まぐまぐ日記・2011年……(4)

まぐまぐ日記
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9月25日(日)晴れ

 午後から博多駅で大学時代の友人、下條龍二くんに会う。ぼくは九州大学農学部農政経済学科というところを卒業した。二十人の学部学生のなかで大学院へ進学したのは三人。下條くんは、そのうちの一人だった。ぼくが売れない小説や批評を書いているあいだに、彼は公務員試験の勉強をして農水省に入った。この9月から、熊本の九州農政局へ出向となり、今日は挨拶まわりで福岡へ来たとのこと。昼御飯を食べ、スターバックスで旧交を温める。

 農政経済学科というのは面白いところで、下條くんのように真面目な人のなかに、ときどきぼくみたいに好きなことをやって専門の勉強はしない者が紛れ込んでいる。シーナ&ロケッツの鮎川誠さんも、学科の先輩だ。在学中は音楽活動が忙しくて、ほとんど大学には出てこなかったらしい。何年か前に、ベネッセから大学紹介で写真を使わせてほしいと言ってきたことがある。しばらくして送られてきたパンフレットを見て笑ってしまった。宇宙飛行士の若田光一さんとともに、ぼくと鮎川さんが取り上げられていたのだ。人材が乏しいということもあるが、九州大学を卒業した「有名人」の三人中二人だから、農政経済学科の圧勝である。

9月28日(水)晴れ

 朝の7時半に車で家を出て九大病院へ。ぼくはB型肝炎のキャリアなので、二ヵ月に一回、定期的に検診を受けている。この病気では、なんの自覚症状もなしに炎症が起こっていることがある。おとなしくしていたウィルスが、突然増殖をはじめるのだ。だから定期的にウィルス量を調べる必要がある。

 7年ほど前には、約一ヵ月入院した。そのときも定期健診で異常値が出てわかったのだが、あと一週間遅ければ肝不全になっていたかもしれないと言われた。なぜウィルスが活性化するのか、医学的にもよくわからないらしい。ちょうど『世界の中心で、愛をさけぶ』の人気がピークにあったころで、そのストレスのせいではないかと、個人的には思っている。だから以後は、ベストセラーや話題作は(書けないのではなくて)書かないことにしている。

 午後から九州産業大学にて講義。東海散士の『佳人之奇偶』と三遊亭円朝の落語速記本をテキストに、言文一致体の成立について話す。前島密の漢字廃止論といい、西周のローマ字国字論といい、また森有礼の日本語廃棄論といい、圧倒的に優位な西欧文明の前に、当時のインテリたちがどのような意識をもったか(もたざるをえなかったか)がうかがえて興味深い。このような欧米追随と伝統的文化の軽視、あるいは理念なき実用性の偏重は、今日に至るまで150年間にわたって変わらぬ日本の姿勢であると言えるだろう。

9月29日(木)くもり

 白石一文さんの『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』の解説を書きはじめる。歯ごたえのある本だけに、こっちも力を入れて書いているが、そうすると本の解説というよりは、ぼく自身の文学論みたいになってしまう。

 この作品のなかで、登場人物がみんな「カタカナ」になっているのは、もちろん意図的である。登場人物の一人ひとりを生身の人間のように造形することを、作者は最初から放棄している。そんなことに労力を費やすことを、彼は重要だとは考えていない。破綻のないストーリーを紡ぐことも、もっともらしい人物をしつらえることも、みんなまどろっこしいものに感じられている。それは当然なのだ。ぼくたちは工芸品を作っているのではなく、文学をやろうとしているのだから。現在、文学的であろうとすれば、作品が「小説らしい小説」から離れてしまうことは不可的である。

 ……とまあ、こんなことを力を込めて書いている。ささやかな声援になればいいと思っている。

9月30日(金)雨・曇り

 今日は剣道が休みなので、夜はDVDで映画を観る。最近は映画づいていて、夜はお酒を呑みながら映画鑑賞という日が多い。この2週間ほどのあいだに観た映画は、トリュフォー『アデルの恋の物語』『思春期』山中貞雄『丹下左膳 百万両の壺』『人情紙風船』溝口健二『雨月物語』といったところ。いずれもDVDだが、トリュフォー以外はみんなアマゾンで380円だった。

 現在、1950年代以前の古い映画は、かなりの本数が廉価販売されている。ヒッチコック、ルノワール、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、ジョン・フォード、ハワード・ホークス、フランク・キャプラ、フリッツ・ラング、エルンスト・ルビッチ、マンキーウィッツ、グリフィス……他にも、「えっ、こんな監督のこんな映画が」というものが、380円ないし500円でごろごろしている。ほとんどタダみたいなものだ! コーヒー一杯の値段で映画が観られる、ではなく「買える」時代なのだ。この機会に、100本は観てやろうと思っている。

10月2日(日)曇り

 ゴダールの『映画史』上巻を読み終える。この本はモントリオールでの講話をテープ起こししたもので、出版は1980年である。自作一本と、それに関連のある過去の映画(ほとんどは古典)数本を一緒に論じるというスタイルは、けっして読みやすいものではない。また即興性の強い語りは、文脈がかなり支離滅裂である。しかし言われていることは、「ひとは自分にできることをするのであって、自分がしたいと思うことをするわけじゃないのです」とか「制約こそが、スタイルとリズムをつくり出すのです」とか、至極まっとうであったりする。また「人々は戦争をするかわりに、戦争映画をつくるべきなのです」といった名言(?)が、さり気なくちりばめられてもいる。

 それにしてもゴダールって、なんかおかしい。たとえばこんなくだり。「私は、私の娘が私がつくった映画を五分間見るのにも我慢できなかったり、そのくせ、コマーシャルとかアメリカのシリーズものなら何時間でも見ていたりするのを見ると、なにかを考えさせられます。《あんなもの見てもまったくなんの役にも立たないのに》などと考えます。私には彼女を恨む権利はないのですが、それでも、いくらかは恨んでいます。ときどき、彼女の食いぶちを出すのがいやになったりするのです!」(奥村昭夫訳)いつも率直で純粋なゴダール。

10月4日(火)晴れ

 DVDでエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』を観る。この映画については、すでに語られ尽くしている観があるが、それでもちょっと言ってみたくなる。たとえばオデッサ階段の虐殺シーンや、終盤の黒海艦隊との遭遇シーン、細かなカットのつなぎ(エイゼンシュテイン・モンタージュ)によって、これだけの迫力、スピード感、緊張感が出せるのだ。こういうのを観ると、特撮で大仰な絵を作り、無意味な効果音で盛り上げる、昨今の映画がバカに見える。このサイレント初期の名画も500円。

 ぼくは小学五年生のとき、友だちと「社会主義研究会」をつくり、学級会でソ連の国旗がなぜ鎌とハンマーなのか(農民と労働者の団結を意味する)を、黒板に図を描いて説明するような少年だった。研究会のメンバーは下校時に、「おお強力戦艦ポチョムキン~」などと節をつけてうたい、同志の絆を確かめ合うのだった。六年生のときには、父が中国物産展で買ってきた毛沢東語録(赤い表紙の豆本)をランドセルに入れて通っていた。

 かなりバランスの悪い少年だったわけだが、中学生になりロックを聴きはじめてから正常になる。レーニンや毛沢東よりマーク・ボランやニール・ヤングの方が、単純にかっこいいと思ったのである。おそらく小学生時代のぼくには、友だちに知ったかぶりでコルホーズやソホーズの話をするのが、単純にかっこいいと思えたのだろう。要するに、根っからのミーハーなのである。