Scene6 マンザナー強制収容所(3)
1992年に創設されたManzanar National Historic Siteは、資料館、復元された住居棟、庭園、果樹園、慰霊塔などからなっている。ビジター・センターを兼ねる資料館には、当時の物品や模型、写真などが展示されているほか、シアターでは短いドキュメンタリーを観ることができる。
レインジャーの制服を着た女性は親切で、売店で資料になりそうなものを探していたら、「なんでもたずねてね」とか「それはとてもいい本よ」などとアドバイスしてくれる。すでに夏休みに入っているのか、館内には親子連れの姿も目立つ。いかにもアメリカ人っぽい体型の父親が、小学生くらいの子どもと一緒にパネルの説明を熱心に読んでいる。なかなかいい感じじゃないか。
いろいろ文句をつけたけれど、ここは素直に感心すべきなのかもしれない。これだけのものを残し、公開するというフェアーな姿勢は、やはりこの国のいいところだ。オバマだって、とりあえず広島に来たわけだしなあ。その事実を「評価」すべきなのかもしれない。いや、私が苛立っているのはアメリカではなくて日本、日本政府と日本人なのだ。
第二次大戦中に日系人を強制収容したことにたいして、1980年代にアメリカ政府は正式に謝罪している。レーガン政権は存命中の収容体験者に、一人あたり2万ドルの損害賠償を行っている。金額の多寡を言ってもはじまらない。その程度のことさえ、いまだに日本政府は中国や韓国にたいして行っていないではないかと言いたいのだ。とりあえず南京大虐殺と従軍慰安婦の問題にかんして、私たちはアメリカ人の公正さを見習うべきなのではないだろうか。
もう少し言わせてもらう。アメリカ政府だって自発的に「私どもが悪うごさいました、どうも申し訳ありません」と謝罪したわけではない。日系議員などが中心となって、長年にわたり謝罪と賠償を求めてきた結果としてなされた。こちらが懸命に訴えれば耳を傾ける。自分たちが間違っていたとわかれば、公明に謝罪をする。そういう度量の大きなところがアメリカという国にはある。
ところが日本政府も外務省も、普通の国なら当然要求すべきことを、ただの一度もやってこなかった。たとえば沖縄で繰り返されるアメリカ軍兵士や軍属による犯罪。しかし現行の政権は地位協定に手をつけることを拒否している。交渉のテーブルに就くことさえ拒んでいる。アメリカと対等に話をすることを避けている。あくまで彼の国に隷属し、過剰にリップサービスすることしか考えていない。オバマ大統領などは、安倍首相の卑屈なまでの擦り寄り方を、最初のうちは気持ち悪がっていたくらいだ。
また私たち一人ひとりの日本人も、残念ながら戦後七十年間、アメリカという国と正面から向かい合おうとはしてこなかった。いまだに日本の平和は憲法九条によって守られてきたなどと言っているのは、政府や外務省と同じアメリカ依存、アメリカ隷属である。世界最強の軍隊を持ち、もっとも好戦的な国の軍事基地は、米軍専用のものだけで日本国内に81箇所ある。自衛隊と共用のものまで含めると130箇所だ。これらの基地を利用して、アメリカ軍がベトナムでどういうことをしてきたか、ということを多くの人は考えない。知ろうともしない。知らないことによって、自分たちを納得させてきた。
センターを出て、施設内を歩いてみる。鉄条網を張り巡らせた広大な収容所は36のブロックに分けられ、それぞれのブロックに14のバラックが建ち並んでいたという。一つのブロックに300人ほどが収容されていた計算になるから、一棟に二十人余りが生活していたことになる。復元されたバラックの建物は、映画『大脱走』に出てくるようなものだ。ここに二十人、しかも男も女も子どもも老人も一緒では、プライバシーなどありようがない。
とにかく暑い。車の温度計は103度になっている。直射日光の下には立っていられないような感じだ。まわりは荒涼とした砂漠。当然、冬の寒さは厳しい。センターに展示されていた写真には、地面に降り積もった雪が写っていた。積雪量はかなりあったようだ。こんなところで四年間、約一万人の人たちが自由のない生活を強いられたのだ。
収容所の敷地内に、一周三マイルのドライブ・コースが設けられている。私たちも車でまわってみることにした。遠くに4000メートル級のシエラネバダの山並みが見える。山頂には真っ白な雪が残る。遮るもののない空は光に溢れ、遠くに小さな雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。とても美しい風景だ。そんなところに設けられた強制収容所。
やがて車は慰霊塔の前で止まる。ここで死んでいった人もいるのだなあ。たくさんの千羽鶴が備えられている。ボブは写真を撮っている。まあ、それが彼の仕事だから。でもボブ、あまり美しい写真は撮らないでくれ。
私のほうは気持ちの整理をつけることができずに、売店で手に取ってみたアンセル・アダムズの写真集のことを思い出している。彼の撮る写真は美しい。過酷であったはずの収容所での生活が、まわりの自然と調和して静謐な調べを奏でている。美し過ぎる写真は残酷だ。サン・レミの精神病院の病室から星月夜を描いたゴッホ。渦巻く星々、身悶えする糸杉、夜と光のシンフォニー。その美しい絵には、しかし窓にはまっていたはずの鉄格子は描かれていない。写真家は何を記録したことになるのか。
「いい加減にしないと焼け死んでしまいますよ」
憎まれ口を叩いて、私は一足先にエンジンをかけっぱなしにしている車のなかへ避難する。やがてボブが戻ってくる。
「さて、出発するか」
車は砂埃を上げて発進する。午後二時を過ぎている。
「つぎのビショップで食事をしよう」
「やっぱりオバマのスピーチ、おかしいですよ」
「なんの話?」
「原爆を投下した国の現職の大統領が、過去の過ちを天然自然の災害みたいな言い方で片付けてしまう。そのスピーチに九割以上の日本人が好感をもつ。いったいどうなっているんですかねえ、われわれの同胞は」
「まあ、ハンバーガーでも食べながらゆっくり考えよう」
オバマのスピーチ原稿が、じつはディープラーニングによって賢くなった人工知能によって創作された作文だったと言われても、私は驚かない。まさにそういう性質のものだと思う。彼が読み上げた文章のなかには一人の生身の人間もいない。そんなものに好感をもち、感動してしまう日本人とは、いったいなんだろう? お人好しというよりも、重度の思考停止に陥っていると言うべきではないだろうか。
Mr. Paul Saffoが指摘するように、シンギュラリティは私たちのまわりにあるすべてのものをつくり変えるだろう。そこに生まれる新しい自由と責務のフロンティアを、いかに生き抜くかということを誰もが真剣に考えなくてはならない。いまの日本人に、20年先を構想する力があるだろうか。どこへ向かうべきかを問うための、知力と胆力は残っているだろうか? そんなことを考えながら、私たちの旅はまだまだつづく。
参考文献:TULE LAKE REVISITED By Barbara Takei and Judy Tachibana