突然、何もかもが変わり、とんでもなくひどいものになってしまった。忘我にも似た幸福に包まれていた者たちが、ほんのひと月後には二度と会うことのできない、遠く隔てられた場所へ押し流されていた。最終的に彼女の死亡を確認したのは、震災の発生から何ヵ月も経ってのことだ。そのあいだ生死のことは考えなかった。震災のことも、できるだけ考えないようにしていた。毎日、飽くことなしに騒音のように押し寄せてくるニュースや報道から目を背け、耳を塞ぐようにして暮らしていた。
いまから思えば、あの冬の寒い日、安否をたずねて何ヵ所もの避難所を歩きまわりながら、わたしのなかのもう一人の自分は、彼女に別れを告げていたのかもしれない。事実が明らかになる前に、無意識の部分で、少しずつ彼女の死を受け入れていたのかもしれない。だから確かな情報がもたらされたとき、それほど動揺しなかったのではないだろうか。すでに知っていたことを、あらためて知らされた気がしたのではなかっただろうか。
まわりでは、これまでと変わらない日常が営まれていた。人々は何事もなかったかのように急ぎ足で通り過ぎていく。実際、彼らには何事も起こらなかったのだ。わたしたちにだけ何事かが起こった。地下深くの断層が動いて二人の世界が陥没した。そのなかに彼女は落ち込んでしまった。わたしのほうは半ば亡霊のように、顔も名前もない群れに紛れて生きつづけた。
唇にわずかに残っている口づけの感触だけが頼りだった。それだけを絶やさずに生きていた。極寒の地で火を運ぶ者たちのように。氷点下五十度を下まわる寒さのなかで火をつけるのは大変なので、一度手に入れた火は大切に運ばなければならない。わたしも彼らと同様に大切に運びつづけた。たった一つ残った彼女の感触が、この世界から消えてしまわないように。
何度も繰り返し同じ夢を見た。場所は砂丘だった。砂の上で彼女は風に吹かれている。不意に振り向いてわたしを見る。その唇が小さく動いて何か言う。呟かれた言葉を風が運んでいってしまう。目が覚めるたびに、彼女は何を言ったのだろうと考える。ほどなく一つの言葉に行き当たる。わたしたちが知る、いちばん悲しい言葉が残されている。
あの日、すべてを手にしていた。すべてを見出し、この世の神秘に触れたと感じた。あれほど確かだったことを証明する術が、いまは何もなかった。彼女のいない時間が長くなるにつれて、その実在さえ薄らいでいくようだった。最初からそんな人はいなかったのではないか。みんな夢か幻だったのではないか。砂丘での出会いなど、もともとなかったのではないか。本当にわたしたちは出会ったのだろうか? 仮に出会ったとして、この世界だったのだろうか? 何もかもあやふやで確固としたものは何もなかった。
二人のことを知る者がいなかったことも、そんな思いを助長した。ほとんど唯一の目撃者といえば父だが、自宅の居間で短い挨拶を交わしただけの若い女性は、父にとって街ですれ違う通行人と変わりなかっただろう。そうなると、わたしたちを結び付けることのできる人間は、もはやこの世に一人もいないことになる。何もかもが二人なかにしか存在しない。すべてはわたしと彼女だけの秘密なのだ。その秘密は、二人で分かち持たれているあいだは実在性を帯びていたが、いまでは空想や創作と変わりなかった。
彼女の家族のことは聞いていなかった。実家は首都圏らしかったが、都内なのか近隣なのかさえ知らなかった。両親は何をしているのか。兄弟姉妹はいるのか。何も手がかりを残さないまま、彼女は蜃気楼のように消えてしまった。あとには灼熱の砂漠が広がっているばかりだった。