園内は奥へ行くほど遊具から何からくたびれて、この施設が長くメンテナンスをされないまま荒廃の一途をたどってきたことがうかがえた。
「そろそろ引き返すか」
口では言いながらも、わたしたちは慣性の法則にでも導かれるように奥のほうへ歩いていった。そこは緑の動物園という、園内でもひときわ荒廃が進んだエリアだった。ゾウやサイの形をしたオブジェの表面に苔などをあしらって、かつては緑の動物たちを演出していたらしい。だが表面を覆っていた苔は、枯れたり剥がれたりして下部構造が露わになっている。
さらに進むと回転木馬が現れた。どう見ても耐用年数はとっくに過ぎている。いまではカタストロフィの雰囲気さえ漂わせながら、奇蹟的に動いていた。
「乗ってみよう」遊園地が苦手なはずの藤井茜が言った。「先生も一緒にどうですか?」
「遠慮しておこう」
乗っているあいだに崩壊してしまうかもしれない。子どもをつくることはハイリスクなどと言っていたくせに、こんな危険極まりない代物に乗ろうというのだからどうかしている。良識ある大人なら止めてしかるべきだろうが、わたしは黙って彼らがしたいようにさせておいた。
最初に藤井茜が白い塗装が剥げた上に片方の耳が欠けた馬によじ登った。スカートをはいているため、横乗りで馬の首の根元から生えているポールをつかんだ。若いころのエリザベス女王が、こんな格好で馬に乗っている写真を見たことがある。つづいて高椋魁がいかにも不器用な身のこなしで馬に跨った。従業員がマイクで面倒くさそうに、「じゃあ、いいですか」と言った。優雅な白馬の姿からは想像もつかない轟音とともに床がまわりはじめ、それに合わせて馬が上下する。部品が幾つか欠けているか、または引っかかっているのではないかと思えるようなギクシャクした動きだった。
あの日、わたしたちが来たときも、木馬はまわっていたはずだ。現在のような轟音を立てることなく、軽やかになめらかにまわっていただろう。それから四半世紀のあいだ、おそらくろくにメンテナンスもされないまま、木馬はまわりつづけてきた。わたしは近くのベンチから、まわりつづける二人を見ていた。上下動をする二人は、交流電流の波形みたいに重なり合うことがない。一人が上に行けば、もう一人は下に行く。片方が浮かび上がれば、もう片方は沈む。閉園間近の遊園地で、廃棄寸前の回転木馬に乗っている、彼らはいったい何者だろう? どこから現れた者たちなのだろう。
あの日、砂丘の上で彼女が微笑みかけたとき、自分が彼女の夢のなかに立っているのを感じた。そうしてわたしは生まれた。彼女のまなざしによぎられて、いまのわたしが生まれた。以来、彼女の目に映った自分を生きてきた。だから彼女もまた、わたしのなかにいる。そうして自分が生きていると感じる。
「おかあさんはとんでもなく怖がりでね」喋っているのは父だった。「新婚旅行で山陰に行ったときのことだ。出雲大社にお参りしたついでに日御碕灯台まで足を延ばした。その灯台は階段の隙間から下が見えるようになっている。登るときはよかったのだが、帰ろうとすると下りられなくなった。あのときは驚いたよ。パニックでも起こしたみたいになって、額には汗がにじんでいた。階段を下りることをゲームに見立てて、なんとかリラックスさせようとしたんだが、おかあさんは顔を引きつらせて、一段ずつ時間をかけなければ下りられない。しかも一段下りるたびに鉄の踏み板に尻をついて、腰が抜けた婆さんみたいにしゃがみ込んでしまう。ようやく地上にたどり着いたときには、二人とも疲労困憊の体だった」
父は本当にそんな話をしたのだろうか? わたしは実際にこの耳で聞いたのだろうか? あまり細かく甦ってくるので、記憶の信憑性そのものを疑わずにはいられない。それこそ無意識の創作ではないだろうか。新婚旅行で山陰に行ったなどという話は、父からも母からも聞いたおぼえはない。そもそも「新婚」という言葉ほど、彼らに似合わないものはない。しかしわたし自身が母の死の直後、これといった理由なしに山陰に出かけている。まるで自分が与り知らない両親の過去に導かれるようにして。そして鳥取の砂丘で彼女と出会った。
「なんでも怖がる人でね」父の話はつづいている。「これは結婚してからわかったのだが。とにかくエスカレーターが怖い、エレベーターが怖い、飛行機が怖い、車を運転するのが怖い、高層階で窓のそばへ行くのが怖い、一人になるのが怖い、ひらけた空間が怖い。もちろん死ぬのが怖い。それは生きるのが怖いっていうのと同じじゃないか」
父は父なりに、母の死によってはじまった自分を生きてきたのかもしれない。わたしが彼女に死によってはじまった自分を生きてきたように。それは父が死んだ母を生きることと同じだ。あるいは死んだ母が父として生きることと同じだ。わたしが読んだものは、いわば往路の物語なのかもしれない。書かれることも、語られることもなかった復路の物語が、父のなかにもあったのだろう。
顔を上げると、美しい夕暮れの空をオレンジ色の薄い雲がゆっくりと流れていた。空の奥のほうから、夜の気配が濃くなってくる。静まっていたものたちがやわらかく歌いだし、夜空の星がひときわ明るくざわめきを増す、季節の変わり目に、わたしたちはいるのかもしれない。何かが終わり、新しい何かがはじまる、そんな節目にいるような気がした。
つぎは二人で来るといい。閉園してしまう前に。冬がやって来るころに。先のことはわからない。でも二人でくれば、また別の風景が見えるかもしれない。
「雪が降るといいな」
彼らのために願った。
〈了〉