小説のために(第十一話)

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 前から気になっている谷川俊太郎の詩に「ぱん」という作品がある。1988年に刊行された『いちねんせい』という詩集に入っている。このとき作者は56~57歳。50代半ばで「いちねんせい」。いいなあ。清々しい気持ちで読んでみよう。

 ふんわり ふくらんでいます
 そとはちゃいろ なかはしろ
 いいにおいです わたしは ぱんです

 むかし わたしは こむぎでした
 おひさまが かがやいていました
 あおぞらが ひろがっていました
 そよかぜが ふいていました

 ばたーを ぬってください
 はちみつを つけてください
 わたしを のこさず たべてください
 わたしは ぱんです

 誇らしげに自らの出自を語ってきたパンが、最後に食べられる幸せについて語る。「ばたーを ぬってください/はちみつを つけてください」と食べ方の指南があり、「わたしを のこさず たべてください」という祈りに近い願いの一行が来て、「わたしは ぱんです」と屹立する。欠如でも過剰でもなく凛としている。だから食べられる幸せの向こうに、食べる者たちの幸せそうな顔が浮かぶ。食べることと食べられることが一つになって、幸福な音色を奏でている。
 なぜ、こんなことが可能なのだろう? 難しく言えば、いくらでも難しく言えそうだけれど、まずはこの詩を読んで「いいな」と感じる。「いいな」と感じることが重要だと思う。「自己犠牲」という言葉は浮かばない。「食物連鎖」ということでもない気がする。倫理や条理・非条理は漂白されている。「いちねんせい」の思考と感性によって超えられている。
 「いちねんせい」とは何か? それはぼくたちが自己と他者、食べるものと食べられるもの、さらに言えば「男と女」に分かたれる前の、幸福なエロスの場所ではないだろうか。このエロスの場所には傾斜がない。どちらかがどちらかに傾斜するという関係ではない。食べるものと食べられるもののあいだには、遡行不可能な角度がついている。男と女のあいだも微妙に傾斜していて、取り替えることが難しい。そういう角度や傾斜が生じる以前の場所を、とりあえず「エロス」と呼んでみよう。ギリシア神話の愛の神が「いちねんせい」のなかに降り立つ。そんなふうにして「ぱん」という詩は出来上がっている。
 食べるものと食べられるものも、男と女も、同一性の意識によって統覚されている。同一性の意識にとらわれたぼくたちは、食べることと食べられることが一体となった幸福感を生きることができない。関係が傾いているから、どうしても収奪になったり侵犯になったりする。取り返しがつかない。「いちねんせい」には、まだ同一性の意識が芽生えていない。食べることと食べられることは自在に変換できる。食べることは食べられることであり、食べるものは食べられるものである。この融通無碍が「いちねんせい」の幸福感の源泉になっている。
 この変換の自在さは宮沢賢治の作品の大きな特徴でもある。たとえば『青森挽歌』は、「こんなやみよののはらのなかをゆくときは/客車のまどはみんな水族館の窓になる」とはじまる。このとき詩人は汽車に乗っているのだけれど、同時にその汽車を外から見ている。『銀河鉄道の夜』では、ケンタウスル祭の夜にジョバンニは黒い丘の上で、「銀河ステーション、銀河ステーション」という不思議な声を聞く。

 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗ってゐる小さな列車が走りつづけてゐたのでした。

 ここでは丘の上にいたジョバンニが、いつのまにか列車の乗客になっている。内から外へ、外から内へ。賢治のなかで内部と外部はなだらかに順接している。ぼくたちは無意識に、この場面を逆説の接続詞や接続助詞を補って読んでしまう。ジョバンニは丘の上にいた。「ところが」いつのまにか列車の乗客になっている、というふうに。ところが、賢治のなかでは、ここは順接なのである。ジョバンニは丘の上にいた。「それで」いつのまにか列車の乗客になっていた。この詩人は生涯にわたって「いちねんせい」を生きたのかもしれない。

 谷川俊太郎の「ぱん」という詩を流れている幸福な音色は、しかし一瞬にして人々の断末魔の声に暗転しうるものだ。食物連鎖といえば聞こえはいいけれど、要するに生存競争である。万物は食べるものと食べられるものに引き裂かれている。場面を変えれば人が人を食べることであり、そうした世界のありようは昔も今も変わらない。ラッカやパレスチナで起こっていることは、それがわかりやすく可視化されているだけで、起こっていることの本質はグローバルに電脳化されたぼくたちの社会でも同じだろう。「偏在する地獄」と見田宗介さんは書いている(『宮沢賢治』)。食物連鎖を軸とする生命世界の相克を、賢治は偏在する地獄と見ていた。「賢治の時代の東北農村においても、人間が人間を食うという事は、たんなる隠喩のたぐいではなく、ほんの数世代前まではありえた事実として、語り伝えられ、また生まなましく感受されてもきたことであったにちがいない」(前掲書)。
 そうした「偏在する地獄」をモチーフとした詩を、賢治はかなりの数残している。だが、それらは生前に刊行された唯一の詩集である『春と修羅』には入っていない。作者自身が周到に取り除いているようにも見える。賢治が見ていた「偏在する地獄」をうかがい知るために、ぼくたちは未刊の詩稿や異稿にあたってみなければならない。たとえば『春と修羅 第二集』に収録するつもりだったらしい〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕ではじまる詩の先駆形として、1924年10月5日の日付をもつ、こんな詩稿が残されている。

 夜の湿気が風とさびしくいりまじり
 松ややなぎの林はくろく
 空には暗い業の花びらがいっぱいで
 わたくしは神々の名を録したことから
 はげしく寒さにふるえてゐる
 ああ誰か来てわたくしに云へ
 億の巨匠が並んで生れ
 しかも互ひに相犯さない
 明るい世界はかならず来ると
  どこかでさぎが鳴いてゐる
   ……遠くでさぎがないてゐる
    夜どほし赤い眼を燃やして
    つめたい沼に立ち通すのか……

 また『春と修羅 第三集』のために準備稿とも言える、「詩ノート」と仮称されるノート用紙に記された一連の詩稿のなかには、1927年8月になったと思われるつぎのような作品が見える。

 何をやっても間に合はない
 世界ぜんたい間に合はない
 その親愛な仲間のひとり
     また稲びかり
 雑誌を読んで兎を飼って
 その兎の眼が赤くうるんで
 草もたべれば小鳥みたいに啼きもする
     何といふ北の暗さだ
     また一ぺんに叩くのだらう
 そうしてそれも間に合わない
  (中略)
 世界ぜんたい何をやっても間に合はない
 その親愛な近代文明と新たな文化の過渡期のひとよ

 ほとんどぼくたち生きている世界と変わらない、この過酷な現実のなかに宮沢賢治という「いちねんせい」が半ば途方に暮れてたたずんでいる。