あの日のジョブズは(2)

あの日のジョブズは
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2.1955年2月24日

 父親はシリアからの留学生だった。母親はドイツ系移民の厳格な家庭に育った。ウィスコンシン大学の大学院生だった二人のあいだに生まれた子どもは、最初から養子に出されることがきまっていた。こうして彼の姓は「ジョブズ」になる。
 養父のポール・ジョブズは高校中退後、機械工として働きながら中西部を転々としたのち沿岸警備隊に入隊、第二次世界大戦中は機械工にして機関兵だった。戦争が終わり沿岸警備隊を除隊したポールは、アルメニア移民の娘、クララ・ハゴビアンと結婚する。子どもに恵まれなかった二人は、1955年2月24日に生まれた男の子を養子にする。こうしてスティーブ・ジョブズという一人の人間が、この世界の片隅に小さな場所を占めることになる。
 イエスの父、ナザレのヨセフは大工だった。キリスト教神学ではイエスは聖母マリアの処女懐胎によって生まれたことになっている。するとマリアの婚約者にして夫であるヨセフは、イエスにとっては養父ということになる。「処女懐胎」というのは、どう受け取ればいいだろう? キリスト教徒ではないぼくたちにはこなしきれない。苦し紛れに「養母」と解釈してみる。キリストもジョブズと同じようにもらい子だった。養父と養母によって育てられた彼らは、ともに内に激しいものを宿した。
 ナザレのイエスは言葉と行動によって世界を変えようとした。一方のジョブズは、自分たちの会社が生み出す製品によって世界を変えようとした。現に二人とも、その後の世界を大きく変えた。イエスの宗派は人種や民族を超えて世界中に広がった。ジョブズの生み出した製品は、社会的にも経済的にも文化的にも異なる何十億もの人々の日常生活を文字通り一変させた。
 歴史上の人物としてのイエスの生涯は、洗礼者ヨハネにはじめて会うところからはじまる。新約聖書によると洗礼を受けたイエスは荒野に赴き、そこに40日とどまってサタンから誘惑を受ける。ジョブズも若いころインドに出かけている。有名な導師に会うためだったという。自分のなかに過剰なものを抱えた若者を連想させる。
 ぼくが学生のころにもインドに魅せられる若者は多かった。物質的なものでは満たされないからスピリチュアルなものを求める。ぼくなども高校生のころには禅寺に入って僧侶になろうか、などと何かへの反発から考えたりしたものだ。若いということは、自分の過剰さに追いつめられるということかもしれない。

 若いころのジョブズについて伝記的な事実から興味深い点を拾ってみよう。
 1972年、オレゴン州ポートランドにあるリード大学に入学する。リベラル・アーツの私立大学で学費が高いことで有名なところだったらしい。バークレーやスタンフォードといった総合大学ではなくリベラル・アーツ・カレッジを選んだということは、この段階では何をやりたいか明確にきまっていなかったということだろう。何か面白いことをやりたかった。クリエイティブでアーティスティックなことをやりたかった。気持ちはよくわかる。
 ジョブズがリード大学に入学する5年前に、サイケデリックの導師、ティモシー・リアリーがリード・カレッジの学食にあぐらをかき、「偉大なる宗教を見えればわかるように、神性とは自らの内に見出すものである……太古より受け継がれてきた目標を現代風にとらえ直せば、ターンオン(ドラッグで)、チューンイン(意識を開放し)、ドロップアウト(社会に背を向けよ)となる」と訓戒を垂れている。そういう気風の大学だったのだろう。70年代には中退率が三分の一を超えていたというから、ほとんどアウトサイダーを輩出することに情熱を傾けていたようなものだ。
 60年代に青春期を送ったジョブズは、もろにカウンター・カルチャーの洗礼を受けて育った。マリファナやLSDなどのドラッグ・カルチャー、ベイ・エリアのビート・ジェネレーションから生まれたヒッピー・ムーブメント。ティモシーの教えを真に受けたわけではないだろうが、実際にジョブズは18ヵ月で大学をドロップアウトしてしまう。
 学生だった一年半のあいだ、彼はあらゆるサブカルチャーに身を浸す。禅、瞑想、ディランやグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレインなどのロック・ミュージック、サイケデリック・ドラッグ……ほとんど見境なしにという感じである。とりわけババ・ラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ』という本に強い影響を受けた。サイケデリック・ドラッグ(幻覚剤)や瞑想についての一種のガイドブックで、当時の多くの若者に感化を与えたものらしい。
 精神世界と悟りへの強い興味。そして興味を抱いたものにたいしては激しく、徹底的にのめり込む。先にも触れたように、1973年にはラム・ダスの師、ニーム・カロリ・ババ(マハラジ・ジ)に会うためにインドまで行っている。僧侶のようなものになろうと、半ば本気で考えていたらしい。インドから戻ったあとは、スピリチュアル・ネームを名乗り、インド風のローブにサンダル履きで歩くようになる。
 もう一つ目を引くのは、菜食主義をはじめとする極端な食事である。米、パン、穀類、牛乳などを絶ち、ニンジンやリンゴなど1~2種類の食べ物のみで何週間も過ごしたり、身体を浄化するために断食を繰り返したりしていたらしい。健康法の対極にある不健康なまでの純粋主義。スピリチュアルなものへの強い親和性。

 時代の雰囲気もあっただろう。ジョブズをはじめとして、この時期のパーソナル・コンピュータの開発者たちのほとんどが、ドラッグ・カルチャーやカウンター・カルチャーといった反体制的な空気を吸って大きくなった。ベトナム戦争にたいする反戦運動が盛り上がっていた時期である。徴兵制が廃止されるのは1973年1月、ジョブズたちの世代にとっては、なお現実的な問題であったはずだ。
 アメリカの西海岸で生まれたパーソナル・コンピュータが、 現実世界への強い拒否感や嫌悪感をバックボーンにしていたことは間違いない。 泥沼化するベトナム戦争、常習化する暗殺、ケネディ兄弟、キング牧師、マルコムX……時代は絶望に塗り固められていた。それがPCを現実逃避的なガジェットにしていく一つの要因だったかもしれない。同時にIBMなどが作っている、権威の象徴ともいうべき大型コンピュータへの対抗意識になっていっただろう。
 もう一つ、パーソナル・コンピュータの開発にかかわった若者たちに共通しているのは、ノンポリティカルということだと思う。ジョブズとともにアップルを創業したスティーブ・ウォズニアックなどは典型的な電子機器マニアであり、元祖ハッカーという感じである。デモに参加してポリスに石を投げるというタイプではなかったのだろう。
 ジョブズの場合も、ポリティカルなものへの興味関心はほとんど見受けられない。外側の現実へ向かうよりも、自分の内側に向かおうとする情動が圧倒的に強かった。サイケデリック・ドラッグも瞑想も信仰も極端な食事も、彼の場合はどれも内側の一つの場所を指向している。
 60年代のドラッグ・カルチャーは後のパーソナル・コンピュータと同様に、多分に現実逃避的な面をもっていた。目の前にはベトナム戦争、徴兵制という現実が立ちはだかっている。逃れようのない現実から目を逸らすために、アルコールやドラッグにのめり込むという傾向は強かっただろう。癌の恐怖から逃れるために医療用マリファナを使うようなものかもしれない。ジョブズが大学に入学した1972年の後半には、徴兵制の削減・廃止は既定の政策になろうとしていた。学生たちの反戦運動や政治活動も下火になり、大学の雰囲気も変わりつつあっただろう。
 そうした外的な変化以上に、ジョブズにとっては徹頭徹尾、「自己」が問題だったように見える。外側の現実と衝突する前に、自分自身と衝突してしまった。ジョブズの生涯に付きまとう過剰さは、自己との衝突に由来している気がしてならない。いつも自分が自分と衝突し、自分を持て余してしまう。だからもっと深いところ、自己の意識よりもさらに深い自己に向かおうとする。それがスピリチュアルなものへの強い親和性としてあらわれてくる。
 ジョブズが面白いのは、こうしたスピリチュアルな感覚と、ときに楽観的にも見える技術信奉とが結び付いていることである。シリコンバレーという環境が育んだものだったのかもしれない。彼はコンピュータという最新の技術によって、解脱と涅槃に至ろうとしたのだろうか。                                        Photo©小平尚典