蒼い狼と薄紅色の鹿(37)

創作
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 学生たちに小説を書かせると、前世や生まれ変わり、輪廻転生などをテーマにして書いてくる者が多い。そういうところに彼らの興味は向かっているらしい。きっと現世への行き詰まり感があるのだろう。この世界には未知の可能性はどこにもなく、ただ退屈で息苦しいと感じられている。だから前世や生まれ変わりに興味や嗜好が向かうのかもしれない。彼らなりに難しい問題を抱えているのだろう。もちろん誰のどんな人生も易しくはない。どの世代にも、時代がもたらす固有の難しさがある。ただ現代は、困難の質がプライベートなものになって、なかなか他人と共有できなくなっているのかもしれない。

 父の小説のことを考えていた。正直、驚いたと言っていい。身内の贔屓目を差し引いても、なかなかのものだと思う。作品としてほとんど完成されている。二十歳かそこらであれだけのものを書いた父に、わたしは妬ましさにも似た感情をおぼえた。課題レポートなら、迷うことなく「S」を付けるところだ。ただ、あのまま創作をつづけても早晩行き詰まったかもしれない。理由はわからないけれど、漠然とそんな気がした。その後の父の人生を知っているせいかもしれない。多少の負け惜しみも入っているだろう。

 才能のない息子のほうは、創作に見切りをつけたあとも、読むことだけは惰性的につづけていた。彼女の死にしたたか打ちのめされてからも、この悪癖めいた習慣は変わらなかった。なぜか存命中の作家のものは読めなかった。死んだ作家のものにかぎり手当たり次第に、洋の東西を問わず読みつづけた。それがいまの仕事に結びついたとも言える。小説を書くことには不向きでも、他人が書いたものについて書くことは、いくらかわたしにも向いていたようだ。

 卒業論文で芥川龍之介と有島武郎の作品と自殺の関係について書いたところ、教授に見込まれて大学院へ進んだ。修士論文は梶井基次郎、島木健作、堀辰雄といった肺病やみの文学者たちをテーマにした。さらに自殺と不治の病と文学を三重奏曲に仕立てた論文を書いて学位までとってしまった。いまではやくざな教員稼業もすっかり板について、当人は早々に見切りをつけた文芸創作などというものを、スマホでライトノベルくらいしか読んだことのない学生たちに、もっともらしく教えている。

 そんな息子を、父はどんな気持ちで見ていたのだろう。文学を志したころの自分を思い出して、苦い郷愁をおぼえることはなかっただろうか。たしかに表面的には、わたしがやっていることには興味がなさそうだった。しかし心の奥底まではわからない。

 小説の舞台は、本人が中学を卒業するまで過ごした瀬戸内海あたりの島らしい。とはいえ自伝的な作品とは言えないだろう。父に漁師の経験はない。父の父、つまりわたしの祖父にあたる人が、ひところ漁で身を立てていたらしいが、その人の話というわけでもなさそうだ。誰か特定なモデルを想定した書かれたものというよりは、父や祖父を含めた、幾世代にもわたる父親たちの物語として読むべきなのかもしれない。彼らは代々島から舟を出して魚を捕りつづけてきた。一人ひとりが、かけがえのない女の面影を胸に宿して……そうした普遍的な物語として読むのが穏当かもしれない。

 一方で、普通の小説として読むことは、やはりわたしには難しかった。どうしても何かを探し、見つけ出そうとしてしまう。巧妙な仮構の背後に何かが隠れているのではないか。作品の完成度が高いだけに、尚更そんな気がするのかもしれない。小説だから、表向きはフィクションであり虚構である。しかし作者は意味もなくあの物語を紡いだわけではないだろう。あれは父の内面の物語ではなかっただろうか。父自身がなんらかのかたちで、あの物語を生きたのではないだろうか。だから余計、手元に置いておきたくなかったのではないだろうか。

 たぶん考え過ぎだろう。あの父に、ひそかに想いを寄せる人がいたとは思えない。だが、本当にそう言い切れるだろうか。わたしは父について、どれほどのことを知っているというのか。とくに自分が生まれる前の若い父について。ひょっとして父は自覚していたのではないだろうか。胸の奥深くに秘匿している一編の小説の存在を。その物語が、意図しないかたちで自分たちの結婚生活に変調をもたらしつづけていることを。

 小説のなかで島を後にする男は、女との別れを受け入れるために、これからは心を麻痺させて、何も感じずに生きていこうと思いきめる。そんな男を連れ合いとした母は、敏感すぎるくらいの感受性をもっていた。麻痺した父の心は、母に深い悲しみや孤独をもたらすことで、少しずつ彼女を蝕んでいった。

 これまで母が死んだ理由については、父もわたしと似たようなものだろうと思ってきた。息子にとってそうであったように、父にとってもやはり母は謎だった。彼女は夫にも息子にも同等の謎を残したまま死んでしまった。とんだ思い違いだったのかもしれない。