あの日のジョブズは(4)

あの日のジョブズは
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4 ちょっと一休み

 いやなやつだったらしい。正真正銘のクソ野郎と言う人もいる。ぼくのまわりにもいる。ジョブズの本を書いていると言ったら、「なぜあんなやつのことを書くんだ」と不思議そうな顔をされた。いまでは誰もジョブズのことなど気にかけていない。完全に過去の人間である。たしかにそうかもしれない。でも実在のイエスだって、クソ野郎だったかもしれない。付き合いたくないと思うくらいいやなやつだったのかもしれない。

 もちろん、別の意見もある。「私が付き合ってきたスティーブはそんな人間ではない」と伝記作者の一人は書いている。「自分がひたむきに報じてきた男はこういう人物である」(シュレンダー、2016)。おそらくジョブズを知っている多くの人が同じ思いを共有しているのだろう。彼はそんな人間ではない。では、どんな人間なのか? あるがままのジョブズを語れる人などいるだろうか。ジョブズにかぎらず、それが誰であれ。

 死者は立ち去り、逃れ去ってゆく、休む間もなく。だからぼくたちはこう言わなければならない、「きみの便りを待っている」と。このメッセージはなんらかのかたちでジョブズに届くだろうか? 一人の人間を理解するためには、彼のことを愛さなければならない。たとえ彼がどんなクソ野郎であったとしても。

 すでに述べたように、マルコの物語はイエスが死んでから約40年後に書かれた。クソ野郎のことを書くには距離が必要だ。時間的にも空間的にも。ぼくはジョブズに会ったことはなく、現実的にはなんの関係もない。しかも彼が死んでから10年近く経っている。ムーアの法則に従ってコンピュータが指数関数的に進歩していること考えると、優にマルコの時代の40年に匹敵するだろう。

 クソ野郎だから書いてみたいのだ。普通にいい人のことを書いてもつまらない。生前のジョブズを知っている人の多くが「絶対に付き合いたくない」と断言する。そのくらいの人間でないと1000年、2000年のときを超えて生き延びることはできないのかもしれない。ジョブズがイエスのように2000年も生きつづけるかどうかわからない。でもぼくたちの時代で他に誰がいるだろう? ジョン・レノンやポール・マッカートニーは? 彼らの作品は長く残りつづけるだろうが、それはジョンやポールという生身の人間が残ることではない。イエスは2000年を経てなお生身の人間性を感じさせる。ジョブズにも同じことがいえる気がする。ぼくにとって海の向こうのジョブズは、10年という永遠にも等しい時間を隔てて、いまだに生々しいのだ。

 若いころのジョブズについて伝記的な事実から興味深い点を拾ってみよう。

 1972年、オレゴン州ポートランドにあるリード大学に入学する。リベラル・アーツの私立大学で学費が高いことで有名なところだったらしい。バークレーやスタンフォードといった総合大学ではなくリベラル・アーツ・カレッジを選んだということは、この段階では何をやりたいか明確にきまっていなかったということだろう。何か面白いことをやりたかった。クリエイティブでアーティスティックなことをやりたかった。気持ちはよくわかる。

 ジョブズがリード大学に入学する5年前に、サイケデリックの導師、ティモシー・リアリーがリード・カレッジの学食にあぐらをかき、「偉大なる宗教を見えればわかるように、神性とは自らの内に見出すものである……太古より受け継がれてきた目標を現代風にとらえ直せば、ターン・オン(ドラッグで)、チューン・イン(意識を開放し)、ドロップ・アウト(社会に背を向けよ)となる」と訓戒を垂れている。そういう気風の大学だったのだろう。70年代には中退率が三分の一を超えていたというから、ほとんどアウトサイダーを輩出することに情熱を傾けていたようなものだ。

 60年代に青春期を送ったジョブズは、もろにカウンター・カルチャーの洗礼を受けて育った。マリファナやLSDなどのドラッグ・カルチャー、ベイエリアのビート・ジェネレーションから生まれたヒッピー・ムーブメント。ティモシーの教えを真に受けたわけではないだろうが、実際にジョブズは18ヵ月で大学をドロップ・アウトしてしまう。

 学生だった一年半のあいだ、彼はあらゆるサブカルチャーに身を浸す。禅、瞑想、ディランやグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレインなどのロック・ミュージック、サイケデリック・ドラッグ……ほとんど見境なしにという感じである。とりわけババ・ラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ』という本に強い影響を受けた。サイケデリック・ドラッグ(幻覚剤)や瞑想についての一種のガイドブックで、当時の多くの若者に感化を与えたものらしい。

 精神世界と悟りへの強い興味。そして興味を抱いたものにたいしては激しく、徹底的にのめり込む。先にも触れたように、1973年にはラム・ダスの師、ニーム・カロリ・ババ(マハラジ・ジ)に会うためにインドまで行っている。僧侶のようなものになろうと、半ば本気で考えていたらしい。インドから戻ったあとは、スピリチュアル・ネームを名乗り、インド風のローブにサンダル履きで歩くようになる。

 もう一つ目を引くのは、菜食主義をはじめとする極端な食事である。米、パン、穀類、牛乳などを絶ち、ニンジンやリンゴなど1~2種類の食べ物のみで何週間も過ごしたり、身体を浄化するために断食を繰り返したりしていたらしい。健康法の対極にある不健康なまでの純粋主義。スピリチュアルなものへの強い親和性。若者特有の過剰さに加え、時代の雰囲気もあったのだろう。

 ジョブズをはじめとして、この時期のパーソナル・コンピュータの開発者たちのほとんどが、ドラッグ・カルチャーやカウンター・カルチャーといった反体制的な空気を吸って大きくなった。60年代のドラッグ・カルチャーは多分に現実逃避的な面をもっていた。目の前にはベトナム戦争、徴兵制という現実が立ちはだかっている。逃れようのない現実から目を逸らすために、アルコールやドラッグにのめり込むという傾向は強かっただろう。癌の恐怖から逃れるために医療用マリファナを使うようなものかもしれない。

 アメリカの西海岸で生まれたパーソナル・コンピュータが、現実世界への強い拒否感や嫌悪感をバックボーンにしていたことは多くの人が指摘している。ベトナム戦争にたいする反戦運動が盛り上がっていた時期である。徴兵制が廃止されるのは1973年1月、ジョブズたちの世代にとっては、なお現実的な問題であったはずだ。泥沼化するベトナム戦争、常習化する暗殺、ケネディ兄弟、キング牧師、マルコムX……時代は絶望に塗りつぶされていた。それがPCを現実逃避的なガジェットにしていく一つの大きな要因だったに違いない。同時にIBMなどが作っている、権威の象徴ともいうべき大型コンピュータへの対抗意識になっていっただろう。

 もう一つ、パーソナル・コンピュータの開発にかかわった若者たちに共通しているのは、ノンポリティカルということだ。ジョブズとともにアップルを創業したスティーブ・ウォズニアックなどは典型的な電子機器マニアであり、元祖ハッカーという感じである。デモに参加してポリスに石を投げるというタイプではなかったのだろう。

 ジョブズの場合も、ポリティカルなものへの興味関心はほとんど見られない。彼が大学に入学した1972年の後半には、徴兵制の削減・廃止は既定の政策になろうとしていた。学生たちの反戦運動や政治活動も下火になり、大学の雰囲気も変わりつつあったのかもしれない。そうした外的な変化以上に、ジョブズにとっては徹頭徹尾、「自己」が問題だったように思える。外側の現実へ向かうよりは、自分の内側に向かう傾向が強かった。サイケデリック・ドラッグも瞑想も信仰も極端な食事も、彼の場合はどれも内側を指向している。

 外側の現実と衝突する前に、内側の自分と衝突してしまったと言えるかもしれない。ジョブズの生涯に付きまとう過剰さは、自己自身との衝突に由来しているように見える。いつも自分が自分と衝突し、自分を持て余してしまう。だからもっと深いところ、自己の意識よりもさらに深い自己に向かおうとする。それがスピリチュアルなものへの強い親和性としてあらわれてくる。

 ジョブズが面白いのは、こうしたスピリチュアルな感覚と、ときに楽観的とも見える技術信奉が結び付いていることである。シリコン・バレーという環境が育んだものだったのかもしれない。彼はコンピュータという最新の技術によって、解脱や涅槃に至ろうとしたのだろうか。

Photo©小平尚典