり、新しい権利や義務が定義されてくるはずだ。それは病気や健康との関連から分子レベルでコード化され、組み立て直されたものになると思われる。たとえば将来、遺伝子的欠陥をもたずに生まれてくることは、子どもの正当な権利になるかもしれない。また出生前に遺伝子的欠陥をチェックすることは、親として果たすべき義務になる。遺伝病を抱えて生まれてきた子どもが、義務の不履行を理由に親を訴えることも起こってくるだろう。大学や雇用先に遺伝子情報を提出することが義務付けられ、結婚しようとする者同士が遺伝子情報を交換することは、かつての結納と同じように社会的なしきたりとなるだろう。

 これらのことはすべて人々の総意として、生物学的な世界市民(シチズン)の合意や要望のもとになされていく。生物医学的なテクノロジーの飛躍的な進展によって、目の前につぎつぎと提示される新しい技術、多様な選択肢と向き合うとき、ぼくたちは管理されるのではなく自らが積極的に自己を管理するように駆り立てられる。義務や強制としてではなく、そうした情動が一人ひとりのなかにつくり出されていくだろう。

 ぼくたちは生まれたときから死ぬ瞬間まで、心理的にも肉体的にも、生物医学的なテクノロジーの支配下に置かれることになる。生物学的市民として生きることは、生まれる前から管理され、生涯を潜在的な患者や病人として生きるということだ。(2020.5.26)

Photo©小平尚典