6 クリスト・ドライブ2066
あたりは閑静な住宅地だ。平日の昼下がりで、人通りはほとんどない。目的のガレージはすぐに見つかった。郵便ポストに「2066」と書いてある。その横に「立ち入り禁止」の看板が立ち、「防犯カメラが作動しています」という、やや脅迫めいた文言が見える。なんとなく写真を撮るのも憚られる雰囲気だ。さり気なく何枚かシャッターを押す。建物の全景と入り口の郵便ポストなど。「NO TRESPASSING」の看板が邪魔だ。
ここにジョブズが住んでいたことを示すものは何もない。ただ「Crist Drive 2066」という住所を頼りにやって来た。その場所は、ぼくになんの感慨ももたらさない。日本の感覚からすると高級住宅街ということになるだろう。品のいい一階建ての家には、優に車二台が入るくらいのガレージが付いている。住居部分の窓下にはレンガを積んだ花壇があり、手前にデヴィッド・ホックニーの絵で見るような、いかにもカリフォルニアという感じの広い芝生の庭がある。手入れが行き届いているのは、ロス・アルトス市の歴史的資産に指定されているせいかもしれない。この家でジョブズが育ち、アップル社を創業したという理由らしい。
たしかに、ここでジョブズとスティーブ・ウォズニアックはアップル・コンピュータを起業した。1976年春のことだ。ジョブズはそれまで勤めていたビデオゲーム・メーカーを辞めたばかりで、ウォズニアックはヒューレッド・パッカード(HP社)の社員だった。「アップル」という名前は車のなかでジョブズが適当に考えたらしい。ウォズが設計し、ジョブズが販売を担当する。いまぼくが立っているガレージで、ウォズニアックは初代のアップルⅠを組み立てた。剥き出しのワンボード・マイコンに過ぎなかったが、すべてはそこからはじまった……といったことを思い浮かべてみても、やはりなんの感慨もわかない。気持ちが高揚しない。
どうしてこんなところまで来てしまっただろう? ドキュメンタリー番組を作るわけではないのに。取材上の必要があったわけでもない。やむにやまれぬ気持ちとも違う。ただジョブズについて書きはじめる前に、この目で最低限のことは見ておきたいと思ったのだ。
一緒にアメリカに行かないか? ジョブズの写真を送ってくれた写真家に話を持ちかけると、9月か10月なら都合がつきそうだと言う。7月は仕事でロシアへ、8月はニューカレドニアへ行く予定が入っているらしい。いまはまだ6月、秋まで待っていたらぼくのジョブズはどこかへ行ってしまう。そんなことを話すと、写真家は一緒に行けないかわりに旅の予定を組んでやると言う。彼は10年ほど前までロサンゼルスに住んでいた。
現地時間の午後6時50分、ロサンゼルス国際空港。羽田を真夜中に飛び立った飛行機は、約10時間のフライトを経てロスに到着する。午後7時を過ぎても昼間のような明るさだ。人も車も混み合っている。空港という場所はどこも似たようなもので、ほとんどジェネリックの様相を呈している。アイデンティティを喪失した空港で売られている、高級ブランドの香水や時計やアクセサリーやバッグや服。国際空港で保安検査を済ませて搭乗ロビーへ向かうとき、刺激的な匂いの一撃に襲われる瞬間が好きだ。マツモトキヨシのような気安さでシャネルが香っている。さあ、いまから外国へ行くんだと思う。
車をマンハッタン・ビーチへ向ける。日曜ということもあり、ビーチにはたくさんの人が出ている。車のラジオでは「父の日」のメッセージを紹介している。アメリカではまだ6月19日がつづいている。そうか、今日は父の日なんだ。日本では昨日だった。写真家が予約しておいてくれたモーテルにチェックインして、荷物を部屋に運び入れたあと、車で近くのレストランへ向かう。店の名は「Texas Loosey’s」という。写真家がロスで暮らしていたころ、友人たちとゴルフをしたあとで、よく利用していた店らしい。その名のとおり絵に描いたような南部志向である。テンガロンハットをかぶったショートパンツのカウガールが注文をききにくる。
喉が渇いていたので、とりあえずバドワイザー・ライトを注文する。バドワイザーなのにうまい。アメリカの第一印象は、ひとことで言うとフレンドリーだ。空港のスタッフも旅人にやさしい感じだし、入国審査は海外では稀なほどノー・ストレスだった。日本で報道されるアメリカのニュースは概してろくでもないものばかりだ。ドメスティックには銃の乱射事件などがあり、海外では戦争ばかりしている。ところがロサンゼルス空港に着いてからの数時間、なんだかみんな親切で愛想がいい。余裕があるのだろう。夢のカリフォルニア。ビーチがあって頭の上には抜けるような青空が広がっていると、人間も呑気になるのかもしれない。
胸元もあらわなカウガールが注文した料理を持ってくる。鶏肉の手羽を素揚げにして、香辛料の効いたソースを絡めたもので、バッファロー・チキンとかバッファロー・ウィングとか呼ばれている。それにフライド・カラマリというイカの唐揚げ。「カラマリ」はイタリア語でイカのことだ。アボカドをたっぷり使ったサラダも含め、どれも美味しい。ビールのお代わりを注文する。いつまでもバドワイザーを飲んでいると田舎者のジャップと思われそうなので、二杯目は地元のクラフト・ビールにする。美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んでいると、ジョブズのことなどどうだってよくなる。
砂漠。一直線の道が地平線の彼方までつづいている。視界を遮るものは何もない。視線は広大な砂漠に吸い込まれて消える。ヴァニッシング・ポイント。スモッグに覆われたロスのダウンタウンを抜けて、フリー・ウェイを30分も走ると、そこは砂漠になる。まだ午前中なのに気温は華氏100度を超えている。摂氏では38度くらいだろうか。日中は40度を超えるかもしれない。車のなかは冷房が効いているからいいようなものの、外に出たらたちまち焼け死んでしまいそうだ。
朝食はパンケーキ・ハウスでとった。卵を二つ使った目玉焼き。ガイド本によると片面焼きは「sunny-side up」、両面を焼いてもらうためには「sunny-side down」と言わなければならない。「over easy」と言ったのに、黄身までしっかり火が通っている。それにカリカリに焼いたベーコン。なんにでも熱を加えるのが好きなのだ。街にも大地にも食べ物にも。ひょっとして人にも? 気を付けよう。目玉焼きやベーコンにされないように。
空港のハーツで借りたクライスラーは時速70マイルで走りつづけている。カーオーディオからはイーグルスの「Take It Easy」が流れている。グレン・フライも死んでしまった。彼の歌声にあわせて一緒に歌う。気楽に行こう。くよくよ思い悩むな。自分の運命を理解しようなんて思わないことだ。陽気にやろうじゃないか。
旅は日常のアウトサイドだ。旅はぼくたちにアウトサイダーの視線をもたらしてくれる。誰もが何気なくやっていて、当たり前と思っていることを外側から眺めてみる。ジョブズも生涯をとおしてアウトサイダーだった。つまり旅をつづけたわけだ。芭蕉が書いているように、「日々旅にして旅を住みかとす」である。そしてこの世を去った。古人も多く旅に死せるあり。彼が逝ってすでに10年近い歳月が流れた。
晩年のジョブズとアップルの歴史をたどっていると、ぼくはどうしてもビートルズのことを思い浮かべてしまう。ビートルズのイギリスでのデビューは1962年、「プリーズ・プリーズ・ミー」や「抱きしめたい」を楽しそうに歌っていたバンドは、たった7年で陰影と深みに富んだ『アビーロード』にたどり着いてしまう。60年代にビートルズが起こした奇蹟を、ジョブズは晩年の10年間にコンピュータの世界で成し遂げたと言えるかもしれない。
中学生のころにビートルズを聴きはじめて、いつも不思議に思っていたことがある。それはデビューから解散までのメンバーの風貌の変化の大きさだ。1963年にEMIビルで撮ったデビュー・アルバムの写真と、1969年の『レット・イット・ビー』の写真を比べてみるといい。はつらつとした四人の好青年は、疲れ果てた暗い表情の男たちになってしまった。ジョージはインドの修行者みたいだし、ジョンも頬がこけてふっくらしていたデビュー当時とは別人みたいだ。いったい彼らに何が起こったのだろう?
ぼくの立てた仮説は、「極度に濃縮された体験による加齢」というものだ。デビューから解散までの7年ほどのあいだに、彼らはエリザベス女王を含む世界中の要人・貴人(奇人)・変人と会い、巨大な富と名声を得て、ドラッグや女性関係を含めて、ぼくたちが一生かかっても知りえないほどのことを経験したはずだ。普通の人にとって数十年にも一生にも相当する濃縮された時間が、彼らを急速に老成させたのではないだろうか。
ジョブズにも同じことが起こった気がする。最後のプレゼンとなった2011年3月、iPad2の発表のとき彼は56歳になったばかりだった。いまのぼくより5歳も若いのに、まるで70代の老人のように見える。もちろん病気のこともある。臓器移植まで受けた肉体が年老いて見えるのは当然かもしれない。しかしアップルに復帰してからの10年間で、ジョブズの風貌は大きく変わっている。まるで60年代のビートルズのメンバーたちの変化を見ているようだ。ジョブズにも「極度に濃縮された体験による加齢」が起こったのではないだろうか。がんという病気も、加速度のついた彼の生き方が引き寄せたものかもしれない。
さあ、アクセルを踏み込め。この忌々しい熱波を振り切るんだ。あそこへ突っ込むぞ。地平線の彼方のヴァニッシング・ポイントヘ。消失点。彼はどこへ行ったのだろう? 文字通り消失点に姿を消したのか? アクセルを踏み込み過ぎたのかもしれない。それともいまも旅をしているのだろうか。ぼくたちの知覚ではとらえることのできない方位を。
Photo©小平尚典